たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

静かな山里

2017-06-30 10:44:50 | 熊野の神社

<五郷町・湯谷地区>

 

柳谷・滝神社への参拝を終え、

次の目的地へと車を進めること約15分。

国道169号と国道309号とが交差するあたりで、

熊野市五郷町という地区に差し掛かります。

学校や郵便局などが立ち並ぶその一帯は、

典型的な山間集落の中心部といった風情の

穏やかでゆったりとした空気が漂い、

「いよいよ山を抜けたか」という安堵感に、

自然と心が緩んでいくようです。

 

事前の調査段階では、このような場所の一角に、

目指す神社があると想像していたのですが、

そんな思惑と裏腹にナビが示していたのは、

中心地からさらに山のほうへと続く山道です。

再び森の中へと突入してからほどなく、

いくつかの民家を経た先に見えてきたのが、

湯谷という世帯数10軒ほどの静かな山里でした。


聖域の一部

2017-06-29 10:19:56 | 熊野の神社

<神木・原地神社 こうのぎはらじじんじゃ>

 

熊野の神社の中では珍しく、

「外向き」のムードを感じさせる

御浜町・神木の原地神社ですが、

何本もの大木が境内を取り囲む様子は、

「さすが」と言いたくなるような

熊野の自然美にあふれた光景です。

 

古い祭壇跡こそ見つからなかったものの、

境内の横を流れる小川の雰囲気は、

赤木川流域などで見かけた

いくつかの元無社殿神社とよく似ており、

「川をご神体とする無社殿神社」ととらえても、

あながち間違いではないような気もします。

 

熊野三山や他の自然信仰の遺跡などと比べると、

少々インパクトに欠けるのも確かですが、

この原地神社という場所が、

熊野という広大な聖域の一部であることもまた、

疑いようのない事実なのでしょう。


暖色系の神社

2017-06-28 10:17:24 | 熊野の神社

<神木・原地神社 こうのぎはらじじんじゃ>

 

神木のイヌマキからそう遠くないところに、

原地神社という土地の氏神さまがあります。

近くの民家の庭先には、

オレンジ色のミカンの果実がびっしりと実り、

その向こうでは、黄色い菜の花と深紅の椿が

競うようにして、神様の御殿を

春の装いへと衣替えしている最中でした。

 

御浜町・神木の原地神社は、

社殿を取り囲む自然石の石垣や、

神域に敷き詰められた浜石こそ、

熊野らしい重厚感を漂わせているものの、

全体的には軽やかなご神気が漂う場所です。

 

明るく開けた平坦な土地にあるせいか、

この地独特の「陰」のような部分が消え、

参道に沿って立てられた赤い幟ですら、

温かい色味が似合うこの神社を、

引き立てているような気がしました。


それぞれの個性

2017-06-27 10:35:57 |  無社殿神社2

<神木のイヌマキ こうのぎのいぬまき>

 

熊野の山海を巡っている最中、

たくさんのご神木や巨樹に出会いましたが、

その姿をじっくりと眺めてみますと、

どれもが個性的な風貌を持ち、

ひとつとして同じ形の木はありません。

まるで暗闇で息をひそめるマンモス象のごとく、

動物的な胎動を宿していた引作の大楠に比べ、

こちらの神木のイヌマキのほうは、

まさに「ご神木」という表現がぴったりの

すっきりとしたクセのない印象の立ち姿です。

 

天に向かってまっすぐに伸びるその容姿は、

集落の土地柄をあらわしているのでしょうか。

近年、このご神木の前に地元の人々が集まり、

ご神事やお祭りを執り行っていると聞きます。

有志の方々が太鼓を叩いたり音楽を奏でたりと、

手作り感あふれる小さなイベントのようですが、

この神木イヌマキの周りには、

そんな素朴でのんびりとした光景が

よく似合うような気がしました。


狩りかけの宮

2017-06-26 10:33:28 |  無社殿神社2

<神木のイヌマキ こうのぎのいぬまき>

 

神木のイヌマキがある場所には、

もともと神社があったと聞きますが、

明治時代に別の場所に移され、

巨木だけが残されたそうです。

この地を訪れる人は珍しくはないのか、

すれ違った地元の方々も、

さほど部外者を気に留めない様子で、

さらりと挨拶をしてくれます。

 

独特の清涼感を伴う朝の風に促され、

ご神木のほうへと近づいてみると、

木の根元には「狩りかけの宮」

と書かれた石と賽銭箱があり、

周囲には白い玉石が敷いてありました。

 

二重の板玉垣に囲まれたその神域は、

そこそこのスペースがあるものの、

イヌマキの圧倒的な存在感に気圧されて、

見た目以上に狭く感じられます。

このように社殿や祭壇を持たない場所でも、

白い石が奉納されているところを見ると、

やはり浜石の風習は、熊野の全域に

広がっていたのかもしれません。


もうひとつの巨木

2017-06-25 15:30:35 |  無社殿神社2

<神木のイヌマキ こうのぎのいぬまき>

 

引作の大楠を要する南牟婁郡・御浜町には、

ぜひご紹介したいもうひとつの巨木が存在しています。

育生町・赤倉地区を目指す途中で立ち寄ったその場所は、

ちょうど朝の通勤・通学時間と重なり、

近所の人たちの車が入れ代わり立ち代わり、

小さな川沿いの細道を走り抜けて行きました。

 

段々畑が広がるのどかな山間の集落には、

この地の名産品であるオレンジ色のミカンが、

早咲きの桜の花とともに彩りを添えています。

そんな牧歌的な景色の中で、

ひときわ異彩を放っていたのが、

澄んだ早朝の青空をバッグに、

堂々とした姿でそびえ立つ「神木のイヌマキ」でした。


熊楠の思い

2017-06-24 10:36:00 |  無社殿神社2

<引作の大楠 ひきづくりのおおぐす>

 

およそ15mの幹回りを誇る

「引作の大楠」がそびえ立つ、

南牟婁郡・御浜町の巨樹信仰の聖地には、

かつてそれに匹敵するような大きさの

何本もの大樹が集まっていたそうです。

明治時代の神社合祀令により、

そのほとんどが伐採される中、

この大楠だけが奇跡的に

生き延びることができました。

 

伊勢・式年遷宮に関連する儀式の中で行われた、

ご用材の切り出しの様子を見てもわかるように、

私たち日本人が「木」に抱いてきた畏敬の念は、

神様に対するそれと同等です。

命ある「生き物」として丁寧に扱われ、

特に樹齢の長い木を切り倒す際には、

祝詞を詠みあげたり、お神酒を捧げたりと、

細心の注意を払ってきました。

 

自らの名に「楠」を宿す南方熊楠は、

引作の大楠の中に植物を超越した、

「生き物」としての鼓動を感じ取ったのでしょう。

単なる文化財保護の運動ではなく、

生きている「命」を守ろうとしたのです。

人間が他人の命を見捨てられないのと同様、

仲間たちを失った引作の大楠の無念の叫びを、

心を切り裂かれるような思いで

聞いていたのかもしれません。


心を宿した巨人

2017-06-23 10:33:57 |  無社殿神社2

<引作の大楠 ひきづくりのおおぐす>

 

熊野の巨樹信仰の名残を今に伝える、

引作の大楠を間近で目にしたとき、

思わず「巨大な恐竜の足だ…」と

心の中でつぶやいてしまったほど、

岩壁のようにゴツゴツとした肌を持つその古木は、

植物というより動物に近い波動を放っていました。

「境内にある大きな木」はたくさん見てきましたが、

もはや境内がどこにあるかすらわからないくらい、

圧倒的な大きさを誇る巨樹は、

なかなかお目にかかれるものではありません。

 

その「逆転現象」とでも表現すべき、

特異な神域の様子を眺めておりますと、

神社の境内や建物が祈りの対象なのではなく、

自然物そのものが信仰の大元であるということが、

誰に聞くまでもなくはっきりと伝わってきます。

日没間近の薄暗くヒンヤリとした空気の中で、

白黒のマンモスと化したその木は、

まるで永遠の心を宿した巨人のように、

足元にいる私のことを静かに見下ろしていました。


奇跡の楠

2017-06-22 10:31:33 |  無社殿神社2

<引作の大楠 ひきづくりのおおぐす>

 

自然信仰の痕跡があちこちに残る熊野という地には、

これまでご紹介してきた「巨石」「川滝」だけでなく、

スケールの大きな「巨木」の類もたくさん見られます。

かつて南方熊楠が一生をかけて神社を守ろうとしたのは、

「鎮守の森」に育まれた多種多様な樹木の中に、

「命の源」があると知っていたからなのでした。

 

巨木信仰の名残とも言うべきこれらの場所は、

ほとんどの場合、神社境内の一角に置かれていますが、

中には巨大な樹木の存在があったからこそ、

人々の畏敬の念を引き寄せ、次第に「神社」へと

その姿を変えたようなところも少なからずあります。

 

南牟婁郡・御浜町にある引作の大楠は、

日本を代表する民俗学者・柳田国男が、

南方熊楠の呼びかけに応じて協力を申し出、

国に働きかけた結果、伐採を免れた奇跡の楠です。

遠方からでも確認できるその規格外の「生き物」は、

近づいていくうちにさらに凄みを増して行きました。


流す性質

2017-06-21 10:28:39 | 熊野の神社

<柳谷・滝神社 やなぎだにたきじんじゃ>

 

続々と登場する巨岩パワーに圧倒されたまま、

次の目的地へと向かった私を待っていたのは、

清らかな小川のそばに鎮座する

「滝」をご神体とする神社でした。

熊野地域の神社を調べているときから、

なぜか気になって仕方がなかった場所で、

無社殿神社であるという確証はなかったものの、

「滝神社」の文字を目にするたびに、

「ここは行かねばならぬ」と何かが訴えかけるのです。

 

実際に滝神社を訪れてみますと、そのときの直感は

決して間違っていなかったと実感するもの。

幾分容量オーバーとなっていた心身の状態が、

清浄な川の流れと可憐な花々の癒やし効果により、

ゆっくりと正常値に戻って行くのを感じました。

よい聖地には必ず「よい水」の存在があるのも、

参拝前に禊をするという意味だけでなく、

特殊な空間でつけた(憑けた)余計なモノを、

参拝後に流す効果があるのかもしれません。


神への献上品

2017-06-20 10:25:01 | 熊野の神社

<柳谷・滝神社 やなぎだにたきじんじゃ>

 

森の中にある柳谷・滝神社の境内に、

不思議なほどの白さをもたらしていたのは、

木々の間からキラキラと降り注ぐ日光と、

足元に咲くバイカオウレンの花々でした。

まるで豆電球を灯したかのように、

純白に輝くその可憐な姿は、

この神社の見どころのひとつで、

2月下旬から3月にかけてのピーク時には、

境内のあちこちに群生するそうです。

 

訪れた日は、すでに見頃を過ぎていましたが、

膝を折って地面にしゃがみ込むと、

その梅の形にも似た5弁の花びらが、

苔の絨毯に織り込まれた文様のように見えます。

他の色を惹き立てる薄く白い花弁の透明感、

ひと目を避けるようにして咲く遠慮がちな姿、

いかにも日本人好みのどこかはかなげなその花は、

のちにご祭神となった天照太御神への

氏子たちからの献上の品なのかもしれません。


崇敬の証

2017-06-19 10:22:29 | 熊野の神社

 

<柳谷・滝神社 やなぎだにたきじんじゃ>

 

一見社務所と見間違うような、

柳谷・滝神社の現代風の造りの社殿の前で、

参拝のご挨拶をしてから裏手へと回ってみますと、

そこにもやはり「矢倉」の痕跡がありました。

改めて周囲を見渡してみれば、境内だけでなく、

神域全体をぐるっと取り囲むようにして、

長い石垣が二重に張り巡らされています。

 

恐らくほんのちょっと前までは、

滝そのものを拝む無社殿神社だったのでしょう。

かつては滝の上の丘に鎮座していたそうですから、

社殿だけでなく石垣(瑞垣)なども、

のちに作られたものかもしれません。

 

小さな集落の氏神とは思えないほど、

隅々にまで管理が行き届いた境内には、

地元の人々の信仰心が強く感じられます。

社殿という崇敬の証の人工建造物も、

この神社の大事な要素のひとつとして、

しっくりと風景に馴染んでいました。


滝を祀る神社

2017-06-18 10:16:12 | 熊野の神社

<柳谷・滝神社 やなぎだにたきじんじゃ>

 

神川町の柳谷という集落にある神社を目指し、

川沿いの参道をほんの数分歩いたところで、

川の両岸を結ぶようにしてかけられた

細く長いしめ縄が視界に入りました。

白い幣束と房のついた藁飾りが、

規則正しい間隔で結び付けられ、

川面を渡る涼やかな風に揺れています。

 

「滝神社」の名が示す通り、この神社のご神体は、

しめ縄の向こうに流れ落ちる滝なのでしょう。

訪れた日はかなり水の量も少なく、

川底の岩が見えているような状態でしたが、

ひとたび大雨に見舞われれば、

瞬時にして別の顔をむき出しにするような、

危うい二面性も漂わせる場所です。

 

二手に分かれた参道の一方を選び、

さらに山の中へと進んで行くと、

想像以上に広々とした境内に出ます。

森を整備している途中なのか、

周囲の木々は倒され枯れているものの、

整然と掃き清められてた神域は、

薄布で覆われているかのように、

白々と浮き上がって見えました。


癒しの散歩道

2017-06-17 10:12:15 | 熊野の神社

熊野市・神川町柳谷

 

北山村にある「道の駅おくとろ」から、

国道169号線を奈良方面へと車を走らせますと、

次第に国道とは思えないほど道が狭まり、

集落の家並みもぱったりと見えなくなります。

対向車ともほとんどすれ違わないまま、

左手に七色ダムが見えてきたころには、

あたり一帯「見慣れた」山の景色が広がっていました。

 

七色ダムに沿って伸びる国道を道なりに進んだ先に、

熊野市・神川町柳谷へと続く曲がり角があります。

お約束のように出現した細い山道を、

もはや何の躊躇もなく走り切ったところで、

視界がパッと明るく開け、前方に見えてきたのは、

次の目的地である神社をお守りする集落です。

 

民家の手前には、小さな橋がかけられており、

その下を流れる小川を伝うようにして、

固く踏みしめられた遊歩道が続いています。

整備されたトレッキングコースを思わせる、

その安全かつ歩きやすい道は、

ハードな山巡りをしてきた心身にとって、

自然にすべてをゆだねられる癒しの散歩道でした。


川筋の力

2017-06-16 10:09:01 |  無社殿神社2

<北山村>

 

行政上は和歌山県に籍を置いているにも関わらず、

和歌山県のどの市町村とも隣接しない北山村は、

地理的には「奈良県」に属するような場所です。

ただし、古くから盛んだった林業の関係で、

川下に位置する新宮市との

つながりのほうが深かったため、

和歌山県に編入されることが決まったと聞きます。

法令によって定められた事務的な線引きよりも、

「川筋の力」のほうが勝ったのかもしれません。

 

現在は、日本全国に張り巡らされた道路のおかげで、

一般人も簡単に山の奥地を訪れることができますが、

昔は「川」こそが命の綱である唯一の道でした。

下流で暮らす人々や、熊野灘へと着いた渡来人は、

川を遡りながら「新しい何か」を

山の民に伝えて行ったのでしょう。

悠々と流れる北山川の流れを眺めていますと、

古くから「川」が果たしてきた

役目の大きさが伝わってくるようです。