瀬崎祐の本棚

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さちや  147号  (2010/09)  岐阜

2010-11-01 23:58:11 | 「さ行」で始まる詩誌
 「再生」井手ひとみ。
 古いホテルの部屋にやってきて、自分の来る場所を間違えたと思っている。こんな汚れた部屋に来るはずではなかったのだ、と。人生のどこかで何かを間違えたために、こんな場所へたどりついてしまったと。
 大小の違いはあるにしても、悔恨は誰にでもある。あそこで焦らなければ、とか、あそこで幻想を追わなければ、とか、岐路での判断を悔やむ。もし異なる判断をしていれば、こんな汚れた壁の部屋にはいないはずだった、と思うわけだ。この作品でも部屋の「窓を閉じ」、「みどりの木陰を思」っている。

   わたしのいるのはあそこだった
   変容してはいなかったのだ
   ぬたりと重い水を掻く櫂があれば
   いまにも船出するしろいちいさな船のように
   身も心も希望の帆を孕んでいたのに
   気づかなかったのはわたしだったのだ
                                (最終連)

 タイトルは「再生」だが、そんなことが不可能なことは作者も判ったうえでの言葉だ。しかし、と(瀬崎は)考える。今、この汚れた壁の部屋にいる自分だからこそあの船が見えている、ということがあるのではないだろうか。あの船の舳先に立っている自分に乗り移ってみれば、そこはやはり汚れた壁の部屋なのではないだろうか。判断に、もし、という選択の余地はなくて、すべてはその人にとっての必然であったりして・・・。
コメント
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