「なほうらめしき」倉田良成。
飲酒についての散文詩なのだが、まるでエッセイのような面持ちである。若いころに巷で、地元で、酒を飲む。深酒をした時の肉体的反応には個人差が大きいが、話者の場合は寝てしまい、翌朝目ざめた時の気分不快が並大抵ではなかったと。それなのに、夜が訪れると共にふたたび酒を口にするのだ。
私(瀬崎)は酒に弱く、一定量を過ぎると体が受け付けなくなる。そのために古来からの大酒飲みの詩文を読むにつけ、酒を求める心は、こんなにまでなるものなのかと驚嘆してきた。それは強さなのか、弱さなのか、それともそんな次元で語ることではないのか。イスラム教徒は酒を口にしないが、それは神以外のものに心惹かれることを禁じる心から来ているのだそうだ。
その後も中野にあった学生寮や、妙法寺裏、巣鴨の友人の部
屋などに流連荒亡をつづけ、死んだ目で迎える地獄の朝と、
また巡ってくる輝ける夜の闇のはざまで、もう家には帰らず
に、いまも飲み続けている小さな私の影がある。
(最終部分)
藤原道伸の歌「明ぬればくるヽものとはしりながらなほうらめしきあさぼらけかな」が牽かれている。ま、これは二日酔いの歌ではないのだろうけれども、この歌をそれに見立てたところに洒落心があらわれている。
飲酒についての散文詩なのだが、まるでエッセイのような面持ちである。若いころに巷で、地元で、酒を飲む。深酒をした時の肉体的反応には個人差が大きいが、話者の場合は寝てしまい、翌朝目ざめた時の気分不快が並大抵ではなかったと。それなのに、夜が訪れると共にふたたび酒を口にするのだ。
私(瀬崎)は酒に弱く、一定量を過ぎると体が受け付けなくなる。そのために古来からの大酒飲みの詩文を読むにつけ、酒を求める心は、こんなにまでなるものなのかと驚嘆してきた。それは強さなのか、弱さなのか、それともそんな次元で語ることではないのか。イスラム教徒は酒を口にしないが、それは神以外のものに心惹かれることを禁じる心から来ているのだそうだ。
その後も中野にあった学生寮や、妙法寺裏、巣鴨の友人の部
屋などに流連荒亡をつづけ、死んだ目で迎える地獄の朝と、
また巡ってくる輝ける夜の闇のはざまで、もう家には帰らず
に、いまも飲み続けている小さな私の影がある。
(最終部分)
藤原道伸の歌「明ぬればくるヽものとはしりながらなほうらめしきあさぼらけかな」が牽かれている。ま、これは二日酔いの歌ではないのだろうけれども、この歌をそれに見立てたところに洒落心があらわれている。