瀬崎祐の本棚

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詩集「記憶する生×九千の日と夜」  吉田広行  (2017/09)  七月堂

2017-09-24 20:28:37 | 詩集
 第6詩集。73頁で、前半に「記憶する生」と題した12の断章からなる行分け詩、後半に「九千の日と夜」と題して5編のエッセイを収めている。そらしといろの栞が付く。

 詩編には、確実に老いて残りの時間を刻んでいく人間の生と、それらが集合して成り立っているこの世界の終焉への歩みが基調にあるようだ。

   もう老いることはない
   あらかじめ失われた老年の日々よ
   永遠に二十歳に満たない緑の歳月よ
                  (「三」より)

 このように書かれた時の中で「ぼくらは眠る」のであり、「一度も生きたことのないぼくたち/仮想の地平はどこまでも青い」のである。自分が生きる”場”が青いのであればここの流れる”時”もまた青い。

   陽は昇り陽は沈みその向こうに
   織りこまれた青空が透きとおって
   深い無のそよぎのままで燦燦とひるがえっている
   鳥たちが無重力のなかを輪をなして舞っている
   時間はいつまでも青い
                  (「八」より)

 後半のエッセイは詩集と映画をモチーフにして書かれている。取り上げられている詩集は、城戸朱理詩集「非鉄」、田野倉庸一詩集「流紀」そして川口晴美詩集「半島の地図」など。映画はリドリー・スコット監督「エイリアン」と「ブレード・ランナー」、北野武監督「ソナチネ」、青山真治監督「EUREKA(ユリイカ)」など。
 エッセイではより直接的に作者の思いが語られやすい。そしてこちらでも詩編でみられていた世界の終焉の予感がある。

   中くらいのものたちへの視線が再びどことなく希薄化してゆくなかで、世界の趨勢
   はむしろ来るべき再構成に向けた波乱(=戦争)への予感を宿しつつあるようにも
   思えてならない。それは決して望ましい未来ではない。
     (「全てであること、そしてアーカイブ、無限からの照り返しのように」より最終部分)
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