瀬崎祐の本棚

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すぷん 2号 (2019/夏) 神奈川

2019-07-19 17:35:16 | 「さ行」で始まる詩誌
 小柳玲子詩集「夜明けの月が」を楽しく、そして少し切なく読んだところに、坂多瑩子の個人誌「すぷん」2号が届いた。なんと今号は57頁丸ごとが小柳玲子特集であった。

 坂多のエッセイ「夢人館だより」には「小柳さんと初めて会った日のこと」も書かれているし、「突撃 頭の中のインタビュー」からは小柳さんの生の声が聞こえてくるようだった。小柳は「風景より時計みたいなのが好きだった」と言い、坂多は「時間の操作のできない詩人は困るねといわれたことが」あったとのこと。何か所か、抜き書きする。

   小柳「(略)時間はむずかしいんです。
   たとえば昨日よりずっと近い一昨日というのがあるんですよ。
   風景とは別だから、ずっと遠い時間がこの肩のところまできているときがあるんですよ。

   小柳「私のは、絵だと思って読んでください。
   時間を書こうとしてたので、だれがどうしたとか誰と会って寂しかったとかじゃなくて、
   そういうことがあったと言うことだけを書くのね。
   自分のほんとうの哀しみが物語のうらにあるものもある。

   小柳「作品として自分から離れているのに、自分はこうだったと頑張っちゃうひともいるけど、
   どっちにしてもつくりもの、本当のことって書けないでしょう。
   一番言いたいことをいうのをカタチにするのが芸のうちで、その人の波長がある。

 後半には詩の書き方をいろいろと指導してくれているのだが、最後には「私ね、いいかげんなこと教えるから真に受けないでね。詩は教えられないんですよ。わからないんです。人はそれなりに育つんですよ。」・・・なるほど。

 第一詩集「見えているもの」(1966年刊)からの作品「たびだち」を読むことができたのは素晴らしいことだった。その夜の海はあれて海の声のさびしさに「誰かたびに行ったと」私が話すと、母は、みんないるよ、「たびに行くのは/いつもお前のなかの家族さ」と言ったのだ。

   海があれて
   おもい夜更
   家族とやさしい食事をおわると
   遠い土地へだびだった私の
   頼りない声をきいた
   おやすみのあいさつを送るらしい
   幼い声をきいたと思った

 坂多は「小柳さんの詩に惹かれる大きな理由のひとつは、理由(わけ)のないものに耳傾けている時刻に連れていってもらえるからである。それは、私たちの中にひそんでいる理解しがたいもの、つまり理性のルールに従わない得体の知れないものに出会えるからである。そして不思議なことに、それらは自分の記憶のどこかにしまわれていたもののように思えるのである。」と書いている(エッセイ「見えないのにみえてくるもの」より)。
 たしかに小柳作品の世界は、初めて会うのにどこか懐かしい、という感情を伴ってやってくる。そうだ、私(瀬崎)はこんな懐かしさをどこかで探していたんだ、と思わせるのである。
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