「つづくのがとてもいやになってしまって/ひとりひとり/刺身みたいに切れていたらどうだろう」ではじまる廿楽順治「それから」は、人間関係の煩わしさを忌避して、そんなつながりをすべて断ち切ってしまいたいとの思いである。切れている状態の直喩の「刺身みたいに」がイメージを広げている。このイメージは、最終部分に出てくる自分の身体を切り開くところへの布石ともなっている。人間関係を切ってしまうための決意も必要となるわけだが、
湖
に落ちていった友だちはひとり
なにかを探しにいったわけではないし
捨てにいったわけでもない
この空に
つづいていたくなかっただけ
それから
わたしたちは腹部をひらいて鏡をわった
ひとは煮ても焼いてもくえないのさ (最終部分)
ついには「この空」という生命とのつながりも切るために水の中の存在を選ぶ友だちもいたわけだ。決して「それから」ではなく、今も、ひとは危うく存在していることに自虐的に居直っている。
湖
に落ちていった友だちはひとり
なにかを探しにいったわけではないし
捨てにいったわけでもない
この空に
つづいていたくなかっただけ
それから
わたしたちは腹部をひらいて鏡をわった
ひとは煮ても焼いてもくえないのさ (最終部分)
ついには「この空」という生命とのつながりも切るために水の中の存在を選ぶ友だちもいたわけだ。決して「それから」ではなく、今も、ひとは危うく存在していることに自虐的に居直っている。