瀬崎祐の本棚

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詩集「約束。」 前沢ひとみ (2019/11) あきは書館

2020-01-21 17:57:47 | 詩集
 93頁に24編を収める。
 どの作品も虚と実が入り交じったような感じを与える物語となっている。

 たとえば「舌」。寝ているわたしの口の中にみずきの舌が入ってくる。高校生になった息子と記念写真を撮ったわたしは、みずきのお母さんのことを思ったりもしている。みずきはバイク事故で死んだ青年で、もしかすればわたしの恋人だったのかもしれない。「わたしの覚醒のわずかな隙間をこじ開け/みずきが舌を入れてきた」のだが、そんなみずきの存在は、ふとした瞬間にわたしの中に蘇ろうとするのだろう。その瞬間にはみずきは今でも「リアル」なのだろう。「だからダメなんだ」というみずきの台詞はそのままわたしの台詞である。

   遠い過去(むかし)にいなくなった人なんだから
   壁からでも天井からでも
   どこからでも出て行けばいいのに
   律儀にドアの前に立って
   わたしをチラッと見て
   消えた
   その顔は少し笑ったように見えた

予断を許さない展開があって、作者の物語を語りたいという希求が、そのまま読む者にも面白さとして伝わってくる。

 「日の下」は散文部分と行分け部分が混在した130行近い作品。時間軸は錯綜し、「日ノ下」という思春期の頃の友人も登場してくるが、作品タイトルは”太陽の下”、つまりはこの世での人の生き方の流れを指しているように思われた。わたしはハジメとハルカという二人の男の子を産み、母親となる。わたしは「風を追うような世界で」「肉を割り、乳を滴らせ、やがては死に還るものを生み落として、変質した」のである。そんなわたしの五歳の頃の記憶には、わたしと弟を連れて無理心中をしようとしたらしい母がいる。

   ハジメを抱きしめるわたしは幸福だった。その時抱かれているハジメはわたし
   だった。取り戻すのだ。欲しかったものを与えるのだ。わたしはわたしの母に
   なってわたしを抱いた。

 作者の孕んでいる情念が物語の形を借りて強い感じで表出されている。ミシシッピのような青い空の日の下で、子は母となっているのだ。

 童話などに想を得た「再話四篇」も毒気にまみれた物語となっていた。蟻を探してキリギリスは彷徨い、羊の皮を被ったオオカミは「お母さんですよ、お別れです」と囁くのだ。この毒気はかなり辛いところから来ているのだろうな。
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