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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

光の道

2017-08-01 10:01:54 |  無社殿神社2

<高塚の森 たかつかのもり>

 

長い間「願望成就の聖地」として、

人間の欲望を浴びせられ続けた、

日本各地の巨岩や磐座たちには、

私たちの願いを叶えるどころか、

限られた太陽からの恵みの時間を

待つくらいの力しか残っていないのかもしれません。

太陽活動の低下が著しい近年は、

もしかすると自身を祓い清めることすら、

難しい状況なのでしょう。

 

「念」を溜める性質を持つ石の前では、

私たちが念じる「感謝の心」だけが、

疲弊した磐座たちに、古代のような力を

よみがえらせることができるのだと思います。

ひとつの磐座が息を吹き返せば、

太陽軌道に沿って並ぶ他の磐座も生き返り、

日本全国に張り巡らされたレイラインが、

まさしく「光の道」となって輝き始めるのですね。


磐座信仰

2017-07-31 10:19:47 |  無社殿神社2

<高塚の森 たかつかのもり>

 

古代ユダヤの人々も「磐座崇拝」とでも呼ぶべき、

巨石への特別な信仰心を持っていたという話があります。

もともとその場にあった巨石を利用したのか、

あえてその場に巨石を移動したのかはさておき、

熊野の地にたどり着いた渡来人(古代ユダヤ人)が、

この地方の巨石文化を後押ししたであろうことは、

想像に難くない流れです。

 

とは言え、渡来人が日本にたどり着いた時代、

すでに古代日本(特に太平洋の海側)では、

土着の太陽信仰が根付いていたのでしょう。

日本古来の太陽信仰の形を整える過程で、

日本人と同じ遺伝子を有する、

ユダヤ人の「叡智」が注がれたのかもしれません。

(あくまで勝手なイメージですが…)

 

恐らく当時は、磐座に「敬いの心」のみを捧げ、

神様を宿すための磁場を創り上げていたはずです。

「巨大な感謝」を蓄え続けた巨大な岩に、

冬至や春分などの特別な日の太陽が力を与え、

磐座全体が人々の思いを反射する磁力で、

あふれかえっていたのだと思います。


自浄作用

2017-07-30 10:17:09 |  無社殿神社2

<高塚の森 たかつかのもり>

 

もともと磐座(大きな岩)というのは、

神様に下りていただくための目印でした。

特殊な磁気を発する巨石(鉱物)は、

その突出した姿形のせいだけでなく

人の思いを宿し投射する性能が高いため、

神の依り代になりやすかったのでしょう。

 

多くの専門家が指摘しているように、

磐座と太陽信仰との関わりというのは、

切っても切れないものだと思います。

特別な日の太陽の光を、

聖地から聖地へと導くように作られた、

レイラインの目標物となっているのは、

明らかに各所に作られた磐座だからです。

 

「太陽信仰の拠点のひとつ」と言われる

熊野の巨石信仰の痕跡を訪ねるうちに、

もしかすると太陽信仰には、

「自浄作用」をもたない岩を、

太陽の光で浄化するような意味合いも

含まれていたのではないかという考えが、

ふと頭をもたげてきました。


古い太陽神

2017-07-29 10:12:21 |  無社殿神社2

<市鹿野・熊野十二神社 いちかのくまのじゅうにじんじゃ>

 

十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)、

十二社神社(じゅうにしゃじんじゃ)、

十二神社(じゅうにじんじゃ)など、

「十二」と名のつく神社が全国に分布しています。

ひとつは関東・甲信越地区に多くみられる

「十二様」という土着の山の神をお祀りした場所。

もうひとつは熊野地方を中心に点在する

熊野権現に関係する場所といった具合に、

大きく分けて二つの系統があるそうですが、

「十二」という数字の謎を解いていきますと、

熊野地方から広まったとも言われる、

「太陽信仰」との関わりも無視できません。

 

太陽の動きと連動し、干支や星座、

1年の月数などにも用いられる「十二」は、

古代の人々にとって「最も極まった数」でした。

ゆえに、神様の神威や畏怖を示す表現としても、

非常に適した言葉だったのでしょう。

熊野地方の神社で盛んに行われている

「射日儀礼」という弓引きの儀式も、

冬至祭や太陽信仰の名残とも言えます。

「十二」という数に隠されているのは、

天照太御神が私たちの先祖神となるはるか以前に、

この熊野の地を中心にお祀りされていた、

古い太陽神の存在なのかもしれません。


それぞれの個性

2017-06-27 10:35:57 |  無社殿神社2

<神木のイヌマキ こうのぎのいぬまき>

 

熊野の山海を巡っている最中、

たくさんのご神木や巨樹に出会いましたが、

その姿をじっくりと眺めてみますと、

どれもが個性的な風貌を持ち、

ひとつとして同じ形の木はありません。

まるで暗闇で息をひそめるマンモス象のごとく、

動物的な胎動を宿していた引作の大楠に比べ、

こちらの神木のイヌマキのほうは、

まさに「ご神木」という表現がぴったりの

すっきりとしたクセのない印象の立ち姿です。

 

天に向かってまっすぐに伸びるその容姿は、

集落の土地柄をあらわしているのでしょうか。

近年、このご神木の前に地元の人々が集まり、

ご神事やお祭りを執り行っていると聞きます。

有志の方々が太鼓を叩いたり音楽を奏でたりと、

手作り感あふれる小さなイベントのようですが、

この神木イヌマキの周りには、

そんな素朴でのんびりとした光景が

よく似合うような気がしました。


狩りかけの宮

2017-06-26 10:33:28 |  無社殿神社2

<神木のイヌマキ こうのぎのいぬまき>

 

神木のイヌマキがある場所には、

もともと神社があったと聞きますが、

明治時代に別の場所に移され、

巨木だけが残されたそうです。

この地を訪れる人は珍しくはないのか、

すれ違った地元の方々も、

さほど部外者を気に留めない様子で、

さらりと挨拶をしてくれます。

 

独特の清涼感を伴う朝の風に促され、

ご神木のほうへと近づいてみると、

木の根元には「狩りかけの宮」

と書かれた石と賽銭箱があり、

周囲には白い玉石が敷いてありました。

 

二重の板玉垣に囲まれたその神域は、

そこそこのスペースがあるものの、

イヌマキの圧倒的な存在感に気圧されて、

見た目以上に狭く感じられます。

このように社殿や祭壇を持たない場所でも、

白い石が奉納されているところを見ると、

やはり浜石の風習は、熊野の全域に

広がっていたのかもしれません。


もうひとつの巨木

2017-06-25 15:30:35 |  無社殿神社2

<神木のイヌマキ こうのぎのいぬまき>

 

引作の大楠を要する南牟婁郡・御浜町には、

ぜひご紹介したいもうひとつの巨木が存在しています。

育生町・赤倉地区を目指す途中で立ち寄ったその場所は、

ちょうど朝の通勤・通学時間と重なり、

近所の人たちの車が入れ代わり立ち代わり、

小さな川沿いの細道を走り抜けて行きました。

 

段々畑が広がるのどかな山間の集落には、

この地の名産品であるオレンジ色のミカンが、

早咲きの桜の花とともに彩りを添えています。

そんな牧歌的な景色の中で、

ひときわ異彩を放っていたのが、

澄んだ早朝の青空をバッグに、

堂々とした姿でそびえ立つ「神木のイヌマキ」でした。


熊楠の思い

2017-06-24 10:36:00 |  無社殿神社2

<引作の大楠 ひきづくりのおおぐす>

 

およそ15mの幹回りを誇る

「引作の大楠」がそびえ立つ、

南牟婁郡・御浜町の巨樹信仰の聖地には、

かつてそれに匹敵するような大きさの

何本もの大樹が集まっていたそうです。

明治時代の神社合祀令により、

そのほとんどが伐採される中、

この大楠だけが奇跡的に

生き延びることができました。

 

伊勢・式年遷宮に関連する儀式の中で行われた、

ご用材の切り出しの様子を見てもわかるように、

私たち日本人が「木」に抱いてきた畏敬の念は、

神様に対するそれと同等です。

命ある「生き物」として丁寧に扱われ、

特に樹齢の長い木を切り倒す際には、

祝詞を詠みあげたり、お神酒を捧げたりと、

細心の注意を払ってきました。

 

自らの名に「楠」を宿す南方熊楠は、

引作の大楠の中に植物を超越した、

「生き物」としての鼓動を感じ取ったのでしょう。

単なる文化財保護の運動ではなく、

生きている「命」を守ろうとしたのです。

人間が他人の命を見捨てられないのと同様、

仲間たちを失った引作の大楠の無念の叫びを、

心を切り裂かれるような思いで

聞いていたのかもしれません。


心を宿した巨人

2017-06-23 10:33:57 |  無社殿神社2

<引作の大楠 ひきづくりのおおぐす>

 

熊野の巨樹信仰の名残を今に伝える、

引作の大楠を間近で目にしたとき、

思わず「巨大な恐竜の足だ…」と

心の中でつぶやいてしまったほど、

岩壁のようにゴツゴツとした肌を持つその古木は、

植物というより動物に近い波動を放っていました。

「境内にある大きな木」はたくさん見てきましたが、

もはや境内がどこにあるかすらわからないくらい、

圧倒的な大きさを誇る巨樹は、

なかなかお目にかかれるものではありません。

 

その「逆転現象」とでも表現すべき、

特異な神域の様子を眺めておりますと、

神社の境内や建物が祈りの対象なのではなく、

自然物そのものが信仰の大元であるということが、

誰に聞くまでもなくはっきりと伝わってきます。

日没間近の薄暗くヒンヤリとした空気の中で、

白黒のマンモスと化したその木は、

まるで永遠の心を宿した巨人のように、

足元にいる私のことを静かに見下ろしていました。


奇跡の楠

2017-06-22 10:31:33 |  無社殿神社2

<引作の大楠 ひきづくりのおおぐす>

 

自然信仰の痕跡があちこちに残る熊野という地には、

これまでご紹介してきた「巨石」「川滝」だけでなく、

スケールの大きな「巨木」の類もたくさん見られます。

かつて南方熊楠が一生をかけて神社を守ろうとしたのは、

「鎮守の森」に育まれた多種多様な樹木の中に、

「命の源」があると知っていたからなのでした。

 

巨木信仰の名残とも言うべきこれらの場所は、

ほとんどの場合、神社境内の一角に置かれていますが、

中には巨大な樹木の存在があったからこそ、

人々の畏敬の念を引き寄せ、次第に「神社」へと

その姿を変えたようなところも少なからずあります。

 

南牟婁郡・御浜町にある引作の大楠は、

日本を代表する民俗学者・柳田国男が、

南方熊楠の呼びかけに応じて協力を申し出、

国に働きかけた結果、伐採を免れた奇跡の楠です。

遠方からでも確認できるその規格外の「生き物」は、

近づいていくうちにさらに凄みを増して行きました。


川筋の力

2017-06-16 10:09:01 |  無社殿神社2

<北山村>

 

行政上は和歌山県に籍を置いているにも関わらず、

和歌山県のどの市町村とも隣接しない北山村は、

地理的には「奈良県」に属するような場所です。

ただし、古くから盛んだった林業の関係で、

川下に位置する新宮市との

つながりのほうが深かったため、

和歌山県に編入されることが決まったと聞きます。

法令によって定められた事務的な線引きよりも、

「川筋の力」のほうが勝ったのかもしれません。

 

現在は、日本全国に張り巡らされた道路のおかげで、

一般人も簡単に山の奥地を訪れることができますが、

昔は「川」こそが命の綱である唯一の道でした。

下流で暮らす人々や、熊野灘へと着いた渡来人は、

川を遡りながら「新しい何か」を

山の民に伝えて行ったのでしょう。

悠々と流れる北山川の流れを眺めていますと、

古くから「川」が果たしてきた

役目の大きさが伝わってくるようです。


唯一の飛び地

2017-06-15 10:05:07 |  無社殿神社2

<北山村>

 

熊野市・育生町の山深い集落から、

「全国で唯一の飛び地」である

和歌山県・北山村に向けて車を進めました。

夜明けととも始まった「山の洗礼」により、

消耗しきったメンタルを癒すべく、

三重県と奈良県の県境に位置する、

「和歌山県」の北山村の道の駅で、

休憩タイムを取ることにしたのです。

 

延々と山の中を走っている最中、

食べ物を口に入れる暇はもちろん、

食料調達の場所自体がなかったため、

ここに来てようやく「コンビニ」

に立ち寄ることができます。

道の駅近くの温泉施設に併設されたその店は、

この村唯一の生鮮食品を扱う商店で、

近年開店するまでは、

山道を30分~1時間かけて、

近隣の市街地へと買い出しに

出かけるしか方法がなかったのだとか。

 

便利な街中で暮らしておりますと、

ついつい忘れがちではありますが、

過疎地帯・山間地域の日常生活は、

常に食糧危機と背中合わせなのです。

不便な環境の中で生きる人々、

そしてそれらの地に生活物資を運び続ける人々、

そんな「世の中から取り残されたような場所」が、

今なお日本のあちこちに散らばっていることを、

熊野を訪れるたびに実感いたします。


土地の遺伝子

2017-06-14 10:11:06 |  無社殿神社2

<丹倉神社 あかぐらじんじゃ>

 

様々な示唆を与えてくれた丹倉神社を後にし、

再び山道を疾走しながら考えていたのは、

「土地の遺伝子」についてでした。

「丹倉神社」も「まないたさま」も、

土地の人々が古くからお祀りしてきた聖地です。

人間は大地を削って創造されたといわれるように、

縁ある土地の「磁場」を分け与えられたのが、

氏神の元で生まれた「土地の民」であり、

その場所で暮らす「地元の人」なのですね。

 

丹倉神社の氏子にも、まないたさまの氏子にも、

よそ者が持ち合わせない「巨石」の遺伝子が、

すでに心身に組み込まれているのだと思います。

聖地の遺伝子を宿す人々だからこそ、

聖地を守る役割を果たせるのでしょう。

私たちがそのような場所を訪れたときは、

土地の人々のお役目の邪魔にならないよう、

ただ静かに手を合わせればよいだけなのかもしれません。


巨岩の発する磁気

2017-06-13 10:18:57 |  無社殿神社2

<丹倉神社 あかぐらじんじゃ>

 

「丹倉神社」と「まないたさま」で感じた

「落ち着かない感覚」の正体は、

恐らく「巨岩」が発するものかもしれません。

「溜める性質」を持つ石や鉱物の類は、

水のように自浄作用を持たないため、

長い間人間の念を受け止め続けた結果、

悲喜こもごもの様々な「思いの磁気」を

その身に帯びるようになったのでしょう。

 

確かに、鉱物から放出されるパワーは、

私たち人間に大きな作用をもたらします。

ましてや人の背丈をはるかに越える巨岩であれば、

そのエネルギーたるや並大抵ではないはずです。

これはあくまで個人的な感想ですから、

異なる意見も多いと思われますが、

「パワーが強い=願いが叶う」と思い込むと、

逆効果となる場合も往々にしてあるのですね。

 

「丹倉神社」と「まないたさま」も、

無心でお参りする心がけさえあれば、

文句なくすばらしいと思える場所です。

ただし「他人の聖地」が「自分の聖地」

であるとは言い切れない部分も多々あります。

誰かの言う「すばらしさ」ではなく、

自分にとっての「すばらしさ」を、

感じることこそ、聖地巡礼の要なのでしょう。


消化不良の思い

2017-06-12 10:16:16 |  無社殿神社2

<丹倉神社 あかぐらじんじゃ>

 

知る人ぞ知る東熊野の聖域、育生町・丹倉神社は、

昔から「願望成就」や「病気平癒」などの

ご利益があると言われている場所で、

今でも様々な悩みや望み持つ人たちが、

「岩」に祈願するためにこの地を訪れるそうです。

マスコミにも取り上げられるようになった近年は、

訪れる参拝客が以前より増えているとも聞きます。

 

まだ人の立ち入った気配すらない秘境の神社は、

朝の柔らかな光がレースのように聖域を飾り、

とても清浄な空気に満ちていました。

岩壁に描かれた朝日のアートも、

祭壇を彩る白いスポットライトも、

古代の太陽信仰を彷彿させるような

厳かで神々しいひとコマです。

 

と同時に、なぜか「ここは長居をする場所ではない」

という思いが、肌の感覚を通して伝わってくるのです。

「まないたさま」のときと同じく、

お参りと写真撮影を済ませた私は、

「これほどよい条件が揃っているのに…」と、

ちょっと消化不良の思いを抱えながら、

予定よりも早くその場を後にしたのでした。