瀬崎祐の本棚

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詩集「青売り」 椿美砂子 (2021/06) 土曜美術社出版販売

2021-08-19 18:46:33 | 詩集
103頁に25編を収める。

「青売り」の話者は人の佇まいや声が色づいてみえる。人はそんな話者に不幸せの経緯を語り、最後に「あなたのその青を売ってほしい」と頼むのだ。

   いいですよとその人の前で
   わたしの青を切り刻んでいく
   金色の華奢な糸切鋏でなるべく痛くないように丁寧に切る
   わたしの青はどれくらい残っているのだろうとか
   最近は切った直後の鮮鋭な痛みも治りかけの鈍い痛痒も悪くないとか
   ぶつぶつといいながら切り刻む

いったい話者の青とは何なのだろうか。話者は身体のどこを切り刻んでいるのだろうか。人が青を求める理由も、話者が自分の青を分け与える理由も、何も説明はされないが、その世界には切実な仕組みがあることが伝わってくる。それにしても、話者の青を手に入れた人は本当に青を自分のものに出来たのだろうか?

この作品を始めとして、詩集の前半の作品では奇妙な身体感覚が支配している世界が描かれている。「白い部屋」では左耳がもげ、やがていろいろな部位が失われていく。「夜は眠るだけ」でも指や舌が失われていく。次第に肉体の機能がなくなっていき、ついには肉体が消滅すれば「心だけ残る 心だけでいい/宙に浮いた心でどこにいこうか」と、話者は呟いている。話者にとって肉体は何らかの制約を課すものだったのだろうか。

足がなくて人ではないような鳴るなるくんが登場してくる作品「鳴るなるくん」は、軽妙な語り口だった。よく晴れた夕方にあらわれてわたしに話しかけてくる。「もうそれ以上いったら駄目だよ」とか「こころがころころこぼれ落ちそうだよ」とか言ったりもする。鳴るなるくんが、連れていた女の子の手とわたしの手を握らせると

   昨日から赤い服の女の子が
   わたしのそばから離れない
   終わるということはこんなことだよ
   鳴るなるくんはきっぱりといった

この奇妙な人物(?)は話者の気づかないところでわたしを支えてくれているのかもしれない。自分からすこし離れた場所に浮遊している存在に見詰められている感覚が、巧みに可視化されていた。

「野薔薇のかおり」では、話者は火遊びのあとに刺繍をしている。

   こんなにゆるしているのにと
   届けたくない微熱を刺していく
   刺しながらたぶん くるくると
   遠く夜のわたしを くるくると
   フレンチノットで くるくると

でも、本当はゆるしきれていないのだろう。ただ「ゆるしたかったのだと想う」だけなのだ。そんな話者は自分自身に針を刺しているのだろう。そこにはどんな模様が浮かび上がってくるのだろうか。
どの作品にも痛みを伴った身体感覚が通奏低温のように流れている。その痛みに耐えていることを見つめている詩集だった。

コメント
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