たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

不可解な動き

2016-05-31 11:53:42 | 自然災害・参拝マナー

<犬吠埼 いぬぼうさき>

 

5年前の春、東日本大震災が起きたとき、

三陸沖の震源から広がったプレートの亀裂は、

鹿島灘~銚子沖で偶然その動きを止めたそうです。

本来であれば、さらに亀裂が伸びても

おかしくない状況だったにも関わらず、

関東の入り口でプレート破壊が収束したことにより、

首都圏の被害が最小限で済んだともいわれています。

 

また鹿島神宮は、周囲よりも高い場所にあるため、

津波や液状化の影響も出なかったのだとか。

不可解なプレートの動きの原因が、

要石のおかげかどうかは定かではありませんが、

古くから地震に関する伝承が伝わるこの地域で、

大地震が食い止められたのはやはり気になる現象です。


要石

2016-05-30 11:47:31 | 東日本・三陸の神社

<鹿島神宮 かしまじんぐう>

 

鹿島神宮といいますと有名なのが、

「要石」という石(岩?)でして、

隣接する香取神宮の要石とともに、

「地震を鎮める石」として知られています。

 

昔から地震が多かったこの地方では、

地下の「大ナマズ」が暴れることで、

地震が発生すると信じられていました。

それゆえ神様は、地震封じのために要石を置き、

ナマズが動けないようにしているのだそうです。

 

何でもこの石は、かつて水戸の徳川光圀公が、

どこまで深く埋まっているか確かめようと、

7日7晩にわたって掘らせたものの、

いつまで経っても辿り着くことが

できなかったほど巨大なものなのだとか。

 

ちなみに鹿島神宮の要石は大ナマズの頭、

香取神宮の要石は大ナマズの尾を押さえており、

2つの要石は地中で繋がっているという説があります。


熱とざわめき

2016-05-29 11:44:40 | 東日本・三陸の神社

<鹿島神宮 かしまじんぐう>

 

5年前に発生した東日本大震災は、

東北三県のみならず、鹿嶋・香取神宮のある

茨城・千葉県沿岸にも大きな被害をもたらしました。

鹿島神宮にあった石造りの大鳥居は倒壊し、

参道の灯篭もすべて倒れてしまったのだとか。

ただ幸い、大きなお祭りが終わった後で、

参拝客の数がそれほど多くなかったため、

神宮内での人的被害は出なかったそうです。

 

鹿島神宮という神社はとても活動的な場所で、

境内の杜はいつもザワザワと音を発し、

そのざわめきに急かされるように、

速足で参道を歩きたくなる雰囲気があります。

今回も、木立の間を奥宮へと向かいながら、

東日本大震災前に参拝したときよりも、

さらにいっそう「熱」を感じました。


鹿島神宮

2016-05-28 14:44:14 | 東日本・三陸の神社

<鹿島神宮 かしまじんぐう>

 

鹿島神宮・香取神宮の周辺を巡ってまいりました。

二週間ほど前、この地域を震源とする最大震度5弱の地震があり、

「首都直下地震の前触れか」等々の憶測が飛び交いましたが、

このエリアはまさに関東を守る「要」の位置でして、

そのものずばりの「要石」という名の

地震に関わる霊石があることでも有名です。

 

ちなみに前回、鹿島・香取神宮を訪れたのは、

東日本大震災が発生するほぼ一年前でした。

当時はまだ、鹿島神宮の境内入り口に、

御影石で造られた大鳥居が立っており、

その堂々かつ堅牢な佇まいに、

しばし圧倒された記憶があります。

 

残念ながら、東日本大震災により石造りの鳥居は倒壊し、

境内の建物等にもかなりの被害が出た模様。

現在は境内に自生する杉の巨木を使った

大鳥居が新しく創建され、

訪れる参拝客を出迎えてくれます。


志摩の国

2016-05-27 11:03:55 | 歴史・神話・旅・風景

<伊雑宮 いざわのみや>

 

昨年10月の神宮の神嘗祭のとき、

伊雑宮で偶然志摩市長にお会いし、

名刺とパンフレットをいただきました。

伊勢という一大観光地の陰で、

いまいち知名度の低い志摩市ですが、

その観光資源は驚くほどに豊富で、

何といっても伊勢の元宮とも呼ばれる

「伊雑宮」が鎮座する地でもあります。

 

当時と今とでは「国」の定義が違うため、

正確なことはわかりませんが、

倭姫命が旅の最後にたどり着いたのは、

志摩付近だった可能性もあるのでしょう。

もしかすると今回のサミットの会場となった、

賢島周辺の美しい島々を見ながら、

「…この国にいたいと思う」という

あの言葉をつぶやいたのかもしれませんね。


ユダヤとの接触

2016-05-26 11:00:52 | 皇室・海人族・ユダヤ

<内宮 ないくう>

 

今回サミットに参加する要人の中に、

「ユダヤ」「イスラエル」という存在と、

関わりのない方はいないと思います。

サミットの陰の目的が、

各国首脳の伊勢神宮参拝であるということは、

ユダヤ英知の結晶でもある神道の総本山に、

イスラエルに関わる要人たちが集まるということ。

 

伊勢志摩サミットというのは、

日本とユダヤが公に接触する、

重要な機会でもあるのですね。

 

一昨々年の式年遷宮の準備が始まったころから、

多くのイスラエルの要人たちが、

極秘で神宮を訪れているという話があります。

今後の首脳たちの動向を見極めることで、

その真偽や成果がわかるのかもしれません。


サミットのカギ

2016-05-25 15:00:23 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<賢島 かしこじま>

 

いよいよ伊勢志摩サミットが始まりますね。

昨年、サミットの開催地がこの地に決まってから、

あっという間の一年でしたが、世界の要人の方々は、

明日の午前中に伊勢神宮へ参拝される予定だそうです。

ぜひともその荘厳かつ清らかな空気の中で、

全信仰の大元である「神道の息吹」に、

直に触れていただけることを期待しております。

 

今回日本でサミットを開くにあたり、

かなり早い段階で、 開催候補地が

伊勢志摩に絞られていたといわれています。

さらには、各国首脳を伊勢神宮へとご案内することも、

公式発表の段階ですでに公表されていました。

今回のサミットの裏のカギを握っているのが、

「神宮」「神道」「信仰」であることを、

安倍首相ははっきりと感じていたのでしょう。


神様との接点

2016-05-24 10:46:46 | 歴史・神話・旅・風景

<伊雑宮 いざわのみや>

 

先日、近くの田んぼを歩いておりましたら、

風に乗って「土」の匂いが漂ってまいりました。

その場で大きく深呼吸をしてみたところ、

雨が降った後の濃厚な土の匂いが、

身体の中を心地よく駆け巡り、

全身がホッと和らいだような気がします。

 

海辺に住む人なら潮の匂い、山に住む人なら森の匂い、

都会に住む人にとっては、ふと感じる風の感触など、

自然が発する様々な「息」に触れたとき、

神様は私たちのすぐそばにいることを

知らせてくれているのでしょう。

今生活している場所の隣には、

当たり前のように神様との接点があるのですね。


大地の分け前

2016-05-23 10:41:46 | 自然災害・参拝マナー

<屏風ヶ浦 びょうぶがうら>

 

普段、私たちが目にしているものはすべて、

「大地が変化したモノ」だという話があります。

人口増加に比例するように、大地が疲弊していったのも、

人間が生まれた分だけ、土地の命が削られたからなのだとか。

大地の神様が痛みに耐えながら、自分の分身を生み出した経緯が、

「人間誕生の物語」でもあるのですね。

 

大地も人間と同じく、感情や思考を持った生き物であり、

私たちが心に思う内容や、ひとつひとつの行動を冷静に観察しながら、

それに対する返答をしています。

私たち人間が、「大地の分け前だ」という事実に気づかない限り、

どんなに最新の技術を駆使しても、

自然の怒りや嘆きを抑えることはできないのでしょう。


陰の人々

2016-05-22 10:37:39 | 自然災害・参拝マナー

<真名井神社 まないじんじゃ>

 

神社を訪れる際は、表向きのご利益ではなく、

その場所に潜む深い歴史に思いを馳せながら、

謙虚な気持ちでお参りする姿勢が大切です。

過去の人々への思いやりを持たなければ、

どんなにたくさんの神社をお参りし、

どんなに強力な開運法を試しても、

自分自身が慰められることはないのですね。

 

陰で支える人々や陰で犠牲になった人々を無視し、

身勝手な願望ばかり叶えようとする人に、神様は味方しません。

神様が見ているのは、その人の願いの強さや参拝の回数ではなく、

「各々の心」のみです。

神社の力を最大限に高めるためにも、

陰の人々の御霊を慰めるためにも、

私たちの神社に対する意識の変換が問われているのだと思います。


怨霊鎮め

2016-05-21 11:30:09 | 神社について

<貴船神社 きふねじんじゃ>

 

古来より日本では、「怨霊」と呼ばれる存在を鎮めるために、

数多くの神社仏閣が建てられました。

日本の三大怨霊として知られる

「菅原道真」「平将門」「崇徳天皇(上皇)」などの権力者から、

江戸時代の怪談話に登場する一般庶民に至るまで、

あまたの怨霊たちが「今なお」日常風景の一部として溶け込んでいます。

 

神社などの聖地が「祈願場所ではない」という理由も、

有名神社の多くが「怨霊鎮め」の側面を持っているからでして、

特に鎮めの神事を行った「禁則地」と呼ばれるエリアに、

一般人が入るには大変なリスクがあります。

神社側が祈願を推奨したり、禁則地を開放したりしているのは、

決してその場所が安全になったからではありません。

 

常に自然と向き合いながら暮らしてきた古代の人々は、

「どうすれば怨霊(故人)を慰められるか」を知っていました。

私たちが真摯に神社に参拝することで、

数千年もの間日本と日本人の命をつないでくれた、

名もなき尊い人々の魂が鎮まります。

「多くの犠牲の上で生かされている」という現実を、

私たちは決して忘れてはいけないのでしょう。


「出雲」の人々

2016-05-20 10:30:44 | 歴史・神話・旅・風景

<伊勢市内>

 

各地を巡っておりますと、「出雲」という名の地名が、

あちこちに存在していることに気づきます。

山陰から遠く離れた関東・東北・北海道に至るまで、

「なぜここに出雲が」と不思議に思うことも多く、

出雲とは対極を成す伊勢の付近にも、櫛田川や雲出川など、

出雲を連想させる地名が数多く残されています

(伊勢独特のしめ縄を飾る風習も、出雲の神スサノオの祓い)。

 

実は出雲という言葉は、日本の「裏」を暗示する言葉であり、

大陸からの勢力に追われた「原日本人」の足跡が、

「出雲」という地名に示されているのですね。

 

日本の繁栄を陰から支えてきたのは、

広い意味での「出雲」の人々です。

長い歴史の中で、表舞台から消し去られ、

自らの命と引き換えに国を譲り、

近代国家を築くための礎となった多くの存在が、

今なお「出雲」の土地に眠っています。

私たちが今こうして平和な生活を謳歌できるのも、

間違いなくこういった人々のお蔭なのでしょう。


お蔭さま

2016-05-19 11:22:42 | 歴史・神話・旅・風景

<鹽竈神社 しおがまじんじゃ>

 

山陰をはじめとする日本海沿岸地域、

北海道、沖縄、そして東北や九州南部などは、

日本人の特色を引き継ぐ人々が多く住んでいる地域です。

どのエリアも、都市圏から遠く離れたいわゆる「辺境の地」ではありますが、

それゆえ独自の文化や、貴重な血縁が守られた面もあったのでしょう。

 

ただ残念ながら、ここ近年こういった「古い日本人」の住まう場所が、

自然災害に見舞われるケースが増えています。

2013年に行われた出雲大社の遷宮は、

歴史の陰に追いやられた人々を救うための儀式でもあり、

「陰と陽の統合(支配者と被支配者の和合)」を意味する重要な節目でした。

この見えない歴史的イベントが、これから吉と出るのか凶と出るのかは、

まさに私たち日本人の「お蔭さま」の気持ちにかかっているのかもしれません。


誰かのために

2016-05-18 11:22:13 | 自然災害・参拝マナー

<倭姫宮 やまとひめのみや>

 

「パワーをもらう」「癒してもらう」という気持ちで聖地を訪れると、

逆に「願いとは反対の現実」が起こりやすくなります。

私自身も、スピリチュアルな下心を持って、

パワスポ巡りをしていたころは、

今思い出しても冷や冷やするような出来事がたくさんありました。

 

ただここ数年、誰かのために写真を撮り、

誰かのために記事を書くことを意識し始めてから、

旅から戻るたびに不思議な充足感を覚えています。

「神社のことを伝えたい」という外向きの気持ちが、

巡り巡って自分自身に力を与えてくれるのでしょう。

 

自分のためではなく、「誰かのため」という気持ちがなければ、

何事も継続することはできません。神社参拝もしかり、

「神様のため」「日本のため」に行う人が増えれば、

必然的に心が満たされる人たちも増えるのだと思います。


特別な聖地

2016-05-17 11:15:04 | 神社について

<京都市内>

 

登山しかり、パワスポ巡りしかり、スピリチュアル行為しかり、

とかく人間は、神様を感じるために、

「普段と違う特別なこと」をしたがる生き物です。

非日常の感覚を得ることを、

「神に近づくための方法だ」と思いこんでいる節があります。

確かに、山や聖地は特殊な磁場を持っていますが、

それはあくまで国家や地域のための聖域であって、

個人の願望や達成感のために利用する場所ではありません。

 

日本が他の国と決定的に違うのは、

田舎だけでなく大都会のありとあらゆる所にまで、

神社や鎮守の森が鎮座し、「神様の匂い」が充満していることです。

身近にある自然こそが、「その人のために用意された特別な聖地」であり、

これほど容易に神様との接点を持てる国は日本以外にはないでしょう。

いつも神様がそばにいることに気づかないのは、

私たちの人間のほうなのだと思いますよ。