近藤弘文の個人誌の第1号。個人誌と言っても、詩をプリントしたA4版の用紙をホッチキスで留めた簡易なものである。しかし、詩誌は体裁ではないことがよくわかる。3編の詩がもつ作品世界はとても広く、こういった簡易な形式であってもかまわないから作品を解き放ちたいのだという気概を感じる。
「知ってる?彼らは/ブレーメンには行かないんだ」で始まる「ブレーメンの音楽隊」は13行の短い作品。うわべは平易な表現で物語をなぞっているだけのように見えて、だから無邪気なように見えているのだが、何かが不気味だ。
ここにはいないわたしを
年老いたロバ
狩りのできなくなった犬
ねずみを捕れなくなった猫
スープにされそうになる鶏
そうして音程のはずれた
わたしをむかえにやってくる
ほら、ブレーメンの音楽隊だよ (後半部分)
はじめの「知ってる?」に呼応するような最後の「ほら、・・・だよ」という話し言葉調が、妙になれなれしいくせに、突き放すような残酷な一面ものぞかせている。だいたいが「ここにはいないわたしを」はどこにつながるのかが曖昧である。それに、背中だけの存在である彼らは「いないわたし」をどうやって迎えにくるのだ。ブレーメンに行かないのであれば、わたしはどこへ連れて行かれるのだ? 軽い調子で読める作品なのに、とても不気味だ。
「知ってる?彼らは/ブレーメンには行かないんだ」で始まる「ブレーメンの音楽隊」は13行の短い作品。うわべは平易な表現で物語をなぞっているだけのように見えて、だから無邪気なように見えているのだが、何かが不気味だ。
ここにはいないわたしを
年老いたロバ
狩りのできなくなった犬
ねずみを捕れなくなった猫
スープにされそうになる鶏
そうして音程のはずれた
わたしをむかえにやってくる
ほら、ブレーメンの音楽隊だよ (後半部分)
はじめの「知ってる?」に呼応するような最後の「ほら、・・・だよ」という話し言葉調が、妙になれなれしいくせに、突き放すような残酷な一面ものぞかせている。だいたいが「ここにはいないわたしを」はどこにつながるのかが曖昧である。それに、背中だけの存在である彼らは「いないわたし」をどうやって迎えにくるのだ。ブレーメンに行かないのであれば、わたしはどこへ連れて行かれるのだ? 軽い調子で読める作品なのに、とても不気味だ。