たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

隼人と竹

2019-02-28 09:38:41 | 出雲の神社

<曽枳能夜神社 そきのやじんじゃ>

 

南九州を本拠地とした「隼人」という一族(集団)は、

日本の先住民の一派であり、同じ九州にいた「熊襲」や

奈良の山間部を拠点にした「土蜘蛛」「国栖」などと同様、

ある意味、大和朝廷の支配外に置かれていた人々です。

 

一説に隼人たちは、犬の遠吠えをして連絡を取り合ったり、

悪霊を追い出すために犬の鳴き声を真似したり……等々、

「犬」の鳴きまねを得意としていたそうで、

『播磨国風土記』に記載される「別部の犬」や、

金屋子神に吠え掛かった「出雲の犬」も、

隼人とのつながりが深かったと言われています。

 

また、「竹」を扱う技術に長けていた隼人は、

様々な竹製品を製造しただけでなく、

かぐや姫の話の元となった「竹取物語」

の誕生にも深く関わっているのだとか……。

 

隼人たち自体が海外からやってきたのか、

それとも渡来人の影響をいち早く受けた

先住民なのかははっきりとしませんが、

いずれにせよ、南九州には他の地域に先駆けて、

南方系の渡来人が到着し、全国の「竹文化」の

発信源となったことは間違いないのでしょう。


竹の部族

2019-02-27 09:26:56 | 出雲の神社

<佐支多神社 さきたじんじゃ>

 

「竹(笹)」は、稲作が日本に到来する遥か以前、

渡来系の人々が南九州に上陸した際に、

異文化とともに持ち込んだという説が有力です。

何でも、各地に存在する「竹林」は、

南九州を本拠地としたある部族が、

日本国土を北へと移住する過程において、

竹にちなむ文化を広めて行った名残なのだとか……。

 

今回、出雲一帯の神社を巡っている最中、

たくさんの竹林を見かけたため

不思議に思っていたのですが、

もしかすると出雲は、早い時期に渡来人が

定住を始めた土地だったのかもしれません。

また、島根県の出雲地方だけでなく、

全国の「イズモ」と呼ばれた場所には、

早期渡来人の移住地も多かったと思われます。

 

恐らく、竹・笹に助けられた金屋子神や

阿用の夫婦は、「竹」の暗示する部族に

匿われたという意味なのでしょう。

『金屋子神祭文』の中で金屋子神を助けた「藤」、

逆に安倍の犬に協力した「麻」「蔦」に加え、

新たに登場した「竹」という植物も、

古代氏族の暗示である可能性が大です。


笹の手助け

2019-02-26 09:24:20 | 出雲の神社

<中山神社 なかやまじんじゃ>

 

アニメ映画「もののけ姫」の舞台にもなった、

島根県雲南市・菅谷たたらの伝承の中に、

先日ご紹介した『金屋子神祭文』とは

少々異なる言い伝えがありました。

何でも、出雲タタラの始祖である金屋子神は、

吉備の中山から、村下1人とオナリ1人、

そしてお伴を2人連れて、

奥出雲へとやってきたのだそうです。

ところが金屋子神の一行が到着したとき、

四つ目の犬が吠えて襲いかかってきたため、

金屋子神は慌てて笹の中に身を隠したのだとか。

それ以来、タタラで働く人々は犬を嫌い、

笹を大事にするようになったと言います。

 

また、近隣の雲南市・阿用という地区には、

「片目の鬼が来て、農家の息子を食べた。

その時、父と母は竹藪の中に隠れた……」

という内容の昔話が残されていました。

一説に「オナリ」とは、15歳くらいの少女

(飯炊きの老婆という説もあり)を指し、

神様の食事を作っていたとのことですから、

恐らく巫女のような立場だったのでしょう。

「オナリ」と金屋子神とのつながりは、

それ以上調べることはできませんでしたが、

気になるのは、金屋子神も阿用の夫婦も、

「笹」に助けられたという点かもしれません。


オナリ

2019-02-25 09:22:06 | 出雲の神社

<稲田神社 いなたじんじゃ>

 

日本神話だけに留まらず、

人身御供を示唆する伝承は、

全国各地に伝えられており、

特に、「製鉄」に関わる言い伝えの中には、

川の治水工事や城の建築工事などと同様、

多くの人身御供の逸話が含まれています。

 

それらの話のほとんどが、

「タタラ神の妻として娘を差し出す」

といったあらすじの物語でして、

タタラ神の妻となる女性は、

主に山師の娘の中から選ばれ、

「オナリ」という名で呼ばれたそうです。

 

一説にオナリは、田の神へ捧げる

生贄の女性を指すとも言われており、

クシナダヒメの別称の「稲田姫」の「稲」も、

田の神とのつながりを示すものなのだとか。

もしそうだとすれば、クシナダヒメの両親である

アシナヅチ・テナヅチは、オナリを娘に持つ、

イズモの「鉄の民」だったのでしょうか……。


人柱にされた娘

2019-02-24 09:19:14 | 出雲の神社

<松江市・松江城>

 

ヤマタノオロチに命を狙われたクシナダヒメや、

ヤマトタケルの身代わりとなって海に沈んだ

弟橘媛(おとたちばなひめ)の話など、

記紀の中には「人身御供」を

思わせる物語が少なからず存在します。

 

また、神話内だけに留まらず、

古くから「跡目争い」や「国盗り合戦」

の舞台となった「城」という建物にも、

何かと物騒な伝説がつきものでして、

築城工事の際などに問題が出ると、

「土地の神様の怒りを鎮める」といったの名目の元、

若い女性らを人身御供として生き埋めにした、

などの言い伝えがあちこちに残っているのです。

 

出雲市のお隣・松江市にある松江城にも、

「天守閣を支える石垣が何度も崩れ落ちたため、

城下で踊りを踊っていた少女を連れ去り埋めた」

という話が伝えられておりました。

この話は、小泉八雲が描く「人柱にされた娘」

というタイトルの怪談話の題材にもなりましたが、

これらの事実からも、日本には「つい近年まで」

人身御供の儀式が残っていたことがわかります。


人身御供

2019-02-23 09:13:36 | 出雲の神社

<奥出雲町稲原>

 

古代より、土地の神を鎮め災いを防ぐために、

人身御供という儀式が行われてきました。

対象となったのは、主に子供や若い女性で、

現在、神社の特殊神事や民間習俗に残る

「動物の供物を捧げる」という儀式は、

人的犠牲の代替行為でもあります。

 

記紀のヤマタノオロチの物語の中にも、

のちにスサノオの妻となるクシナダヒメが、

人柱になりかけた経緯が描かれていますが、

神話の舞台が出雲に移ったタイミングで、

「人身御供」の伝承が登場するということは、

古くからこの風習が重要視されていた証なのでしょう。

 

恐らく、クシナダヒメとヤマタノオロチとの一件は、

「人身御供(人柱)」として犠牲になった、

イズモの女性たちを示すと同時に、

全国の「イズモ」と呼ばれた土地に、

人柱となった人々がたくさんいた事実を、

後世に残すために記された話なのかもしれません。


クシナダヒメ

2019-02-22 09:13:00 | 出雲の神社

<奥出雲町稲原>

 

『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では

奇稲田姫と表記されるクシナダヒメ(稲田姫)は、

ご存知のようにヤマタノオロチにさらわれる寸前、

スサノオによって命を助けられた女神です。

一般的には、農耕祭祀の象徴、五穀豊穣の神……、

などとして崇敬され、スサノオとの間に

八人の御子神を産んだことでも知られます。

 

また、クシナダヒメという名前は、

スサノオがヤマタノオロチを退治する際、

クシナダヒメを「櫛」に変えたことから

その名がついたのだとか。

何でも、櫛の材料となる「竹」には、

不思議な霊力が宿っているそうで、

クシナダヒメが化身した櫛を

髪に挿して出陣したスサノオは、

その力のおかげか見事オロチを退治しました。

 

ちなみに、イザナギが黄泉の国から逃げる途中、

イザナミに「櫛」を投げつける場面がありますが、

「櫛を挿す」「櫛を投げる」という行為には、

どことなく意味深な暗示が漂いますね。

これらの「稲」「櫛」「竹」……等の

キーワードは、果たして出雲神話を

ひも解くヒントとなるのでしょうか……。


稲田神社

2019-02-21 21:02:07 | 出雲の神社

<稲田神社 いなたじんじゃ>

 

***** 出雲の神社2 *****

金屋子神社から30分ほど南に下った

奥出雲らしいのどかな田園風景の中に、

クシナダヒメを祀る稲田神社がありました。

周囲には、姫が産湯に使った「産湯の池」や、

へその緒を切った竹を祀る「笹の宮」など、

クシナダヒメと関わる伝承地が点在し、

古い由緒を感じさせる場所です。

 

ただし、稲田神社の建物自体は、

昭和13年に寄進されたそうで、

もともとのお宮は、「産湯の池」か、

「笹の宮」の付近にあったのだとか。

地元の伝承によれば、産湯の池の近くから、

神剣や神鏡が出てきたという話もありますし、

一帯が古代の祭祀場だったことは確かなのでしょう。

 

考えてみますと、クシナダヒメという神は、

夫であるスサノオとともに祀られることが多く、

単独でご祭神となっているケースは少なめです。

出雲神話に登場する女神の代表格であり、

スサノオとの間に八人もの子を成した、

偉大な「母神」であるにも関わらず、

故郷出雲におけるクシナダヒメの存在感は、

意外なくらいに凡庸としていました。


鉄の神の争い

2019-02-20 09:19:49 | 出雲の神社

<多度大社 たどたいしゃ>

 

仮に、新羅由来の習俗を持つ渡来氏族が、

但馬国、播磨国などを経由し、

金屋子神への信仰とともに出雲に進出した経緯が、

『金屋子神祭文』に描かれているとすれば、

出雲で起きた「鉄の主導権争い」や、

それらの出来事を暗示したヤマタノオロチ神話が、

さらに具体性を帯びて迫ってくるようです。

 

一説によりますと、奥出雲のタタラの

棟梁である村下(および金屋子神)が、

麻(蔦)に足を取られて亡くなったあと、

次なる村下の立場を担ったのは、

天目一箇神(あめのまひとつのかみ)だったのだとか。

天目一箇神は「鍛冶の神」であるとともに、

筑紫忌部・伊勢忌部の祖神とされる神様ですね。

 

播磨国の和気氏と出雲国の安倍氏の一件以外にも、

中国地方に進出した渡来氏族の間では、

出雲の砂鉄を巡る攻防があったのでしょう。

伊勢神宮の創建にも関わったとされる

秦氏の重要人物・秦河勝が、

異国の神を信奉する大生部多を討ち取ったように、

この出雲の地でも、伊勢と縁する氏族が、

金屋子神の名前を借りた、ある種の「邪教」

を成敗した歴史があるのかもしれません。


橘の神紋

2019-02-19 09:15:10 | 出雲の神社

<金屋子神社 かなやごじんじゃ>

 

「常世」「みかん(橘)」という単語から、

連想ゲームのように頭に浮かんできたのは、

皇極天皇の時代に「常世神」への信仰を説いた、

大生部多(おおふべのおお)という人物でした。

大生部多は、のちに邪教を広めた罪により、

秦河勝(はたのかわかつ)により征伐されますが、

彼が「常世神」という名で崇めていたのは、

みかん(橘)の葉を食す毛虫(幼虫)です。

田道間守の逸話を元に考えると、大生部多が信仰した

みかん(橘)の葉を食べる「常世の虫」とは、

「新羅の神」だった可能性もありますね。

 

ちなみに、金屋子神社の古い神紋は、

藤原氏由来の「下り藤」ではなく、

「菱井桁に橘」という図案なのだとか。

みかんの伝承が神紋の「橘」に影響したのか、

逆に、神紋の図柄がみかんの伝承を

生み出したのかはわかりませんが、

みかん(橘)を好み、みかん(橘)の木によじ登り、

命を救われたとされる金屋子神の姿が、

「常世の虫」と重なって見えてくるのは、

少々行き過ぎた妄想でしょうか……。


みかんの木

2019-02-18 09:12:44 | 出雲の神社

<中嶋神社 なかしまじんじゃ>

 

金屋子神に関する「犬」「麻」「蔦」「藤」

などのキーワードについて、

あれこれと推論を重ねてみましたが、

最後に残ったのが「みかんの木」

という不思議な文言です。

聞いたところによりますと、

全国の金屋子神をお祀りする神社の祭事では、

「金屋子神が好む」という理由で、

みかんを供える、あるいはみかんを焼いて

食べるといった風習があるのだとか。

 

「みかん」と聞いて思い浮かぶのは、

常世の国から「みかん(橘)」の原種を持ち帰った、

田道間守(たじまもり)かもしれません。

田道間守は新羅由来の渡来人である、

アメノヒボコの後裔とも言われている人物ですから、

常世の国が新羅であった可能性も高いと思われます。

仮に、みかんと新羅との間に関連があるとすれば、

金屋子神と新羅とのつながりはいかに……。


タタラ唄

2019-02-17 09:09:55 | 出雲の神社

<宍粟市千種町>

 

岡山県英田郡西粟倉村に伝わるタタラ唄に、

「金屋子神の生まれを問えば、元は葛城、安部が森」

という歌詞があるのだそうです。

『金屋子神祭文』とは微妙に内容が異なりますが、

この唄を元に金屋子神の素性を推測するなら、

「金屋子神はもともと葛城の神だった」

「金屋子神はもともと安倍氏と関連していた」

という可能性も浮上してきます。

 

恐らく、金屋子神の出元である播磨と、

タタラ唄に登場する奈良・葛城、

および安倍氏との間には、

出雲国に入る前から、

何か特別なつながりがあったのかもしれません。

仮に、出雲の安倍氏に協力した「蔦」も、

葛城氏を指し示しているとすれば、

敵対関係にあったと思われる播磨と出雲とを結ぶ、

「葛城氏」の思惑が気になるところですね。


鉄と藤づる

2019-02-16 09:06:17 | 出雲の神社

<宍粟市・たたらの里学習館>

 

強くて丈夫な「藤」のつるは、

古代より、砂鉄を採るための

「ザルの材料」として重宝されたため、

「鉄穴流しを象徴する植物」

とも言われているそうです。

仮に、金屋子神を助けた「藤」が、

藤のつるを武器にして戦った

諏訪のタケミナカタの暗喩だとすれば、

金屋子神に関わる独特の風習は、

鹿を供物として捧げる諏訪大社の特殊神事、

「御頭祭」のイメージとも重なりますね。

 

つまり、これらの内容を元に考えると、

金屋子神を助けた「藤」という暗号は、

諏訪のタケミナカタに縁する一族、

つまり古代ユダヤ氏族の中でも、

「75」への強いこだわりを持ち、、

生贄をタブーとしない一部の人々を

指すとも考えられるのでしょう。

もしかすると、金屋子祭文の中の

「死体をタタラ場にくくりつけた」という記述も、

暗に人柱を示唆したものなのかもしれません。


出雲と諏訪

2019-02-15 09:00:12 | 出雲の神社

<金屋子神社 かなやごじんじゃ>

 

金屋子神に関する伝承を読みますと、

「猟奇的」「血なまぐさい」とでも

表現したくなるような内容が散見されます。

恐らく、それらの内容が意味するのは、

「生贄」や「人柱」を禁忌としない人々が、

出雲にやってきたということなのでしょう。

つまり、金屋子神および75人の子供たちは、

渡来氏族の中でも「ある特殊な習俗を持つ人々」

だったのかもしれません。

 

そこで気になるのが、金屋子神がすがったとされる

「藤」そして「みかんの木」が何を示唆するかですね。

ちなみに、長野県の諏訪地方には、

「出雲を追いやられたタケミナカタの神が、

諏訪湖のほとりで体を休めていたとき、

地主神である洩矢(もりや)神が、

鉄輪を掲げながら攻めてきたため、

藤のつるを縄にして応戦した」

という伝承が残っていました。


タタラ場の掟

2019-02-14 09:58:43 | 出雲の神社

<宍粟市・たたらの里学習館>

 

タタラ場に行く途中、「犬」たちに襲われた村下は、

麻紐に足を取られ命を落としてしまいました。

すると、金屋子神は弟子たちに

「村下の遺骸を高殿にくくりつけ、鉄を吹け」と命じます。

神の言われるままに、遺骸を高殿にくくりつけると、

これまでにない上質な鉄ができたそうです。

 

また、近隣の集落の伝承の中には、

金屋子神の突然の死に戸惑う弟子たちが、

金屋子神に救いを求めて祈ったところ、

「四柱に死体を立て掛けよ」

あるいは「村下の骨を四柱に括り付けよ」

などの神託が下ったという話もあります。

 

それ以外にも、村に死人が出た際には、

1.葬列がタタラ炉の周囲をぐるぐる廻った……、

2.たたら場の中で棺桶を作った……、

3.棺桶の木を使うと炉が上手く稼働した……、

4.ドクロの色の変化で鉄の出来を占った……等々、

物々しい俗信がいくつも伝えられているのだとか。

いずれにせよ、金屋子神という存在は、

「死のケガレ」を避けるどころか、

逆に利用しようとしていた節が見られるのですね。