たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

太一

2015-06-30 10:44:06 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

伊雑宮の御田植祭で使われる

ゴンバウチワの「太一(たいち・たいつ)」という文字は、

神道の天照太御神、陰陽道(中国の道教)では、

北極星を意味する言葉で、

「最高神」「宇宙の根源神」を表しています。

ただ、伊勢神宮の神域内では、

太一の文字はほとんど見られず、

御田植祭やお木曳きの奉曳車など、

特別な祭事のときに使用されるだけです。

 

ちなみに明治以降、太一の文字を用いる際は、

太一ではなく「大一」としていたそうですが、

今回の式年遷宮を機に、

古儀を重視して 「太一」の標章に統一したのだとか

(もちろん御田植祭では、今も昔も太一ですが…)。

もしかすると、内宮の「天照皇大神宮」のお札や、

「天照大御神」という表記も、

天照皇太神宮、天照太御神へと戻る時期が

来ているのかもしれませんね。

 


ゴンバウチワ

2015-06-29 21:37:15 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

伊雑宮の御田植祭でまず目を引くのが、

ゴンバウチワと呼ばれる大きな団扇です。

直径2.6メートルの円形の団扇、

幅3メートル、長さ4メートルの

逆三角形の団扇を取りつけた忌竹(いみたけ)は、

遠くから見ても存在感抜群。

祭りのハイライト「竹取り神事」で登場する

重要な神様の依り代でもあります。

 

ちなみに、上の円形の団扇には松や月や太陽、

下の逆三角形の団扇には、

帆に「太一」という文字が書かれた

宝船と赤い宝珠が描かれており、

相撲の行司が使用する

軍配団扇(ぐんばいうちわ)のルーツという説も…。

実はこのゴンバウチワが、竹取り神事の最中に、

思いもよらぬ動きを見せたのです。


御田植祭

2015-06-28 13:14:16 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

伊雑宮の御田植祭(おたうえまつり)に行きました。

伊雑宮には何度も参拝しているものの、

御田植祭を見る機会には恵まれず…。

今年は一念発起し、 祭りの日(6月24日)に合わせて、

伊勢のお宮を巡ってまいりました。

 

ちなみに、御田植祭というのは、

香取神宮、住吉大社とともに、

「日本三大御田植祭」として、

国の無形文化財にも指定されているお祭りで、

早朝5時から夕方の5時まで、

丸一日をかけて様々な行事を行います。

 

今回は時間の都合で、

メインのご神事である「竹取り神事」と、

「御田植神事」しか見られなかったのですが、

お祭りの進行はかなりスローペース^^。

内宮や外宮の祭典を見慣れているせいか、

とてもゆったりのどかな光景に感じられました。


暗峠

2015-06-27 11:41:54 | 歴史・神話・旅・風景

<暗峠 くらがりとうげ>

 

枚岡神社のすぐ脇から、

生駒を越えて奈良方面に抜ける

その名も暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)、

通称暗峠、別名「酷」道308号が通っております。

様々なハプニングに見舞われた今回の旅の中でも、

特に印象深かったのが、この暗峠越えでして、

奈良に住む友人に半ば騙されるように、

この細く険しい山道に車で入り込んでしまいました。

(詳しい暗峠の情報はネットで山ほど…)

 

伊勢参宮街道のひとつとして知られるこの道は、

大阪と奈良を結ぶ信仰の道であると同時に、

神武天皇が東征の折に生駒越えを試みた際、

長髄彦に行く手を阻まれた場所でもあります。

暗峠の西にある生駒市鬼取町には、

役の行者と鬼の伝説が残っていますが、

この峠に長髄彦軍の戦死者を埋葬したことから、

暗峠と鬼取の地名が生まれたそうです。


古代の激戦地

2015-06-26 11:36:41 | 西日本の神社

<枚岡神社 ひらおかじんじゃ>

 

枚岡神社のある場所は「出雲井町」といい、

境内からは大阪平野を一望することができます。

神武天皇が大和入りを画策していた頃、

大阪平野はまだ河内湖という湖海で、

枚岡神社のすぐ下まで水辺が広がっていたとか。

海の東端の海岸線にあたるこの神社周辺は、

神武軍と長髄彦軍との激戦地でもありました。

 

長髄彦との戦いで敗退した神武天皇は、

その後紀伊半島(場所は諸説あり)から、

吉野の山を抜け奈良盆地に入ります。

吉野と同様、この生駒山の付近も、

土着の神への強い信仰があったものの、

神武天皇のルートをなぞるかのように、

次々とご祭神の名前は伏せられていきました。


天児屋命

2015-06-25 11:34:53 | 西日本の神社

<枚岡神社 ひらおかじんじゃ>

 

春日権現、春日大明神とも呼ばれる

天児屋命(あめのこやねのみこと)は

日本神話の岩戸隠れの件で、

天照太御神を岩屋から引き出すために、

太玉命とともに卜占(占いのこと)を行い、

岩戸の前で祝詞を唱える役を担った神様です。

後の藤原鎌足を生み出した中臣氏の祖先ともいわれ、

春日大社や枚岡神社以外にも多くの神社で、

中臣氏の家系が要職に就いております。

 

ちなみに、伊勢内宮の禰宜職を世襲した荒木田氏も、

中臣氏と同じ流れの氏族でした。

天児屋根命の子孫である

天見通命(あまのみとおしのみこと)が、

倭姫命とともに聖地を求めて巡幸し、

五十鈴川の川上に内宮を定めた後、

代々禰宜を務めたとされています。


枚岡神社

2015-06-24 11:30:50 | 西日本の神社

<枚岡神社 ひらおかじんじゃ>

 

奈良と県境近く、生駒山の西麓の大阪側に、

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)という古社があります。

河内国一之宮であり「元春日」とも呼ばれている場所で、

春日大社のご祭神である

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

比売御神(ひめみかみ)の2柱の神様は、

こちらの神社から勧請されました。

 

神武天皇が、生駒山を越えて大和に入ろうとした際、

生駒の豪族であった長髄彦(ながすねひこ)と争い、

天皇の軍は大きな痛手を負います。

そのとき国土の平定を祈願されるために、

霊地神津嶽(かみつだけ)に、

天児屋根命・比売御神の二神をお祀りしたのが、

この枚岡神社の始まりだとか。

 

その後は「平岡連(ひらおかむらじ)」と呼ばれる

後の中臣氏につながる一族が、

代々こちらの神様を祭祀し、現在に至るそうです。


氷と殯

2015-06-23 11:28:28 | 奈良・京都の神社

<奈良氷室神社 ならひむろじんじゃ>

 

氷といいますと現在は、

「暑さをしのぐ食べ物」という認識が一般的ですが、

古代では、崩御された天皇などを葬る前に行われる

「殯(もがり)」という儀式に使用されていました。

もがりというのは、遺体を長期間安置する習わしのことで、

氷を使って遺体が腐らないようにしていたそうです。

 

また古くは、お正月の元旦に宮廷において、

氷様奏(ひのためしのそう)という行事が行われ、

前年の12月に作られた氷室の氷の厚みで、

その年の農作物の吉凶を占ったのだとか。

私たちが普段、何気なく接している「氷」は、

宗教的な役目を持つ「呪術具」でもあったのですね。


奈良氷室神社

2015-06-22 11:25:44 | 奈良・京都の神社

<奈良氷室神社 ならひむろじんじゃ>

 

毎年5月1日に行われる献氷祭(氷のお祭り)や、

見事な枝垂れ桜で知られる奈良氷室神社は、

その名の通り「氷」と深い所縁のある場所です。

由緒によりますと、平城京の遷都にともない、

御蓋山(みかさやま)の山麓に氷室を作り、

祠を建て闘鶏大神を祀ったのが始まりだそう。

もともと春日大社が創建されるまでは、

氷室神社がこのあたり一帯を

所有していたという話も聞きます。

 

最近では、年に一度の献氷祭だけでなく、

月に一度の氷献灯(氷の器を飾るお祭り)や、

夏のひむろしらゆき祭(かき氷のお祭り)など、

様々なイベントを企画されているとのこと。

また、南都流舞楽の中心地でもあり、

ご本殿前にある立派な舞殿も見どころです。

お賽銭箱近くの機械に100円を入れると、

境内いっぱいに雅楽の音が流れるので、

興味のある方はぜひどうぞ。


古く新しい信仰の形

2015-06-21 11:22:35 | 奈良・京都の神社

<春日大社 かすがたいしゃ>

 

春日大社の特色としてあげられるのは、

日々のご神事の中に「祖霊信仰」が、

取り入れられている点だと思います。

先祖供養という言葉を聞きますと、

お寺の管轄というイメージがありますが、

もともと先祖供養は神道から派生したもの。

仏教のように、直に先祖を拝むのではなく、

「神様を通じて」先祖の冥福を願うのが、

春日大社独特の先祖供養なのだそうです。

 

参道にズラリと並ぶ石燈籠には、

祖先の冥福を意味する言葉が刻まれており、

また、社務所に申し出れば私たち一般人でも、

祖先祭をお願いすることができます。

春日大社が藤原氏の氏神神社となる前は、

御蓋山に先祖の冥福を祈るという、

古い神道の形が残っていたのでしょう。

神様だけでなく祖先を敬う気持ちを持つことは、

現代に生きる日本人が取り戻さなければならない、

古く新しい信仰の形なのかもしれません。


葉室頼昭氏

2015-06-20 16:24:20 | 奈良・京都の神社

<春日大社 かすがたいしゃ>

 

春日大社と聞いて思い出すのは、

元宮司である葉室頼昭氏のことです。

藤原氏の家系に生まれた葉室氏は、

形成外科医から大阪の枚岡神社を経て、

春日大社の宮司に就かれたという

異色の経歴の持ち主(2009年に逝去)。

私が神道に興味を持ち始めたころ、

葉室氏の著書はたくさん読みました。

 

特に印象に残っているのは、

罪(包み)穢れ(気枯れ)についての解釈です。

罪とは「つつみ(包み)」で、

神の性質を包み隠してしまうもの。

穢れとは「気枯れ」であり、

神の気を枯らしてしまうものなのだとか。

「大祓の詞」はそんな罪穢れを払う、

大切な言霊だとおっしゃっていました。

 

ちなみに春日大社では、

朝拝という朝のお参りを毎日執り行っており、

一般の参拝者も神職の発声に合わせ、

大祓の詞を奏上します。

一度参加させてもらったことがありますが、

神職の方々の(よくも悪くも)大らか?な雰囲気に、

「さすが奈良…」と思った記憶あり。

最近では、一の鳥居のあたりから、

境内の案内をしてくれるそうです。

 

【参考書籍】

神道のこころ

大祓 知恵のことば―CDブック


御蓋山

2015-06-19 15:00:09 | 奈良・京都の神社

<春日大社 かすがたいしゃ>

 

先日訪れたご本殿の御開帳の際、

一番印象に残ったのは、御蓋山浮雲峰遥拝所

(かすがやまうきぐものみねようはいじょ)という、

御蓋山の山頂の「浮雲峰」を望む場所でした。

藤原氏の氏神として有名な春日大社ですが、

その歴史が始まったのは、平城京遷都後のこと。

それまで春日大社のあるこの場所は、

御蓋山(みかさやま)を中心とした、

自然崇拝の拠点だったのです。

 

一説によりますと、

もともとこの土地を支配していたのは、

春日大社の摂社である榎本神社の神で、

明治時代まではまず榎本神社に参拝し、

榎本神社の祠の周りを廻った後、

本殿に参るという慣習があったのだとか。

また別の説では、東大寺入口近くにある氷室神社が、

この一帯を所有していたという話もあります。


広大なご神域

2015-06-18 20:03:00 | 奈良・京都の神社

<春日大社 かすがたいしゃ>

 

春日大社といいますと、立派な楼門や

美しい朱塗りの回廊などが思い浮かびますが、

実は春日大社の神域は非常に広大です。

奈良を象徴する景色として有名な奈良公園の飛火野、

特別天然記念物である春日山原始林も、

すべて春日大社のご神域。

 

一の鳥居から手水舎までの長い参道を歩き、

左右に伸びる末社群をすべて巡るには、

軽く1時間以上はかかるであろう、

非常に体力を使う場所でもあります。

ちなみに、春日大社の神の使いであるシカは、

茨城の鹿島神宮からやってきたそうです。


式年造替

2015-06-17 12:43:36 | 奈良・京都の神社

<春日大社 かすがたいしゃ>

 

今年20年に一度の

「式年造替(しきねんぞうたい)」

が行われている春日大社は、

奈良を代表する神社のひとつです。

今回6月末までの期間限定で、

国宝であるご本殿が御開帳されるということで、

奈良散策の折に立ち寄ってみました。

 

ちなみに、式年造替というのは、

伊勢の式年遷宮のように、

新たに御神殿や御神宝を造り変えるのではなく、

痛んだところを修繕したり、

色を塗り替えたりしたのち、

再び元のご本殿に戻すという行事。

春日大社には重要文化財も多いため、

新築にはできないのだそうです。

 

通常参拝者がお参りする拝殿の奥、

美しい朱塗りの回廊のさらに向こうに、

春日造と呼ばれる四棟のご本殿が、

まっすぐ横一列に並んでいました。

漆喰で塗り固められた白い磐座(いわくら)や、

社殿と社殿の間の壁に描かれた「絵馬」など、

興味深い見どころもあります。


水のせせらぎ

2015-06-16 13:13:13 | 奈良・京都の神社

<廣瀬大社 ひろせたいしゃ>

 

「クセもの揃い」の奈良の神社を巡っている最中、

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)を訪れたときに感じた

すがすがしい境内の空気は、

旅の疲れを癒す一服の清涼剤でした。

実はこちらの神社、今回訪れた神社の中では、

あまり重視していなかった場所なのですが、

最終的には大きな手ごたえあり。

木々に囲まれた長い参道を歩いているうちに、

奈良の山中を歩いている気分になりました。

 

社殿や社務所の作りは古いものの、

境内はとてもきれいに掃除され、

必要以上にご利益を強調したり、

目障りな幟旗を立てたりもしていません。

訪れた日は、近所の方が御祈祷をされていましたが、

拝殿から風に乗って聞こえてくる女性宮司さんの祝詞は、

いつも聞き慣れている男性神職のそれとは異なり、

水のせせらぎのように心に優しく響きました。