<国立民族学博物館>
記紀を改めて読み直してみますと、
「スサノオの狼藉」や「因幡の白兎」
などの物語の中で、爪を剥いだり、
馬の皮を剥いだり、兎の皮を剥いだり……等々、
何かを「剥ぐ」という痛々しい話が
あちこちに記載されていることに気づきます。
また、八束脛や長脛彦など
「はぎ(すね)」がつく名前は、
先住民族を蔑視した呼称だと
言われていることを考えても、
古くから「剥ぐ」という行為、
あるいは「はぎ」という言葉に、
特別な意味を持たせていたことは事実でしょう。
一説に、動物の皮を剥ぐという行為は、
「縄文人特有の野蛮な行動」として、
弥生人から毛嫌いされていたと聞きますが、
古い文献には「天照大御神に猪の皮を献じた」
とも書かれていますし、事実、
生き物の皮を剥いで神に捧げる、
あるいは人間の再生のために
生き物の皮を用いるといった儀式は、
今なお多くの神社の祭祀の中に受け継がれています。
恐らく、アマメハギは「剥ぐ儀式」の代替行事であり、
大切な子供を「鬼」から守るための
「呪詛返し」だったのかもしれません。