<物部町・根木屋>
数ある忌部氏の職責の中でも、
主に「祈祷」を担った一族が、
木頭に住む忌部氏だったと仮定するならば、
他の氏族との交流が盛んな剣山北麓を避け、
あえてひと目につきにくい
阿波南西部を選んだとも考えられます。
木頭村の隣に本拠地を構えた物部の里の人々が、
木頭忌部の一派なのか、他地域からの移住民なのか、
あるいは後発の渡来人なのかはわかりませんが、
いずれにせよ、物の怪の類を利用する呪術師が、
一部に存在していたのは確かでしょう。
現在、いざなぎ流の太夫が行う祈祷は、
「個人の願い」に対するものがほとんどです。
ただし、忌部氏の時代に置き換えてみれば、
それらの行為は恐らく「外法」であり、
祭祀氏族としての禁忌を犯していたとも言えます。
いざなぎ流の成り立ちを伝える祭文の中で、
秘術を伝授したとされるいざなぎ大神が、
「私は外法を扱う家筋ではない」と憤ったのも、
忌部氏が伝え続けてきた祭祀が、
「正統派」であることを主張すると同時に、
「外法」というタブーを犯すことへの
戒めを強く説きたかったのかもしれません。