昨秋に出版された詩集をいただいた。第4詩集。93頁に22編を収める。
半分以上を占める1行20文字の散文詩たちが、妖しい。文月には音がはぜ、身を被っていたころもがはぜる。睦月には水を身ごもり、身体は奥の方まで湿ってくるようだ。
「とろみのある肌足を窓辺から出して 不器用にそばだつ葉月」のリフレインが妖しい光景を突きつけてくる「とろみのある葉月」。葉月にはいろいろなものがらあ油の中に漬け込まれて、とろみ、まどろみ、かさなりあい、いたみあいながら、ひとつのものに変容していくのだ。やがては葉月そのものが「とろみのある肌足でかけぬけ」、ゆがみ、ねじれ、うずもれていく。ついには、
「ほら、ここに・・・・・・」といって いまから狂
おうと準備している。
この作品でも、日常を構成している事物がねっとりとしている。そのねっとりと形を変えたものたちが身体に滲み込んでくるようだ。
「系図」では、二月の夜中に兄の片方の足がのしかかってくる。やがてわたしの身体は兄や姉と一体化していくようなのだ。そして「ひとつの生きている系図が生まれる」ようなのだ。
少し毒気のある系図は無形でもあり気体でも
あり幻影のようでもあって 時刻がずれると
きの歪みに新しい芽の系図がついでのように
生まれ それは人の方位が兄の片方の足にも
似て他人の生き死にをうながしていく。
しかし、私には兄も姉もいないのである。では、私は何に絡みつかれているのだろうか。おそらくは、血脈を超えた、生きてあることそのものが”系図”となって私に絡みついているのだろう。
半分以上を占める1行20文字の散文詩たちが、妖しい。文月には音がはぜ、身を被っていたころもがはぜる。睦月には水を身ごもり、身体は奥の方まで湿ってくるようだ。
「とろみのある肌足を窓辺から出して 不器用にそばだつ葉月」のリフレインが妖しい光景を突きつけてくる「とろみのある葉月」。葉月にはいろいろなものがらあ油の中に漬け込まれて、とろみ、まどろみ、かさなりあい、いたみあいながら、ひとつのものに変容していくのだ。やがては葉月そのものが「とろみのある肌足でかけぬけ」、ゆがみ、ねじれ、うずもれていく。ついには、
「ほら、ここに・・・・・・」といって いまから狂
おうと準備している。
この作品でも、日常を構成している事物がねっとりとしている。そのねっとりと形を変えたものたちが身体に滲み込んでくるようだ。
「系図」では、二月の夜中に兄の片方の足がのしかかってくる。やがてわたしの身体は兄や姉と一体化していくようなのだ。そして「ひとつの生きている系図が生まれる」ようなのだ。
少し毒気のある系図は無形でもあり気体でも
あり幻影のようでもあって 時刻がずれると
きの歪みに新しい芽の系図がついでのように
生まれ それは人の方位が兄の片方の足にも
似て他人の生き死にをうながしていく。
しかし、私には兄も姉もいないのである。では、私は何に絡みつかれているのだろうか。おそらくは、血脈を超えた、生きてあることそのものが”系図”となって私に絡みついているのだろう。