<布須神社 ふすじんじゃ>
縄文時代の遺跡の中からは、
時折ぶどうの種子が発見されるそうです。
また、縄文式土器の独特な形状が、
「酒器に適した形でもある」という
一部の専門家の説などを踏まえると、
「八塩折の酒=果実酒」との推測は、
あながち荒唐無稽なものではないのかもしれません。
ちなみに、日本に「稲作」が伝来して以降、
それまで見られていた果実酒醸造の形跡が、
ほぼ見られなくなったと聞きます。
恐らく、出雲の「国譲り」をきっかけに、
神事に用いられるお神酒に関しても、
国津神のシンボルだった「果実」から、
天津神のシンボルである「米」へと
順次入れ替わったのでしょう。
だとすれば、スサノオが行った「八塩折」とは、
「縄文式の神事」だった可能性もありますね。
オロチという難敵を目の前にして、
スサノオが指示したのは、多くの兵士を集めたり、
多くの兵器を製造したりといった具合に、
武力を強化することではありませんでした。
土地の人々の手で「酒」という
最強の武器を造らせることで、
ある意味スサノオは、日本の先住民族にしかできない、
本当の「ヤシオリ作戦」を実行したのです。