B6版をわずかに大きくした版型の104頁に、18編が収められている。
言葉はどこまでも具体的で、描かれた事物の輪郭や、交わされる会話のどこにも曖昧な部分はない。それなのに、あらわれる風景はどこか奇妙で、世の中の秩序が捻れているようなのだ。サルバドール・ダリの絵を思い浮かべてしまう。空はあくまでも澄み切り、人々は屈託なく笑っているのに、季節は乾ききっているのだ。むろん、その行為も乾ききっている。
「川にテレビを捨てに行く。/昨日は子供を捨てに行った」とはじまる「顔」は、
子供はもうずいぶん捨てたはずなのに
また増えている。
死んでしまった子もいる。
そうしたら匂いになって残り
ある段階を過ぎたら、見えなくなり
音もなく、一艘の船が近づいてきて
子供をここから引きあげていく。
ほとんどの作品は、物語をうねうねとたどっている。そして、作者が必死になって物語を明確に記述しようとすればするほど、事物の形は歪んでくるし、会話は成り立たなくなってくる。
しかし、実はそんなことは先刻承知で、世界の約束ごとを面白がってかき回しているのかもしれない。たしかにかき回されて新しく現出した世界は、とても魅力的なのだ。
言葉はどこまでも具体的で、描かれた事物の輪郭や、交わされる会話のどこにも曖昧な部分はない。それなのに、あらわれる風景はどこか奇妙で、世の中の秩序が捻れているようなのだ。サルバドール・ダリの絵を思い浮かべてしまう。空はあくまでも澄み切り、人々は屈託なく笑っているのに、季節は乾ききっているのだ。むろん、その行為も乾ききっている。
「川にテレビを捨てに行く。/昨日は子供を捨てに行った」とはじまる「顔」は、
子供はもうずいぶん捨てたはずなのに
また増えている。
死んでしまった子もいる。
そうしたら匂いになって残り
ある段階を過ぎたら、見えなくなり
音もなく、一艘の船が近づいてきて
子供をここから引きあげていく。
ほとんどの作品は、物語をうねうねとたどっている。そして、作者が必死になって物語を明確に記述しようとすればするほど、事物の形は歪んでくるし、会話は成り立たなくなってくる。
しかし、実はそんなことは先刻承知で、世界の約束ごとを面白がってかき回しているのかもしれない。たしかにかき回されて新しく現出した世界は、とても魅力的なのだ。