第7詩集。98頁に花に材をとった26編を収める。
冒頭の「花の瞳」。話者に向かって開いた花弁を”瞳”とみて、「そこから輝きたつひかりがある」と詩う。花弁のなかには「宇宙がかくれている」のだ。それは花弁のものごとを包み込むような形からもイメージが繋がり、さらには花が持つ生命への畏怖の念からきているのだろう。
花と対峙するわたしの瞳は
宇宙を告知する象形文字を読みふける
いつか
花の安らぎを乗りうつらせて
作者は単に花そのものを見ているのではない。花が孕んでいる空間的な広がりと時間的な長さ、言いかえればすなわち物語ということなのだが、そんなものを見ている。
だから先人たちが魅せられた花々を詩っている。たとえば、有名なモネの睡蓮やゴッホのひまわりをはじめとして、シェークスピアの薔薇、ゲーテの罌粟、さらには利休や世阿弥にいたっている。あとがきで作者は「花が自然の一要素として人間とともに歩み、人間の文化を導きその不可欠の一部分となってきた様相を表現した」かったとしている。そのことをていねいに捉えた視点は優雅である。
花の香りを捉えた「暗闇の蘭」は、嗅覚だけで花と対峙している。
花のたしかな命が匂いたつ
わたしに逢うことで
では わたしは蘭だったのか
出逢いが
蘭であるわたしの命を呼び醒ましたのか
ここでは形が見えないだけに、時の流れを越えて存在するものをより一層感じさせている。
(余談)この詩集の出発点となったという作品「タージ・マハール」は作者のインド旅行体験から生まれている。その旅行には私(瀬崎)も参加していた。あの白い優美な建物を見ながら作者は言葉を紡いでいた。一方の私は、敷地の入り口で(銃を持った警備員がいた)水彩道具を取りあげられてしまい、スケッチができないなあと気落ちしていたのだった。
冒頭の「花の瞳」。話者に向かって開いた花弁を”瞳”とみて、「そこから輝きたつひかりがある」と詩う。花弁のなかには「宇宙がかくれている」のだ。それは花弁のものごとを包み込むような形からもイメージが繋がり、さらには花が持つ生命への畏怖の念からきているのだろう。
花と対峙するわたしの瞳は
宇宙を告知する象形文字を読みふける
いつか
花の安らぎを乗りうつらせて
作者は単に花そのものを見ているのではない。花が孕んでいる空間的な広がりと時間的な長さ、言いかえればすなわち物語ということなのだが、そんなものを見ている。
だから先人たちが魅せられた花々を詩っている。たとえば、有名なモネの睡蓮やゴッホのひまわりをはじめとして、シェークスピアの薔薇、ゲーテの罌粟、さらには利休や世阿弥にいたっている。あとがきで作者は「花が自然の一要素として人間とともに歩み、人間の文化を導きその不可欠の一部分となってきた様相を表現した」かったとしている。そのことをていねいに捉えた視点は優雅である。
花の香りを捉えた「暗闇の蘭」は、嗅覚だけで花と対峙している。
花のたしかな命が匂いたつ
わたしに逢うことで
では わたしは蘭だったのか
出逢いが
蘭であるわたしの命を呼び醒ましたのか
ここでは形が見えないだけに、時の流れを越えて存在するものをより一層感じさせている。
(余談)この詩集の出発点となったという作品「タージ・マハール」は作者のインド旅行体験から生まれている。その旅行には私(瀬崎)も参加していた。あの白い優美な建物を見ながら作者は言葉を紡いでいた。一方の私は、敷地の入り口で(銃を持った警備員がいた)水彩道具を取りあげられてしまい、スケッチができないなあと気落ちしていたのだった。
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