「現代詩の新鋭」シリーズの1冊。99頁で22編を収める。
どの作品ででもひたすらに語っているのだが、それを聞いているのは自分である。自分との対話をすることにより、自分が置かれている状況を確かめている。それは置かれている状況のなかで自分がなにものであるのかを確かめることに他ならない。
ズとすするつかの間の休憩
なかなか私も頑張るものだよ
やるねぇ本当に 味わいながら
お茶で幸福を飲み続けるんだ
漬けられ味が染みこんで来た
私を、
お茶受けに噛み締めて (「卒論漬けで今日、明日」より)
ちょっと間違えると自分の中だけで共鳴しているだけの閉塞してしまった言葉になるところなのだが、そんな状況を傍らからも見ようとしている視点がある。だから、きわどい地点で踏みとどまっていて、自分以外の者にも語られる言葉として成立している。すると、すこぶる面白い読み物として立ち上がってくる。それこそ、なかなかやるねぇ、本当に。
どの作品ででもひたすらに語っているのだが、それを聞いているのは自分である。自分との対話をすることにより、自分が置かれている状況を確かめている。それは置かれている状況のなかで自分がなにものであるのかを確かめることに他ならない。
ズとすするつかの間の休憩
なかなか私も頑張るものだよ
やるねぇ本当に 味わいながら
お茶で幸福を飲み続けるんだ
漬けられ味が染みこんで来た
私を、
お茶受けに噛み締めて (「卒論漬けで今日、明日」より)
ちょっと間違えると自分の中だけで共鳴しているだけの閉塞してしまった言葉になるところなのだが、そんな状況を傍らからも見ようとしている視点がある。だから、きわどい地点で踏みとどまっていて、自分以外の者にも語られる言葉として成立している。すると、すこぶる面白い読み物として立ち上がってくる。それこそ、なかなかやるねぇ、本当に。