瀬崎祐の本棚

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Zero  9号  (2018/02)  東京

2018-03-07 22:59:17 | ローマ字で始まる詩誌
 「バザール」北川朱実。
 上手いなあと思ってしまう。例えば、「遠く/水門が開く気配がして/水をたたえた朝を引いて 人々が集まってくる」。異国、イスタンブールの朝の雰囲気が絵に描かれたように伝わってくる。そんな市場で話者は左目を売っている少年と会う。話者は空の紺碧と少年の目の青ずみの重さを比べている。最終連は、

   私はぬかるんだ迷路を歩く 歩く
   少年の目の奥
   半分消えかかった海が輝くまで

 こうして物語が広がる。皮膚とのあいだに薄い膜を挿んだような微かな悲しみもあって、やはり上手いなあ。

 「細胞」長嶋南子。
 浴場の排水口に髪の毛がたまっているという。誰でもが日常生活の中で遭遇するちょっと不気味な光景なのだが、それはその髪が生えていた人の一部をそこに見てしまうからだろう。話者はそれを「いつまでも残る怨念みたい」と感じている。

   抜け毛を集めた針山があった
   毛髪は油気があるから
   針がさびない
   だれかの怨念がチクチク刺す

 人の身体の細胞は(生きることによって)毎日入れ替わるのだが、前の細胞はどこにいったのかと不審がってもいる。最終連のひと言は「あんた 死なないとでも思っているの」。いえいえ、と思わず口ごもってしまう。

 内田麟太郎が「父子問答」というエッセイを書いている。作者は勝負事に関心がないとのことだが、その原因の心当たりとしては、日本共産党を除名された父が花札にのめり込んでいた姿ではないかという。父の姿が悲しい印象だったというのだ。そんな作者はかっては釣りに熱中したのだが、今はその気も萎えている。

    あるとき、父がふっといった。「麟太郎の釣りも、哀し
   みを捨てにいく釣りだなぁ」。答えようも無くて黙ってい
   た。あれもいけなかったのかもしれない。 
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