瀬崎祐の本棚

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宇宙詩人  13号 (2010/10)  愛知

2010-11-11 18:57:40 | 「あ行」で始まる詩誌
 「Cyan」高谷和幸。
 残照の商店街を歩きながらの光景、その光景から喚起されるぼくの独白が散文詩として提示される。Cyan色の空間には、「『人の固有の名前の間隙がつかめなくなった』と言う、運動員が歩いていたりする」。サラリーマンの存在を皮肉に捉えたり、わが子を異分子のように、しかし愛おしく見つめる眼差しがあったりする。

   大音響の運搬車から威勢がよい歌声が聞かれ、
   そのあとをぼくの子ら(踊っているときのぼ
   くは、すごくゆっくり動く)が踊っていた。
   「ハッ!(何かを切るように)ハッ!」はど
   んな分節であったか?

 全体としては、何を言いたいのか、いったい何のことやらさっぱり判らない。その判らないところが面白い。もちろん、判らなくてつまらない詩はいくらでもある。というか、判らない詩の大半はつまらない。この作品が何故面白いのかというと、独白がぼくと密着していながら客観的な視点を持っているところだろう。

   扨、バスの停車場のベンチでは、青く浮いた血
   管のかたまりの、遠い地球のバイタルな夕暮れ
   に、「共食いをしたぼくの子」を返してくれる
   よう懇願した。
                        (最終部分)

 Cyanは綺麗だけれども少し冷たい色合いで物事を染める。眠りから覚めたばかりのような曖昧な気持ちで、そんな新しい色合いの世界を彷徨っている。無意識の流れで書いているようでいながら、自分の独白にいささかも酔っていないし、美しいものを造りあげようと意識もしているのだろう。
コメント
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