瀬崎祐の本棚

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詩集「楽園のふたり」 小島きみ子 (2021/08) 私家版

2021-08-27 18:52:20 | 詩集
第5詩集。80頁に24編を収める。
エッセイ集「現代詩の広い通路へと」を同時刊行している。こちらはいろいろな詩誌に発表した詩評・詩集評を集めたものとなっている。

今回の詩集では掌編小説とでもいうような作品も散見される。冒頭の「楽園のふたり」では、情死を試みて男は生き残り、女は旅立っていく。そのふたりのモノローグと会話。

   (ああ 黙って 雪の音よ )そう言ったのはわたし
   (雪の音? )わたしたちはずっと黙って歩いた 電車に乗って乗り換
   えて (ああ もうここでお別れです )(急にどうしたの? )(だ
   って ここから先は切符が無いと入れない國ですよ )

4連目では男女が入れ替わったりする。物語の内容に語らせている作品である。しかし小説と異なるのは、その物語があくまでも作者の内部に存在しているところである。小説は読者のために物語を作者からは切りはなした地点に構築する。それに比して、詩はどこまでも作者自身のために存在しており、自分とは切りはなしていない地点、いわば作者の内部に存在しているのだ。

この作品を始めとして、この詩集には死に向かう決意、あるいは覚悟がいたるところで漂っている。死に近づいている日々の感覚を受け止めようとしているのかもしれない。その地点に立つことによって見えはじめてくる生命の意味もあるのだろう。「黒い蟬」は、あなたが木の幹に上らせてあげた蟬を詩っている。

   生きている時間の儚さをつまんだ あなたの指
   黒い蟬は 何度も生まれ替わる
   いのちの瞬間をただ生きる そのことのために

最後に置かれた「黄泉の國は此の世と瓜二つなのです」。前半では、道に迷った話者が二人の姉妹とその母親の家で疲れを取る夢をみる。後半では、話者はその夢のことを考えている。

   黄泉の國は、天国と地獄に振り分けられる前の、最後の暮らしをもう一
   度やり直す國で、「此の世」と瓜二つなのです。此処で、全うした暮ら
   しが神の審判にかけられて「天国か、地獄へ」の片道切符が貰えるので
   す。私は、黄泉の國の審判で再び此の世へ帰ってきたのでした。

作者は「あとがき」で「詩の言葉にして振り返れば、苦しみすらも安らぎのように語ることができます」と書いている。同じように、死ぬことも生きることのように書けるに違いない。
コメント
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