「夏のおわり」秋元炯。
「向日葵」「病み猫」「バケツ」「アスファルトの上の蝉」という4編の4行詩からなる。タイトルの通り、夏のおわりの風物を淡々と切りとっている。描写に徹しているようで(おそらく意図的にそのように描こうとしたのだろう)、それでいながら作者の思いが描写をおこなう言葉の選び方にあらわれているところが興味深い。真っ黒になった向日葵についても、”枯れ始めている”などとは書かずに、「仁王立ちのまま/往生している」という擬人法で描いている。
「病み猫」全行を引いておく。
家の猫が急に病んだ
人目をさけて 部屋の隅に蹲っている
外はまだ夏
蝉の声が喧しい
この作品は、家の中の音を失ったような静かな情景と、聞こえてくる音から推せられる外の情景の対比が眼目となっている。外は明るく、中は暗い。それは生と死につながっていくのだが、今は喧しく鳴いている蝉の寿命もごく限られているところが空しさを引き寄せている。
詩誌の終わりの方に載せられた短文によれば、作者は最近俳句を始めたとのこと。詩作においても、物事の切り取り方にその影響が出始めているのだろうか。捉え方は異なるのだが、4行詩ばかりをあつめた三好達治の「南窗集」や「山果集」などの作品を思い浮かべた。
「向日葵」「病み猫」「バケツ」「アスファルトの上の蝉」という4編の4行詩からなる。タイトルの通り、夏のおわりの風物を淡々と切りとっている。描写に徹しているようで(おそらく意図的にそのように描こうとしたのだろう)、それでいながら作者の思いが描写をおこなう言葉の選び方にあらわれているところが興味深い。真っ黒になった向日葵についても、”枯れ始めている”などとは書かずに、「仁王立ちのまま/往生している」という擬人法で描いている。
「病み猫」全行を引いておく。
家の猫が急に病んだ
人目をさけて 部屋の隅に蹲っている
外はまだ夏
蝉の声が喧しい
この作品は、家の中の音を失ったような静かな情景と、聞こえてくる音から推せられる外の情景の対比が眼目となっている。外は明るく、中は暗い。それは生と死につながっていくのだが、今は喧しく鳴いている蝉の寿命もごく限られているところが空しさを引き寄せている。
詩誌の終わりの方に載せられた短文によれば、作者は最近俳句を始めたとのこと。詩作においても、物事の切り取り方にその影響が出始めているのだろうか。捉え方は異なるのだが、4行詩ばかりをあつめた三好達治の「南窗集」や「山果集」などの作品を思い浮かべた。
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