瀬崎祐の本棚

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詩集「月光博物館」  高岡修  (2013/12)  ジャプラン

2014-01-23 18:55:14 | 詩集
 89頁が3つの章に分けられている。第1章は「世界と、その微分を質量する三行詩」で11編の3行詩、第2章は「世界と、その構造に関するノート」で6編の行分け詩、第3章は「月光博物館」と題した10の部分からなる長編詩1編である。構成にこだわりをみせていて、詩集全体の装丁とも相まって美しい。
 俳句もよくする作者らしい短く切りそろえられた言葉の指し示すものが甘さを排している。

   ひとりの年老いた石工が生涯をかけて石山から彫り出そうとしている一羽の鳥
   ついに言葉の眼差しだけが残る
   一本の鉛筆にも言葉の淫らな川は流れている
                                (「淫らな川」全)

 2章の6編は、それぞれ世界の夕映え、洪水、視姦、殺意、柩、終末の構造について考察しているという体裁になっている。「世界は残像のなかに浮上する」のであって、次第に世界は僕らを視姦するようになり、「僕らは柩構造のなかへ誕生する」というのだ。ここでも言葉によって冷ややかに切りとられたものが差し出されている。
 そして、現実世界が終末を迎えれば、後に残るのは月光に照らされた幻想世界だけなのだろう。

   そこを訪れた人の胸のなかの像が
   いくつもの月光の胸の鏡に映し出されるのだ
   だからといって、ほとんどの場合
   そこに何かが映っているわけではない
   むしろ何も映ってはいない月光の鏡像を
   みずからの胸の内なる像と思ってしまう哀しみが
   僕らの胸の虚ろに満ちるのだ
                      (「月光博物館」05より)
コメント
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