たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

ツキヨミノミコト

2015-02-28 13:43:46 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<月夜見宮 つきよみのみや>

 

本日は外宮の別宮である月夜見宮にて、

遷御の儀が執り行われます。

天照太御神の弟神にあたる月夜見尊(月読命)は、

夜の食国(よるのおすくに)を司る神様ですが、

記紀神話にはほとんど登場しません。

月を支配する存在であることから、

男性神ではなく女性神だという意見や、

スサノオと支配領域が近いため、

スサノウとツキヨミは同一神だという見方など、

数々の謎を身にまとっているのが、

ツキヨミノミコトという神様です。

 

ちなみに伊勢神宮には、

つきよみのみやという場所がふたつあり、

ご祭神も同じツキヨミノミコト。

一説では内宮の月読宮には男性神が祀られ、

外宮の月夜見宮には女性神が祀られている、

などといわれているものの、

真偽ほどは定かではありません。

ただ、ふたつのお宮をお参りしますと、

その周辺に漂う雰囲気から、

大きな違いがあることに気づきます。


神の通い道

2015-02-27 16:03:20 | 伊勢神宮

<月夜見宮 つきよみのみや>

 

外宮の北御門を出たところから、

月夜見宮(つきよみのみや)に向け、

「神路通り」という参拝道が伸びています。

この道は月夜見宮のご祭神である、

月夜見尊(つきよみのみこと)が、

白馬に乗って夜な夜な外宮へ通う

「神の通い道」だといわれ、

「道路の中央は歩かない」

「穢れは避ける」などの風習が、

現在も残っているそうです。

 

ちなみに江戸時代のころ、

これらの言い伝えに従わず、

不敬な格好で道の真中を歩いた者が、

翌日「神さんを見た」といって正気を失い、

そのまま死んでしまった、

という言い伝えがあるとか…。

また、神宮関係者や地元の人たちは、

内宮の月読宮と区別するために、

「つきやみさん」と呼ぶという話も聞きます。


清浄な場所

2015-02-26 13:32:16 | 自然災害・参拝マナー

<外宮 げぐう>

 

無知で欲深い人間が増えるごとに、

神社の静謐な雰囲気は失われていきます。

特にそれまで無名だった場所に、

突然観光客が大挙して訪れれば、

受け入れ体制が追いつかないのも仕方ありません。

伊勢神宮が清浄な空間を保っていられるのは、

ひとえに日々の職員の方々の努力の賜物でしょう。

 

聖地という場所は、

神様が勝手に清浄さを維持するのではなく、

人間の心で磨き上げ保って行く場所です。

どんなに由緒ある神社でも、

訪れる人間の心根が穢れていれば、

清浄であるがゆえに穢れを吸収し、

すぐに「神様の寄れない場所」になってしまいます。


無言のメッセージ

2015-02-25 12:28:41 | 歴史・神話・旅・風景

<鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう>

 

ここ近年、ご神木の倒木が目立っています。

本来なら立ち入ることのできない神域に、

人間が無防備に踏み込んだことで、

土地の生命力が枯渇したのかもしれません。

残念ながら、巷で評判のパワースポットほど、

人間の金銭や欲と引き換えに、

「自然」を切り売りしているのが実情です。

 

仮にご神木が再生したとしても、

再び我の強い人間が集まれば、

同じような結果を生むだけ。

数千年も生きながらえてきた巨木たちが、

次々とその役目を終えてしまうのは、

自分の身と引き替えに

「エゴを断ち切る必要性」を

無言で私たちに伝えているのでしょう。

 


過去の縁

2015-02-24 12:50:21 | 歴史・神話・旅・風景

<竹生島 ちくぶしま>

 

数年前から、神社参拝や聖地巡りなどが、

メディアで取り上げられる機会が増え、

多くの人が、神様や仏様に手を合わせたり、

過去の偉人に思いを馳せたりと、

見えない存在へ意識を向けて始めています。

 

ある神社の宮司さんは、

「きっかけは何であったとしても、

こうしてわざわざ縁の土地を巡り、

過去の人たちを偲ぶ行為は、

ご先祖のつぐないにもつながっている」

とおっしゃっていました。

 

今の私たちの生活が成り立っているのも、

綿々と続く過去の人たちの努力があってこそ。

こうして何気なく暮らしている背景には、

長年積み重なった数え切れない人々の、

様々な感情や懺悔の気持ちなども、

入り混じって存在しているのでしょう。


陰の遺産

2015-02-23 12:36:23 | 歴史・神話・旅・風景

<余呉湖 よごこ>

 

全国各地には、合戦場跡や戦争の痕跡はもちろん、

古代豪族の争いや神々の残酷な伝承など、

「忘れ去られた陰の遺産」が

そこかしこに残っています。

私たちが何気なく通り過ぎている土地の下に、

今なお古来の人々の念が積っていると考えると、

現代の日本はまさに「陰の歴史」の上に

成り立っているといっても過言ではありません。

 

たとえ、観光目的で訪れたとしても、

どこかで「その土地に眠る記憶」

に心を沿わせることができたなら、

苦しむ過去の人々の気持ちも休まり、

疲弊した日本を癒す一助になるはず。

多くの日本人がその作用に気づき、

忘れてはいけない過去を思い出したとき、

日本という国は再生を始めるのかもしれません。


神様の居場所

2015-02-22 13:41:08 | 自然災害・参拝マナー

<月讀宮 つきよみのみや>

 

最近改めて感じるのは、

神社は自然そのものだということです。

「この神社にはパワーがある」

「この神社には神様がいる」のではなく、

神様が宿りたくなるような

素晴らしい自然が残っているからこそ、

その場所が神様の力でみなぎるのでしょう。

 

塩やお神酒を撒き散らしたり、

砂を掘ったり水晶を埋めたりと、

神社で不敬な行為をする人は後を絶ちません。

ただ、そういった我が物顔の振る舞いが、

鎮守の森を汚し、境内の景観を損ね、

古くから維持されてきた貴重な神社を、

「神様のいない場所」に変えています。


ふたつの波長

2015-02-21 14:11:00 | 神社について

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

神社はパワーをもらいに行ったり、

祈願に行ったりするところではなく、

「人間のほうが」力を与えるべき場所です。

豊かな自然を決して汚さず、

神様がいつも心地よく過ごせるよう、

謙虚さと感謝の気持ちを持って

参拝するのが礼儀だと思います。

 

私たちの感謝の波長と、

自然の波長はとても相性がよいもの。

ふたつの清らかな波長が同調した瞬間、

すべての物事が整う磁場が生まれます。

神社の荒れ具合は、

そのまま自然破壊につながり、

最終的には日本人の心の荒廃を招いているのでしょう。


本物の良縁

2015-02-20 20:46:40 | 神社について

<青島神社 あおしまじんじゃ>

 

縁結びのご利益があると評判の神社には、

どこも年頃の女性たちであふれています。

さらには若者だけでなく、

年頃の子供を持つ親たちも、

当人以上の熱心さで、

神社仏閣に祈願をしたり、

お見合い相手の情報収集をしたりと、

最良の縁を求め奔走しているようです。

 

ただ、本当によい縁が欲しいと思うなら、

逆に縁を求めすぎないほうが上手く行くもの。

総合的に見ても、縁結びを願えば願うほど、

本当の良縁からは遠ざかるのですね。

縁に執着すれば、

執着の強い縁しかやってきません。

縁など求めないときに得た縁ほど、

自然と良縁に発展していくものだと思いますよ。


ツミケガレ

2015-02-19 14:14:14 | 神社について

<内宮 ないくう>

 

喪中や女性の月経期間は、

神社への参拝はしないほうがよい、

という話を時折耳にします。

これは神道における

「穢れ(ケガレ)」の意識から来たもので、

ケガレを身につけた人が聖域に入ると、

その地域の人すべてに災いをもたらす、

という考え方が古くにはありました。

 

ただ、本来ケガレというのは、

「気が枯れる」という意味で、

神様の尊い「気」を枯れることを、

あらわす言葉だそうです。

ケガレとともによく使われる「罪」という言葉も、

人間本来の姿を包み隠してしまう、

「包む身(つみ)」が語源だといわれています。

 

ゆえに、悲しみや気力の停滞がなければ、

「ケガレ」には当たらないということで、

たとえ喪中や月経期間であっても、

神社参拝をしても問題はありません。

それより、悲しみに暮れ続けたり、

生きる気力をなくしたりすることのほうが、

私たちにとってツミケガレ深いのでしょう。


繰り返しの極意

2015-02-18 23:23:33 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<瀧原宮 たきはらのみや>

 

日本の文化の根底には、

「繰り返し」の極意が注ぎ込まれています。

日々同じことを繰り返していると、

つい手を抜いたり義務感を抱いたりしがちですが、

その状態を耐えて乗り越えることで、

どんな状況でも一定の精神力を保てるようになるもの。

 

神社の神職やお寺のお坊さんが、

毎日決まった時間に決まった儀式をするのは、

神性や仏性を「意識せず」に身につけるためです。

正しい振る舞いが心身に染みついているからこそ、

何気ない所作や発声だけで、

ご神気を感じさせられるのでしょう。


予め祝う

2015-02-17 14:52:42 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<外宮 げぐう>

 

本日全国の神社では、

祈年祭(きねんさい、としごいのまつり) が行われています。

一年の農耕の開始に先立ち、

あらかじめその年の豊穣を祝う

この祈年祭というお祭りは、

「予祝祭(よしゅくさい)」とも呼ばれ、

秋の収穫祭である新嘗祭とともに、

日本人にとって大事な年中行事のひとつです。

 

予祝(よしゅく)とはその名の通り

「あらかじめ祝う」という意味で、

古くから日本では、

「おめでたいことが起きたからお祝いをするのではなく、

先にお祝いをするからこそ、おめでたいことが起きる」

と考えられてきました。

 

幸運に恵まれるかどうかはわからないけど、

それでも「ありがたい」と思える気持ちは、

日本人という民族が持つ独特の感性です。

そして、その感謝の思いを示すお祭りを、

長い間絶やさずに継続してきたからこそ、

日本という国に平和が保たれ、

私たちは健やかに生きていられるのでしょう。


右側と左側

2015-02-16 12:48:20 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

伊勢神宮の参道の入り口には、

内宮では右側通行、外宮では左側通行

と書かれた看板が出ています。

この理由には色々な説があり、

ひとつは手水舎の場所に沿って、

効率よくお参りするため…、

あるいは神様に失礼にならないよう、

本宮に遠回りして近づくため…等々。

 

そんな数ある理由の中に、

「天津神(あまつかみ)系の神社では右側、

国津神(くにつかみ)系の神社では左側を歩く」

という説があるのをご存じでしょうか?

天照太御神という天津神の最高神をお祀りする内宮で、

右側通行と決められているのはわかりますが、

同じ天津神系の神を祀る外宮では、

なぜ左側通行を採用しているのか…。

外宮というお宮への興味は尽きません。


生む砂の神

2015-02-15 13:05:50 | 神社について

<伊射波神社 いざわじんじゃ>

 

神社の参道とは、神様の母体の「産道」を示し、

参道の先にあるお宮は「子宮」を示します。

そして、産土(うぶすな)というのは、

産屋(うぶや)に敷かれた砂のことです。

私たちは産道を通って子宮に戻り、

そこに敷かれた砂の上で新たな命を育み、

再び参道を通ってこの世に生まれ出る…、

つまり神社という場所は、

生命誕生の地でもあるのですね。

 

ちなみに産土神(うぶすながみ)は、

「生まれた土地の神様」という意味。

誰もが縁ある土地の神様に導かれ、

母親という現実の母体を通じて、

この世に生まれ出ます。

神社を象徴する様々なものは、

単なる信仰のシンボルではなく、

現実面にも大きな作用を及ぼす、

超科学的な仕組みなのかもしれません。


母体への回帰

2015-02-14 18:01:10 | 神社について

<伊射波神社 いざわじんじゃ>

 

参道を歩くことは、「母体への回帰」

に通じるといわれております。

修験系の神社仏閣では、

霊山を踏破したり、

岩場をくぐり抜けたりすることで、

「死と再生」の疑似体験をしますが、

神社の参道(産道)を歩くことも、

お宮という子宮に帰る過程なのだとか。

そう考えると、神社の総元締めである内宮が、

女神である天照太御神を祀っているのも、

十分理にかなった話です。

 

「参道を歩いて母体に帰り、

再び参道を歩いて母体から産まれ出る」

という一連の流れが、

つまりお参りという行為でして、

私たちは神社を訪れるたびに、

新しく生まれ変わっているというわけですね。

参道を清浄に保つことで、

神域内に新たな命を育む環境が整い、

また参道を清浄な気持ちで歩くことで、

新たな心身へと入れ替わるのでしょう。