瀬崎祐の本棚

http://blog.goo.ne.jp/tak4088

詩集「群青のうた」  中神英子  (2014/05)  思潮社

2014-05-25 23:26:17 | 詩集
 103頁に、普通の形態の行分け詩12編と、少し長い物語のような4編を収める。
 「よる 鳥が来て/わたしのかたちで啼くので/わたしは砂を握り眠る」とはじまる冒頭の「砂丘」。”わたしのかたち”とはどのようなかたちなのだろうか。具体的なものはみえてこないので、なおさらにこの表現に惹かれる。一応は”わたしが砂を握り眠る”理由が説明されているのだが、ここにあらわれたのは説明ではなくて、どこまでも読む者を迷い道に誘う状況の提示である。

   まだくらいうちに
   わたしの方向へ鳥が来て
   わたしのかたちで啼くことを
   わたしは知っているので
   よる
   わたしはわたしの分の砂を握り眠る

 こうして、状況の中に佇んでいるわたしが、なにも守る術がないような頼りなさで言葉に書きとめられている。せめて、と握りしめる砂は指の間から夜の中にかたちもとどめずに落ちていくのだろう。
「どこか片隅に常夜があ」るという作品「常夜」。いつまでも暗い草原にあるわかれ道、そこの道しるべに私宛の古い手紙が風になびいていたのだ。

   ああ、あのひとが私に宛てたもの
   こんなに経ってしまって
   しかも、見つけてしまって
   しらじらとした悔いの中・・・・・・
   私は、くいいるようにその文字を辿る

   それが今日の日の私の道連れ

 常夜は黄泉の国のようでもあり、理想郷のようでもある。「そこには分かれ道があり、古い手紙があ」るのだ。誰もが迷い込むであろう常夜の世界での有り様が見事に語られている。古い手紙の文字を辿ることが出来るのだから、その分かれ道での決断はきっと正しいのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする