北原千代の個人誌。詩2編、翻訳詩1編、それに詩人論1篇。
その中から「草の爪」北原千代。
「草のにおいのするひと」が描かれている。そのひとは「草のうえで 血を流したこと」もあり、「夏の靴をはかせてくれた」りもする。わたしははかせてもらった靴でどこへ行こうとしているのだろうか。わたしはどこまでも受け身であり、そのひとにどこかへ導かれていくような風情もある。
作品の中ほどに「船着き場から果樹園へ 夜をとおってきた果実(くだもの)」という詩句がある。その物語を孕んでみずみずしく熟れているような様に、読んでいる私(瀬崎)までがうっとりとしてしまう。その果実にはもしかすれば苦みもあるのかもしれないと考えながらも。
風が憩み 草のいろが濃い
そのひとに夏はゆっくりと訪れ
いとおしみながら からだを満たした
ひるま食べた果実の匂う爪が くちびるに触れたとき
星座が横たわった
冒すことができないような美しさに溢れている。風が吹き抜け草がそよぐ、そんな美しいものだけでできている世界を夢想してしまうが、それを支えているのは何かしらの強いものであるのだろう。その強いもので必死でなぎ倒してきたものもあったのだろうと、なんとなく思えてしまう。そこが好い。
その中から「草の爪」北原千代。
「草のにおいのするひと」が描かれている。そのひとは「草のうえで 血を流したこと」もあり、「夏の靴をはかせてくれた」りもする。わたしははかせてもらった靴でどこへ行こうとしているのだろうか。わたしはどこまでも受け身であり、そのひとにどこかへ導かれていくような風情もある。
作品の中ほどに「船着き場から果樹園へ 夜をとおってきた果実(くだもの)」という詩句がある。その物語を孕んでみずみずしく熟れているような様に、読んでいる私(瀬崎)までがうっとりとしてしまう。その果実にはもしかすれば苦みもあるのかもしれないと考えながらも。
風が憩み 草のいろが濃い
そのひとに夏はゆっくりと訪れ
いとおしみながら からだを満たした
ひるま食べた果実の匂う爪が くちびるに触れたとき
星座が横たわった
冒すことができないような美しさに溢れている。風が吹き抜け草がそよぐ、そんな美しいものだけでできている世界を夢想してしまうが、それを支えているのは何かしらの強いものであるのだろう。その強いもので必死でなぎ倒してきたものもあったのだろうと、なんとなく思えてしまう。そこが好い。