たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

波乱の雨

2017-10-31 10:05:32 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

「こういう時は荒れるんだよね…」

3日間にわたる祭典の間、一時も止まず

雨が降り続いた今回の神嘗祭について、

神宮近くで暮らしている地元の方は、

ふとこんな感想を漏らしていました。

晴れ、雨、曇り、雪、大風の日など、

様々な気象条件の下で執り行われた、

祭典を長年見続けてきたきたその方は、

お祭りと天気、そして時勢との関わりが、

何となくつながって見えるのだそうです。

 

とりわけ今回の神嘗祭は、

これからしばらく続くであろう

黒田清子祭主の時代が始まった節目ゆえ、

「清子様への重圧は相当なものになる」と、

今後の展開を案じておられました。

ちなみに、神宮の関係者いわく、

「神嘗祭の祭典が3日間とも

雨だったことは記憶にない」のだとか。

言い換えれば、それだけ日本の現状が

切羽詰まっている証拠なのかもしれません。


雨の暗示

2017-10-30 10:03:34 | 伊勢神宮

<五十鈴川>

 

内宮での深夜の儀式が執り行われる

16日の夜から翌日の朝にかけても、

伊勢の地には容赦なく雨が叩きつけていました。

内宮参道そばにある五十鈴川の御手洗場には、

川からあふれた水が波打つように押し寄せ、

川原の岩に乗り上げた激流が渦を巻きながら、

下流のほうに向かって流れて行きます。

その日私が目にしたのは、

普段の楚々とした姿とはかけ離れた、

「五十鈴川の裏の顔」でした。

 

17日のお昼ごろには、雨が上がる予報だったものの、

結局、内宮の奉幣の儀が終わるまで雨が降り続き、

傘を差さずに済むくらいにまで天候が回復したのは、

すべての役目を終えた清子様が、

宇治橋の鳥居を出られたときです。

神宮のお正月でもある神嘗祭の雨は、

お清めの雨なのか、それとも恵みの雨なのか、

もしかすると何かの暗示だったのかもしれません。


清めの雨

2017-10-29 09:52:07 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

神宮にまつわる「都市伝説」として、

「皇室の方が参拝をされるときは雨が止む」

という逸話がささやかれています。

特に、天皇陛下や皇后陛下の参拝時、

どれほど大雨が降っていたとしても、

両陛下がお出ましになったとたん、

不思議と雨が上がってしまうそうです。

しかし今回は、外宮の奉幣の儀が近づくにつれ、

雨脚は弱まるどころか逆に強くなって行きました。

 

ちなみに神宮では、「清めの雨」と言って、

雨の日の参拝を「慶いこと」と捉えています。

清子様のお名前には「清」が入っていますから、

もしかすると雨とのご縁が強いのでしょうか…。

そんな妄想を後押しするかのように、

清子様が鳥居の向こうから姿をあらわしたとき、

降っていた雨の勢いはピークに達し、

頭上から大きな雨粒が音を立てて落ちてきたのです。


未経験の雨

2017-10-28 09:42:03 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

翌日の早朝、目覚めてすぐにカーテンを開けると、

明らかに外はどんよりとした雨模様でした。

何度ニュースの天気予報を確認しても、

一日を通して天候が回復する兆しは見られず、

さらには今日だけではなく明日にかけても、

本格的な雨が降り続く予想が出ています。

16日の昼は、外宮にて「奉幣の儀」が執り行われ、

真夜中からは2つの祭典が内宮で始まるのですが、

恐らくこの調子で行けば、一日中雨模様でしょう。

 

外宮で顔を合わせた地元の知り合いの方に、

「この時期は雨が多いのですか?」と聞くと、

「降ることは降るけど今回は珍しい」とのこと。

何でも、外宮と内宮のどちらか一方の祭典が、

雨の日に当たったケースはあるものの、

連続で雨になることは滅多にないのだそう。

祭典の警備に当たられていた衛士の方も、

「過去に経験がない」とおっしゃっていました。


雨の伊勢

2017-10-27 09:36:20 | 伊勢神宮

<外宮参道>

 

内宮での御卜の儀が終わったのち、

15日~16日の深夜から早朝にかけて、まずは外宮で、

「由貴夕大御饌祭(ゆきのゆうべのおおみけさい)」

「由貴朝大御饌祭(ゆきのあしたのおおみけさい)」

という祭典が、浄闇の中粛々と執り行われます。

 

伊勢市のホテルに宿泊した15日の晩は、

長距離移動の疲れと、雨の中を延々と

歩き続けたことによる体力の消耗により、

心身ともに疲労困憊していたにも関わらず、

夜中の祭典が行われる時間になると、

なぜかふと目が覚めてしまいました。

 

カーテンを開けて外の景色に目を凝らせば、

道路のアスファルトが湖面のように水を湛え、

街灯や信号機の明かりを反射しています。

過去にも、参拝のために伊勢を訪れた際、

何度か本降りの雨には遭遇しましたが、

今回はいつもと様子が違うようです。

 

この勢いを見る限り、3日間の祭典の間中、

雨は止むことなく降り続けるかもしれません。

恐らく、これから始まる真夜中の祭典も、

降りしきる雨の中で執り行われるのでしょう。

ひと気のない伊勢の町を眺めながら、

絶え間なく降り注ぐ真夜中の雨の音に、

しばらくの間じっと耳を傾けていました。


雨の洗礼

2017-10-26 09:27:18 | 伊勢神宮

<伊勢市駅前>

 

伊勢に入ってまず出迎えてくれたのが、

まさに「本降り」という言葉がぴったりの

季節を先取りしたかのような冷たい雨でした。

外宮へと向かう道すがら、神嘗祭に合わせて

全国各地から芸能の奉納にやってきた人々が、

あちこちで踊りや歌を披露していたのですが、

ほとんどの団体は上着やレインコートを着こみ、

雨や寒さを気にしながらの実演を余儀なくされ、

「せっかくのお披露目の日なのに…」と、

少々気の毒になってしまったほどです。

 

夕方から行われる「御卜(みうら)」を前に、

まずは外宮の神様にお参りをすべく、

小一時間程度、外宮内を散策している最中も、

一向に雨が収まる気配はないどころか、

ますます降雨量は増えて行きます。

すでに靴は濡れ、靴下にまで雨水が浸透し、

次第に足元からヒンヤリとした感覚が、

身体全体にまで広がってきました。

そして、外宮から内宮へと移動し、

御卜の儀が始まってからもずっと、

頭上からは雨が降り注いでいたのです。


神宮の異変

2017-10-25 09:20:28 | 伊勢神宮

<まがたま池>

 

伊勢に通い詰めておりますうちに、

長年、神宮の祭典を見続けてきた、

地元の人々と顔見知りになりました。

それらの方たちの話では、

今回の神宮祭主の引き継ぎに関し、

「こんなに早い時期に、清子様が

祭主になるとは思わなかった」とのこと。

 

と言いますのも、ここ数か月の間に、

式年遷宮を完遂した鷹司大宮司が退任し、

小松大宮司が職を引き継いだだけでなく、

警備方の責任者なども交代したため、

清子様が祭主に就任するのは、

「天皇陛下がご譲位された後だろう」

という予測があったのだそうです。

 

「一般の会社で例えれば、

社長と副社長と専務が、

一斉に入れ替わったようなもの」 と、

非常に驚いておられましたが、

つまりそれだけ時代の変わり目が

差し迫っている証拠なのでしょう。

そしてさらに「神宮の異変」は、

人事だけに留まらなかったのです。


神宮の正月

2017-10-24 09:11:37 | 伊勢神宮

<おかげ横丁>

 

神嘗祭(かんなめさい)と申しますお祭りは、

「神嘗正月」「神宮の正月」とも呼ばれる

神宮祭典の中でも最も重要視される行事で、

およそ10日かけ、神宮所管のすべてお宮にて、

順次、国家繁栄を願うご神事を執り行います。

それらの祭典の中でも、まず最初に行われるのが、

「興玉神祭(おきたましんさい)」「御卜(みうら)」

「由貴夕大御饌祭(ゆきのゆうべのおおみけさい)」

「由貴朝大御饌祭(ゆきのあしたのおおみけさい)」

「奉幣(ほうへい)」「御神楽(みかぐら)」で、

いずれも、内宮と外宮で3日間に渡って催行され、

その間ほぼすべての祭典を祭主が取り仕切るのです。

 

ちなみに、私たちのような一般人が拝見できるのは、

神宮の開門から閉門までに行われる祭事の一部であり、

そのほとんどは「秘儀」として公には公開されません。

とりわけ重要な神事は、夜の浄闇の中で行われるため、

一度お祭りがはじまれば、祭主はもちろんのこと、

大宮司や神職も、心身の緊張を解く暇さえなく、

次々と祭典に臨まなければならなくなります。

雨雪などの荒天時には、幾分配慮がされるものの、

長時間の屋外での神事に挑むためには、

想像以上の気力体力が必要でしょう。

先日退任した池田祭主は、すでに80歳を越えられており、

お身体にかかる負担は相当なものだったと思われます。


神宮祭主

2017-10-23 09:56:40 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

先日行われた伊勢神宮の神嘗祭から、

天皇陛下の長女である黒田清子様が、

正式な祭主として就任されました。

すでに、ご高齢の池田祭主の補佐として、

式年遷宮の主要祭典を取り仕切った経緯もあり、

今回の就任もほぼ既定路線ではあったものの、

このタイミングでの祭主の引き継ぎというのは、

まさしく「神意」のような気がしてなりません。

 

ちなみに私自身、神嘗祭の期間は、

別エリアに出かける予定を立てており、

伊勢を訪れるつもりはなかったのですが、

清子様が今回の祭典よりご奉仕されると聞いてから、

どうにもこうにも胸騒ぎがして心が落ち着かず…。

「やはり行かなければ」という強い思いにかられ、

急きょ旅の最後に伊勢への立ち寄りを決め、

2年ぶりの神嘗祭を見届けることにしました。


神様ごと

2017-10-22 09:51:45 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

天皇の最たる役目は「神事を行うこと」であり、

とりわけ今上天皇の神事へのご熱意は、

歴代天皇の中でも群を抜いていると聞きます。

また、伊勢神宮の神職の方々に関しても、

「まずは神事、あとに他の仕事」なのだとか。

つまり、それくらいの覚悟がなければ、

神に仕える資格はないのかもしれません。

 

前回の式年遷宮で、ご高齢の池田祭主の代わりに、

黒田清子様が深夜の祭事等を引き受けられのも、

真夜中や夜明けのお祭り事へのご奉仕が、

いかに過酷なお役目であるかの証拠でしょう。

私たちは「昼間の天皇陛下」「昼間の神宮」

にしか目を向けていませんが、

実際には「陰で行われている神事」のほうが、

何倍も重要かつ過酷な内容なのです。

 

世の中には、自らの開運や国のための開運を装い、

「神様ごと」を真似る人がたくさんいます。

ただ、天皇陛下や祭主・神宮神職の陰の姿を見れば、

本来の神事の意図から外れているのは明白です。

まず、私たち一般人がすべきなのは、

心を込めて日常生活を送ることだと思います。

これができなければ、どんなご神事も開運行動も、

マイナスの作用しかもたらさないのですね。


みんなの幸せ

2017-10-21 09:14:28 | 伊勢神宮

<風日祈宮 かざひのみのみや>

 

ここ最近、伊勢神宮を訪れるときは、

「みんなの代表で」と思うようにしております。

家族や親せきや知り合いはもちろん、

ご先祖をはじめとする見えない縁者も含め、

諸々の事情で参拝に行きたくても

行けない人たちはたくさんいるはずです。

「みんなの代表で…」という気持ちを持てば、

そうそう自分勝手な祈願などできなくなるでしょう。

 

「家族の代表で」「友人の代表で」「会社の代表で」

という気持ちを持ちながらお参りすると、

「みんなの幸せ」を願いたくなるのが人情です。

「幸せは与えた分だけ戻ってくる」と言うように、

まずは自らが他人に与えなければ、

自分が何かをもらうことはできません。

本当の幸せは「周囲の幸せ」を願う人にこそ、

訪れるものなのだと思います。


最高のおかげ

2017-10-20 09:11:51 | 伊勢神宮

<おかげ横丁>

 

最近の伊勢の賑わいを眺めておりますと、

まさに「おかげまいりの再来」

という文句がぴったりだなと思います。

全国津々浦々からやってきた大勢の人たちが、

伊勢と各地とを「人の足で」結び、

日本の隅々にまで「おかげネットワーク」

を張り巡らせているような印象を覚えるのです。

 

神宮の神域に入り、ご正宮の前に立つと、

あれこれ考えていた個人的な願い事など吹き飛び、

「たただだ手を合わせたくなる人」がほとんどでしょう。

実は、このときの清浄な気持ちこそが、

お伊勢参りでいただく最高の「おかげ」なのですね。

ありがたく受け取った伊勢の気を、

ひとりひとりが日常生活に活かすことで、

日本列島は太陽のように光り輝くのかもしれません。


無色透明な聖地

2017-10-19 09:04:49 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

式年遷宮に関わった職人さんのお話の中で、

「個を消す」という言葉が印象に残りました。

どんなに優れた技術や芸術性を持つ人でも、

ひとたび神宮の仕事を請け負えば、

そこに「個」を入れることは許されないと聞きます。

神様という見えない対象への「おもてなし」には、

何よりも我を滅する強い心が必要なのですね。

 

一流の職人や芸術家の力を集結した場には、

おのずと強烈な個性がひしめき合います。

しかし個性が強すぎるがゆえに、

ひとたび方向性を間違えれば、

自我と自我がぶつかり合う、

チグハグな世界しか生まれません。

ひとりひとりの才能は一流であったとしても、

あまりにも多くの「個」が発揮されたことで、

異様な圧迫感のほうが勝ってしまうのでしょう。

 

ただ「神様のため」という思いで、

自らのエネルギーを作品に注ぎ込むうちに、

自然と「個」という意識は消え去ります。

そんな「無色透明な宝物」が、

伊勢神宮のご正殿の建物には、

ひっそりと奉納されているのです。

「個」を極限まで排除した特殊な場であるからこそ、

今なお伊勢神宮が「稀有な聖地」としての

機能を保っていられるのかもしれません。


無意識の心構え

2017-10-18 09:03:11 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

前々回の式年遷宮で、宮大工の総棟梁を務めた方が、

「伊勢神宮に関わる期間が長くなるにつれ、

自然と見えない部分へ配慮するようになった」

といった趣旨の話をしておられました。

過去3回の社殿造営に携わった元総棟梁は、

初めは早起きをするだけで精一杯だったのが、

2回、3回と回を重ねるごとに、

仕事に対する意識はもちろん、

仕事を始める前の心身の潔斎や、

仕事中の細やかな気づかいなど、

「見えない部分への意識」が

徹底されるようになったと言います。

 

元総棟梁は、このような状態を

「神宮の水に染まる」と表現されていましたが、

本来すべての日本人の心の中には、

こういった神様に対する無意識の心構えが、

生まれながらに備わっているのでしょう。

私たちが気づいていないだけで、

体内には「日本人の遺伝子」で満たされており、

伊勢神宮のような場所に身を置くと、

心の奥に潜んでいた「日本人の自分」が、

姿をあらわすのかもしれません。

お伊勢参りをすることというのはつまり、

本当の自分を取り戻すことなのだと思われます。


命の元

2017-10-17 09:55:51 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

数ある神宮祭事の中でも、

6月と12月に行われる月次祭とともに、

とりわけ重視されているお祭りが神嘗祭です。

神嘗祭は、邇邇藝命が地上に降りる際に預かった

天照太御神の稲穂に起源を発するとされており、

天皇陛下自らが刈り取られた稲のお初穂が、

勅使によって伊勢神宮へと運ばれ、

日本人の総氏神である天照太御神に、

一年の収穫の報告と感謝が捧げられるのです。

 

毎年お米や農作物が収穫できるのは、

人間の力以前に、太陽をはじめとする

自然の恵みのおかげに他なりません。

「食べられる」「食べられる物がある」

という状況のありがたさに気づかなければ、

いつしか食べ物はなくなり、国は荒廃し、

やがては命に対する判断を誤るでしょう。

日本人にとって、天照太御神という存在は、

何よりも心強く尊い「命の元」なのだと思います。