第3詩集で21世紀詩人叢書の1冊。117頁に26編を収める。一色真理の解説が付く。
ふたつの章に分けられているが、1章での作品が魚や蛙を題材にして作品全体が寓意性の高いものになっているのに比して、2章の作品は人の営みをそのまま詩っている。
巻頭の作品「肺魚」は、太古からの形態をそのままとどめている魚、肺魚を題材としている。他の魚にはない肺を持っているのだが、その肺に「あのころの/なにを詰め隠しているのだろうか」といぶかしく思っている。
太古の祖先たちが
向きあわねばならなかった試練を
いつしか末裔たちはウキ袋にして
ひたすら水の重さを絶えつづけているにちがいない
とにかく生きのびてきたのだ
矛盾を抱え込んだままひたすら辻褄を合わせようとして
隠し持たなければならないものを持っているがために、珍妙な形になろうとも、肺を捨てることもできなかったのだろう。その姿は、もちろん作者自身に重なってくるのだろう。
最終連では、「鱗をはぎ取って/なかをひらいてみたいものだ」と書くが、はたしてそれを見ることは許されるのだろうか。数億年にわたって耐えてきたものが隠されているわけだから。
ふたつの章に分けられているが、1章での作品が魚や蛙を題材にして作品全体が寓意性の高いものになっているのに比して、2章の作品は人の営みをそのまま詩っている。
巻頭の作品「肺魚」は、太古からの形態をそのままとどめている魚、肺魚を題材としている。他の魚にはない肺を持っているのだが、その肺に「あのころの/なにを詰め隠しているのだろうか」といぶかしく思っている。
太古の祖先たちが
向きあわねばならなかった試練を
いつしか末裔たちはウキ袋にして
ひたすら水の重さを絶えつづけているにちがいない
とにかく生きのびてきたのだ
矛盾を抱え込んだままひたすら辻褄を合わせようとして
隠し持たなければならないものを持っているがために、珍妙な形になろうとも、肺を捨てることもできなかったのだろう。その姿は、もちろん作者自身に重なってくるのだろう。
最終連では、「鱗をはぎ取って/なかをひらいてみたいものだ」と書くが、はたしてそれを見ることは許されるのだろうか。数億年にわたって耐えてきたものが隠されているわけだから。