たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

複合的な役目

2019-09-30 09:28:17 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

「茅空」を見た際にまず目が行ったのが、

両足をつなぐようにして設えられた「穴」の部分でした。

何でもその穴は、土偶を焼くときの熱で粘土が

割れないようにするための「空気穴」だそうで、

薄づくりの土製品を壊さずに焼き上げるその技術力は、

現代と比べてもかなり高度なものだと聞きます。

 

また、特別な儀式においては、

「茅空」の空洞部分に何らかの液体を入れ、

その穴から液体を注いでいたという話もあり、

もしそれが本当なら「茅空」の用途は、

他の土偶以上に広範囲に広がっていた可能性も大です。

 

恐らく、縄文後半のこの時期に入ると、

土偶に課せられた役目は、

想像以上に複合的になってきたのでしょう。

縄文前半のいわゆる「精霊」を

象ったシンプルな土偶から、

シャーマンを始めとする「半人間」を

模したような土偶へと進化する中で、

ときには「神」となりときには

「人の身代わり」となりながら、

自らの立場を変化させてきたのが

縄文の土偶たちだったかもしれません。


祭祀の効率化

2019-09-29 09:24:03 | 縄文への旅

<是川縄文館>

 

重量感のある中実土偶(粘土が詰まった土偶)に比べ、

粘土の少ない中空土偶は、比較的軽いことから、

移動や持ち運びなどに適した造形ともいえます。

また、中空土偶の代表格である「茅空」の両足が、

自立できない造りであることなども考慮すれば、

中空土偶という造形物が、どこかに持ち込むことを

念頭に置いて制作されたと考えても、

ある意味間違ってはいないのでしょう。

 

ちなみに昨日、「土偶の欠け」について

お話ししましたが、「茅空」を始めとする

中空土偶の「空洞」という特徴も、

「土偶の欠け」として捉えると

いくつかのイメージがわき上がってまいります。

聞いたところによりますと、

縄文後半になり中空土偶が目立つようになったのは、

土偶の中身を「空洞」にすることで、

より「神気」を貯まりやすくしたからなのだとか……。

 

もしかすると、中空土偶が制作され始めた背景には、

技術的な進歩といった理由以外にも、

「祭祀の効率化」を図るという

側面もあったのかもしれません。


土偶の欠け

2019-09-28 09:09:27 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

ほとんどの土偶は、一部の種類を除き

ほぼ「左右対称」に造られており、

そのことが土偶の美術的価値を

高める要素のひとつとなっております。

 

破損を免れた縄文のビーナスや、

全体像を残す仮面の女神、

そして縄文の女神などが、

専門家から特出した評価を受けるのも、

身体全体のバランスの完璧さに

依るところが大きいのでしょう。

 

しかし、縄文人は本来「パーフェクト」

だったであろう多くの土偶を破壊し、

わざとアンバランスな造形に変えて

土の中に埋めました。それらの経緯においては、

様々な理由があったと推測されますが、

主たる理由が「土偶の霊性を失わせること」

だったのではないかと個人的には想像するのです。

 

いうなれば、完璧なものというのは「神」であり、

それ以上の変化・発展・循環はありません。

ゆえに、あえて「欠け」を作ることで、

変化のための「隙」を持たせたと仮定すると、

また土偶の別の側面が見えてくるでしょう。


バラバラ土偶

2019-09-27 09:05:10 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

通常、土偶が土中から現れる際、

ほとんどの土偶が「故意に壊された状態」

で発見されるそうです。それだけでなく、

バラバラにされた土偶の破片や、

欠損した土偶の「もぎ取られた部位」が、

どういうわけか「同じ穴」あるいは

「その近辺」からは見つからない

という不可解な現象が見られるのだとか……。

 

このことを踏まえれば、縄文時代の人々が

「土偶を壊す」という行為に、

重要な意味を持たせていただけでなく、

「本体と破壊した部分を同じ場所に置かない」という、

暗黙のルールを守っていたことがわかるでしょう。

 

ちなみに、土偶という偶像は

当初から「壊す目的で」造られており、

制作段階ですでに足の付け根などに

亀裂が入っていたという話を聞きます。

また、削られた部位の90%以上が、

頭、腕、足、乳房など特定の部位に

集中していることから、単に

「患部を壊し治癒を願った」

とも考えにくいのだそう……。

 

いずれにせよ、壊された土偶たちを眺めておりますと、

個人的にはどうしても「再生」よりも

「封印」の力を強く感じてしまうのですね。


茅空

2019-09-26 09:00:54 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

北海道初の国宝指定を受けた「中空土偶(茅空)」が、

他の国宝土偶などと決定的に異なる点は、

「女性性」を極力排除しているという部分かもしれません。

ふくよかな下半身が魅力的な縄文のビーナスや、

引き締まったウエストが美しい縄文の女神などと比べると、

その差は歴然であり、中空土偶の広い肩幅や

寸胴のボディーラインからは、まるで「男性」を

モデルにしたような気配すら伝わってまいります。

 

先日ご紹介した「仮面の女神」しかり、

のちに取り上げる「合掌土偶」しかり、

この時期の土偶には「中性的」な雰囲気が

強調される作品も多く、縄文後期以降「祈りの内容」

が多様化したニュアンスが随所に漂ってくるのです。

 

ちなみに、この「茅空」はお墓の中から発見されたそうですが、

頭部の突起部分と両腕が欠けた状態で出土しただけでなく、

失われた両腕等は現在も行方不明のままなのだとか……。

果たして、削がれた頭頂部と両腕は、

誰が何のために持ち去ったのでしょうか……。


中空土偶

2019-09-25 09:57:21 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

信州で「仮面の女神」が活躍していた縄文後期、

北海道南部では、茅空(かっくう)の愛称で知られる

「中空土偶(ちゅうくうどぐう)」が誕生しました。

まあ、厳密にいいますと、中空土偶という名称は

「中身が空洞」の土偶全般を指す言葉で、

昨日ご紹介した「仮面の女神」なども

いわゆる中空土偶なのですが、ここでは便宜的に

国宝に指定された「茅空」を指すことにいたします。

 

で、今も書きましたように、

中空土偶の特筆すべき部分といえば、

その名の通り中身が空洞であること、

極めて精巧な作りであること、

さらには外側の土の部分が非常に

薄く造られているということで、

土偶造形の到達点を示す作品として、

北海道初の国宝にも指定された逸材です。

 

しかしながら私、中空土偶の印象があまりにも希薄であり

(中空ゆえに……)、縄文展を訪れた際の記憶をたどっても、

国立歴史民俗博物館を探索した際の資料をひっくり返しても、

「中空土偶ってどこにいたんだっけ……」

と思わず遠い目をしてしまうのが現状。

仕方なく、膨大な量の写真データを片っ端から探して、

ようやく見つけた中空土偶その人は、

何ともワイルドな風貌をしていたのでした。


供養のための土偶

2019-09-24 09:50:20 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

以前、能登の「土製仮面」についての記事でも

書いたように、「仮面をつける」という行為は

「蘇りの儀式」であり、仮面をつけた神々は

「死んだ子どもを生まれ変わらせる先祖霊」

だという話を聞きます。このことを踏まえれば、

仮面の女神などに代表される「仮面土偶」たちは、

「再生」の儀式に使用されたり、「供養」の道具

として用いられたりした可能性もあるのでしょう。

 

ちなみに、仮面の女神を俯瞰して眺めてみますと、

頭の部分だけではなく、腕を除く上半身や、

身体全体のラインに至るまで、

三角形を意識して造られているのがわかります。

「3」という数字は三回忌や十三回忌、三十三回忌など、

先祖供養の場面でも頻繁に登場する意味深な数字ですから、

仮面の女神が身体全体に「マジカルな力」

を纏った土偶であることは間違いなさそうです。

 

そんな様々な役割を期待された仮面の女神ですが、

最終的には足をもがれて土の中に

埋められ長い長い眠りにつきました。

「彼女」が最後に目にしたのは、

果たしてどのような光景だったのでしょうか……。


封印の型

2019-09-23 09:52:48 | 縄文への旅

<大湯ストーンサークル館>

 

「仮面」「文身(いれずみ)」

「豊満な下半身」「右足の分離」……等々、

意味深な要素を重ね持つ「仮面の女神」という土偶には、

縄文中期までの土偶たちとは比べ物にならないくらい、

「多種多様な役目」が課せられていたような気がいたします。

 

いうなればこの土偶は、あるひとつの目的で

造られたものではなく、常に斎場の中央に置かれるような

「メインの土偶」としてのポジションを担っていたのでしょう。

 

つまり、神社でいうところの「主祭神」

の立場に置かれたのが「彼女」で、

祭祀の内容に応じて補佐的な土偶を入れ替えながら、

多くの儀式に立ち会い、人々の祈りの対象と

なっていた姿を個人的には妄想するのですね。

 

また、この仮面の女神という土偶は、

埋められる際に右足を折られ横倒しにされたそうですが、

「身体の一部を破損させる(でも細かく砕いたりしない)」

という土偶特有の埋葬法は、豊穣を祈る儀式というより

ある種の「封印」の型に近いような気がいたします。

 

恐らくは、この土偶を依り代とした

シャーマンの身代わりとして、

いわゆる「生け贄」の役目を果たしていたのかもしれません。


祈りの比重

2019-09-22 09:49:31 | 縄文への旅

<大湯ストーンサークル館>

 

「丸太のように太い足」が印象的な「仮面の女神」ですが、

実は発見時には右足だけが意図的に外されていたと聞きます。

とはいえ、分離した右足もすぐそばで見つかったそうですから、

破壊を前提とした土偶と差別化する意味でも、

「完全形の土偶」に分類しても差し支えないのでしょう。

 

ちなみに、仮面の女神の上半身に刻まれた文様は、

当時全身に文身(いれずみ)をしていた

巫女(シャーマン)を模しているという話があります。

それらの仮説を踏まえれば、仮面の女神が被る「仮面」は、

シャーマンが「神降ろし」をする際に使うお面、

あるいは身体を神に明け渡した

シャーマンの形相を暗示しているのかもしれません。

 

いずれにせよ、仮面の女神が他の土偶とは一線を画す、

「特殊な役目を担っていた」ことは明らかで、

縄文中期とは異なる厳しい環境の中で、

大型土偶に託された「祈りの比重」が増して行った様子が、

この作品の複合的な造形から伺えるのです。


仮面の女神

2019-09-21 09:45:36 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>
*仮面の女神とは別の作品です*

 

これまでご紹介した国宝土偶以外にも、

縄文中期に制作されたとされる

「魅力的な作品」は数多くございます。

ただし、ひとつひとつ調査していくと

膨大なページ数を取られるため、

ここではひとまず保留することとして、

次に縄文後期の土偶たちを見て行くことにしましょう。

 

先日、縄文のビーナスと共にご紹介した「仮面の女神」は、

仮面土偶の名を世に知らしめた逸品であり、

「縄文のビーナス」が造られた縄文中期とは、

およそ1,000年以上の開きがあります。

出土エリアも近く、また同じ「太い足」

を持つ土偶であるにも関わらず、

丸みを帯びたラインが印象的な縄文のビーナスと、

逆三角形のシャープな小顔が強調された仮面の女神とでは、

全体から受ける印象はほぼ真逆です。

 

一説にこの差は、各々の時代環境

(中期は温暖、後期は寒冷)の違いによるもので、

寒冷化により「祈りの内容」に変化が出たことが、

土偶の風貌にも影響を及ぼしたのだとか……。

そう言われて、改めて仮面の女神を眺めてみますと、

渦巻きや同心円、たすきを掛けたような筋など、

上半身全体に刻まれた多様な文様が、

どことなく「祈りの切実さ」を

訴えかけているような気にもなってまいりますね。


縄文の女神

2019-09-20 09:16:21 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

昨年、東京の国立博物館で開催された

「縄文展」を訪れた際、

インパクトを受けた作品の筆頭が、

山形県最上郡舟形町で発掘された

「縄文の女神」と呼ばれる土偶です。

それは数ある土偶の中でも、群を抜いて

アバンギャルドなルックスを有しており、

ひと目見た瞬間に、それまで抱いていた

「土偶=ほぼ裸の女性(遮光器土偶を除く)」

というイメージを覆すような強い衝撃を受けました。

 

一般的に、この縄文の女神について評する際に、

「パンタロンを履いた女性」などと表現しますが、

まるで宇宙飛行士のヘルメットを彷彿させる帽子や、

「肩当て」を装着したような

上半身のデザインを考慮しても、

この土偶は明らかに「服を着ている」

と考えたほうがしっくりきます。

 

もしかすると、縄文晩期に突如として現れた

「遮光器土偶」などと同様、「人間ではない人間?」

を模写したものなのでしょうか……。

いずれにせよ、山形県から出土した「縄文の女神」と、

長野県から出土した「縄文のビーナス」という、

縄文中期を代表する2つの土偶は、

まったく異なる役目を担っていた

ような気がしてならないのですね。


8頭身土偶

2019-09-19 09:10:52 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

縄文のビーナス・仮面の女神などに

見られる土偶の「太い足」は、

大地を踏み固める所作を写し取ったものだと

個人的にはイメージしております。

「彼女ら」が発掘された場所が、

フォッサマグナの中央に位置し、

さらには中央構造線の要所

であることなどを考慮すれば、

信州を代表する2つの国宝土偶が、

「地震」や「噴火」を抑えるために

用いられたと仮定しても、

決して不自然ではないかもしれません。

 

地母神というのは要するに、

「地霊の女性性」でもありますから、

大地の分け御魂である「土」から地母神を象り、

さらに地母神に太い足を付け加え、

「大地の鎮魂」を祈ったことは

想像に難くないのでしょう。

 

ちなみに、縄文のビーナスが制作された

縄文中期、信州から遠く離れた山形県では、

「縄文の女神(名前がややこしい……)」

との愛称を持つ、縄文随一の

美しいスタイルを誇る土偶が制作されています。

身長45㎝という国内最大級のこの土偶は、

ヘルメットのような頭、表情のない顔、

逆三角形の尖った胸、引き締まった腰回りのライン、

そして何といってもベルボトムを

履いたような長い足が特徴でして、

5つの国宝土偶の中でもとりわけ

「様式美」「芸術性」を感じさせる大作でした。


地霊鎮め

2019-09-18 09:04:31 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

縄文中期以降の土偶が有する「太い足」は、

平面的だった土偶を自立させるための、

苦肉の策だったといわれております。

実際に、粘土などで立体物を作ってみますと、

二本の足で体全体をしっかりと

安定させるのは案外難しいもので、

「固定」を念頭に土偶を制作し始めた縄文中期の人々が、

どんどんと足を太くせざるを得なくなったのも、

ごく自然な流れなのかもしれません。

 

ただし、この時期以降に造られたすべての土偶に、

「太い足」が付いているかというとそうでもなく、

後ろから支えてなければ倒れてしまいそうなほど、

細く貧弱な足を持つ土偶も多々あります。

その事実を踏まえれば、やはり縄文のビーナスや

仮面の女神に代表される極太の足には、

何らかの理由があったと考るべきなのでしょう。

 

ちなみに、昨日の記事にも書きましたが、

これらの土偶の太い足を見たとき、

まず思い浮かんだのが「地霊鎮め」という言葉でした。

祭事などで踊られる舞の振り付けや、

相撲取りの四股などにも表されるように、

「大地を踏みしめる」という所作は、その地に眠る

「ゲニウス・ロキ」を封じ込める神事でもあるのですね。


足の太い土偶

2019-09-17 09:01:10 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

実は、大型土偶に分類される直径20cm~の土偶は、

ほぼ全形を留めたまま出土するだけでなく、

「掘られた穴の壁に向かい横倒しの状態で」

発見されることが間々あると聞きます。

縄文のビーナスしかり、近隣で発掘された仮面の女神しかり、

「彼女?ら」は環境変化などに伴い自然と倒れたのではなく、

わざと横倒しにして埋められたと思われる節があるのだとか……。

つまり、豊穣祈願のためにバラバラにされた他の地母神土偶と、

死者を埋葬するかのように丁寧に葬られた縄文のビーナスとでは、

当初から造られた目的が違っていたとも考えられるのですね。

 

そんな疑問を抱きながら、改めて縄文のビーナスの

写真を眺めているうちに目にとまったのが、

簡略化された腕の形状とは正反対の「足の太さ」でした。

それはあたかも、土偶創成期に造られた素朴な土偶や、

二本の足さえ持たない板状土偶などと差別化を図るかのごとく、

作者が意図的に強調したようなデザインにも見えます。

もしかすると、縄文のビーナスや仮面の女神などに具えられた、

違和感を覚えるほどの二脚の太さは、

強力な「地霊鎮め」の効果を生んだのかもしれません。


壊されなかった土偶

2019-09-16 09:42:53 | 縄文への旅

<大湯ストーンサークル館>

 

「地母神」という言葉を聞いてまず思い出したのは、

ハイヌウェレ型と呼ばれる食物起源神話でした。

以前、「名草戸畔」の記事等でもご紹介した通り、

人間の排せつ物やバラバラになった

屍体から食物が産み出されるという逸話は、

日本だけでなく世界各地に散らばっており、

一説に「土偶を破損して埋める」という行為も、

このハイヌウェレ型神話を儀礼的に

再現したものだといわれております。

 

名草戸畔の遺体を、頭と腹と足とに

分けて埋葬した理由に関しても、

「五穀豊穣を願うためだった」という話がありますし、

地母神を象った土偶をバラバラにして埋めることで、

当時の縄文人たちが「豊作」を祈願した

と考えても不思議ではないのでしょう。

 

となると、破壊されたその他大勢の

「地母神土偶」とは異なり、

身体の欠損を伴わない状態で埋められた、

縄文のビーナスのポジションが気になりますね。

それらの謎を解くカギとなりそうなのが、

大型土偶にまつわる「極めて稀な現象」だったのです。