瀬崎祐の本棚

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詩集「分水」 北島理恵子 (2022/06) 版木舎

2022-07-27 11:30:52 | 詩集
第3詩集。106頁に22編を収める。

冒頭に「etching」という銅版画に材をとった作品が置かれている。銅版につけた傷の部分を腐食させて版を作るのだが、その工程は、作品を作るという行為の時間が閉じ込められていくことのようだった。

「列」。「潮の焼けた匂い」がするところで「とてつもない数の生き物が」列をつくっているのだ。なにかに導かれるような列で、「みな躰から/灰白色の粉を/歩くたび道にこぼしていく」のだ。

   叫びたいのにわたしは声が出ない
   かなしばりにでもあったように口が開かない
   波にさらわれたのか
   それとも隠されてしまったのか
   逆側の皿も
   鉛の分銅も見当たらない

なにか厄災があったのだろうか。わたしは列に並ぶ人を見送ることしかできないでいる。列に並ぶ人にはその定めがあるのだろう。その中に見覚えのある顔の女がいて、「わかっている/と 口が動くのがはっきり見えた」のである。悲劇を見送ることしかできない無力感がわたしを捉えている。

「廊下」。隣の家とわたしたちの家をつなぐ渡り廊下。わたしたちはとなりの家で生まれて、こちらの家で家族が代わる代わる風呂に浸ったのだ。そうやって一日ごとの営みをくりかえして「幾年もかけて/家が家のかたちになった途端/わたしたちは/独り立ちするのだった」。家、血脈、習わし、呪縛。わたしたちが疑いもなく受け入れているそのようなものが、静かにわたしたちを存在させている。その静かさが美しくもあり、怖ろしくもある。最終部分は、

   双子のような家
   ずっとそう思っていたのに

   聞けば
   となりの家も
   そのまたとなりの古家と
   渡り廊下でつながっているのだという

すべてを受け入れていると思っていた世界には、さらに深いところがあったのだ。わたしたちの存在はどこまで行っても逃れられないものに包括されてしまっているかのようだ。

この詩集に収められたどの作品にも、暗い足元を流れるものが在る。その感触は、絡みついて歩みを妨げるようでありながら、どこかに懐かしいものにも感じられる。それは祖父母から父母へ、そしてわたしへと流れているものでもあるのだろう。母を詩った「あかまんま」「きせ」は殊に印象深かった。
コメント
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