瀬崎祐の本棚

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詩誌「spirit」Lesson6 (2022/06) 栃木

2022-06-14 22:03:24 | ローマ字で始まる詩誌
樋口武二編集・発行の詩誌で、50頁。寄稿者は樋口本人も入れて18人。

「李さんのしつけ糸が」石毛拓郎。
「一九七七年四月一日 突発性「顔面神経麻痺」治療のため、市立川崎病院の神経科にて。」という長い副題が付いている。顔面の右半分が麻痺しているおれの背後で「ピョンヤンは、燃えている。」と泣きじゃくる年老いた女がいる。すると「北」に渡った親友の声が聞こえたりするのだ。

   神経注射のせいで べっどで眠くなってきたおれの閉じた瞼に
   渡ったこともない半島が ぼんやり見えてきた
   いや 違う!
   李さんの沈痛な顔が ガバリと迫ってきたのだ。

半ばもうろうとした意識だからこそ見えたり聞こえたりし始めるものがあるのだろう。

樋口は行分け詩2編、散文詩2編を載せている。「残夢録」と題された散文詩は連作となっていて、今回は「その九 それぞれの季節の記憶に」、「その10 記憶の中で赤い魚が泳いでいた」である。いずれも夢で観た光景の記録という体裁を取っている。しかし話者を襲ってくるものははたして夢なのか、記憶なのか。過去の記憶といっても、それを今の私が再現しているのであれば、いまの私に訪れる夢とどこが異なるのだろうか。

   人と人との関係なんて、あやふやな幻想によって成り立っているだけだ
   から、もんだいなのは私じしんの飢餓感だけだ 歌声の響く朝に、取り
   返しのつかぬ夜のおぼろげな記憶が跳ねているだけのことで、あとはも
   う後悔という名の航海が待っているだけである 
                         (「残夢録 その10」)

私(瀬崎)は行分け詩の「水車」を載せてもらっている。私がそこにそのときにたしかに在った、ということを、対峙したものを描くことによって確かめようとした作品である。

   地球がまわり
   水車がまわる
   流れすぎようとしていたものが汲みあげられて
   どこかへはこばれていく
   めぐりの時間が用意されて
   子守歌を思い出そうとしている

7月に出る予定の詩集に作品をまとめてからは、この手法で書き始めている。詩誌「どぅるかまら」32号に発表予定の2編「銀河」「流路」も、同じ意図で書いたもの。さあ、このように書いていって、どこまで行くことができるか。
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