たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

天翔ける神

2018-04-30 09:53:57 | 阿波・忌部氏1

<船盡神社 ふなはてじんじゃ>

 

神山町阿野字歯ノ辻というユニークな地名の場所に、

船盡神社という氏神が鎮座していました。

鮎喰川を挟んだ対岸には船盡比賣神社が、

そして件の杉尾神社のうちの一社も、

すぐ近くにあると聞きます。

ちなみに、船盡神社および船盡比賣神社の祭神は、

天鳥船神(あめのとりふねのかみ)で、

一説によると大宜都比売命の兄弟神なのだとか。

 

海からだいぶ離れた内陸部の神社に、

「船」の名がつけられているのも、

何とも不思議な気がいたしますが、

昔はこのあたりに、船の終着場があったそうです。

古代、大陸から阿波へとたどり着いた渡来人は、

海から川を遡りこの地を目指したのでしょう。

人々は、木の船を巧みに操る異国の民の姿に、

「天翔ける神」を重ねたのかもしれません。


狐の聖地

2018-04-29 09:16:53 | 阿波・忌部氏1

<阿須賀神社 あすかじんじゃ>

 

徳島県は「たぬきの聖地である」、

と先日のブログ内でご紹介しましたが、

それでは「きつねの聖地」がどこなのかを想像すると、

頭の中にひとつのエリアが浮かび上がってきます。

それは、伊勢から熊野にかけての一帯でした。

稲荷神の親玉(豊受大御神)を祀る伊勢外宮はもちろん、

熊野という土地も稲荷系の匂いが色濃く漂う地域なのです。

 

家都美御子大神(「けつ」みみこのおおかみ)を祀る熊野本宮、

三狐神(み「けつ」かみ)を祀る玉置神社の摂社・三柱神社、

三狐神の本拠地とされる熊野速玉大社の摂社・阿須賀神社など、

主要神社には必ずといっていいほど狐神の存在が見え隠れします。

上一宮大粟神社の縁起に「大宜都比売命は伊勢からやってきた」

という記述があることを考えても、阿波を追い出された狐たちが、

伊勢や熊野と深くつながっている可能性は高いのでしょう。


地母神

2018-04-28 09:14:44 | 阿波・忌部氏1

<上一宮大粟神社 かみいちのみやおおあわじんじゃ>

 

阿波という土地を俯瞰しながら歩いていますと、

「女性性」に「男性性」が上乗せされたような、

何とも奇妙な感覚にとらわれます。

女神を祀る神社が多いにも関わらず、

その場所を訪れるとまず目に触れるのが、

男性器を象ったであろう不思議な石の数々。

言うなれば、女性を意味する大地に、

男性を意味する石棒を突き刺すことで、

何かを封じ込めたようにも感じられるのです。

 

一般的に、大地に石を突き立てる形態は、

「豊饒」や「子孫繁栄」を願う神事とされますが、

阿波国で見られるそれらの光景からは、

この地で何らかの「強制的な切り替え」が

行われた形跡を感じさせるもの。

もしかすると、これらの儀式は、

大宜都比売命という阿波の地母神が、

誰かの意図によって隠された歴史を

示唆しているのでしょうか……。


狐と狸

2018-04-27 09:12:19 | 阿波・忌部氏1

<上一宮大粟神社 かみいちのみやおおあわじんじゃ>

 

大粟比売命、あわわ神、阿波女(あわめ)、

豊受の大神、気比明神……等々、

様々な神名を持つ大宜都比売命ですが、

そのほとんどは「穀物神」を表す名称です。

また、大宜都比売命の「げつ」は、

狐を意味する「けつ」を表すとも言われており、

稲荷神とのつながりも否定できません。

キツネと聞いて思い浮かぶのは、

その昔空海が追い払ったとされる、

「四国の狐たち」の話ですね。

 

実は、徳島という地は「狸」の昔話が多数残る、

「たぬきの聖地」であることをご存知でしょうか?

逆に「狐」が登場する物語は極端に少ないため、

地元では「空海が追い出したから」という噂が、

まことしやかに流れているのだとか。

大宜都比売命がキツネの一面を持つとするなら、

タヌキというのは、古代阿波国にやってきた

渡来人を暗喩している可能性もあります。

本土と四国を結ぶ「鉄の橋」がかけられた今、

狐たちは再びこの地に戻ってくるのでしょうか……。


五角形と丹

2018-04-26 09:10:02 | 阿波・忌部氏1

<上一宮大粟神社 かみいちのみやおおあわじんじゃ>

 

延喜式神名帳に記載された阿波国一の宮、

「天石門別八倉比売神社」の比定地に関しては、

神山町の上一宮大粟神社や、

国府町の八倉比売神社などとの間で、

未だに論争が続いていると聞きます。

そして、この上一宮大粟神社の裏山にも、

国府町の八倉比売神社の磐境と同様に、

五角形に組まれた遺跡があったのだそうです。

 

個人的には五角形をイメージする際、

伊勢・熊野・淡路・元伊勢・伊吹山という、

近畿圏の「水銀に関わる地」をつなぐ

巨大な五芒星が脳裏に浮かびますが、

天石門別八倉比売神社に関連する場所には、

どういうわけか「五角形」が絡んできます。

もしかすると、五角形(五芒星)という図形の裏には、

「丹」という存在が隠れているのでしょうか……。


因縁の間柄

2018-04-25 09:06:12 | 阿波・忌部氏1

<神山町・鬼籠野>

 

大宜都比売命を祀る上一宮大粟神社の一帯には、

古代、忌部氏の拠点があったという話を聞きました。

ただし、地元の言い伝えなどを読み解いて行きますと、

大宜都比売命と忌部氏との関係はしっくり行かず、

両者の仲があまり良好ではなかった様子が伺えるのです。

 

恐らく大宜都比売命と忌部氏の間には、

何らかの因縁めいた事件があったのでしょう。

もしかすると、その出来事というのは、

神武一行と名草戸畔との争いにも通じる、

古代の「国譲り」だったのかもしれません。

 

一説によれば、徳島県の周辺には、

蚕、小豆、粟、麦などの地名が散らばり、

各々の地を結ぶと「大宜都比売命の身体」が、

浮かび上がってくるのだとか。

また、神山町鬼籠野や美馬郡木屋平村に目を向けると、

「猪の頭」という「頭」を意味する地名も見られます。

 

その昔、国府町の八倉比売神社は、

杉尾神社と呼ばれていたと聞きますし、

名草戸畔の胴体を祀ったとされる、

和歌山県の杉尾神社との関係を含め、

大宜都比売命の伝承の中には、

私たちの知らない諸々の歴史が、

描かれている可能性もありそうです。


南方の神話

2018-04-24 09:04:32 | 阿波・忌部氏1

<神山町・神領>

 

ハイヌヴァレ型神話と呼ばれる

阿波の神・大宜都比売命の伝承が、

渡来系の人々によりもたらされたという説は、

恐らく事実なのだと思われます。

ただし、大宜都比売命という「人物」自体は、

もともと阿波の名方郡近辺に実在しており、

渡来人との何らかのやり取りがあった結果、

ここ上一宮大粟神社に「神として」

祀られることになったのかもしれません。

 

その後、この地を統治した渡来人は、

南方から持ち込んだハイヌヴァレ型神話を、

大宜都比売命の伝承に加えたのでしょう。

そして、大宜都比売命の率いる土着の豪族と、

自らの部族との一件を、ヤハウェ(スサノオ)

の物語に変え、記紀の中に残したのでしょうか……。

同じく、ハイヌヴァレ型神話に似た由緒を残す、

和歌山県・海南市の「杉尾神社」と同名の神社が、

徳島の各地に残されているのも非常に意味深です。


名方の女首長

2018-04-23 09:00:51 | 阿波・忌部氏1

<神山町・神領>

 

一説によりますと、阿波国を象徴する神である

大宜都比売命への信仰は、土着のものではなく、

「南方から持ち込まれた様式」なのだそうです。

その根拠となるのが、東南アジアやオセアニア等を

中心に、幅広く分布するハイヌヴァレ型神話でして、

大宜都比売命に関する伝承は、これら南方の神話と、

非常に似通っていることでも知られています。

記紀などに残される大宜都比売命の物語が、

古代この地にやってきた渡来人により、

言い伝えられたことは確かなのでしょう。

 

ただし、ひとつ引っかかるのが、

神山町周辺に残る「丹」の痕跡と、

神話の中で大宜都比売命を切り殺した

スサノオ(月夜見尊)との関係です。

丹(水銀朱)が採種される一帯では、

「比売」と「スサノオ」が、

隣り合って祀られることが多く、

上一宮大粟神社のすぐそばにも、

スサノオの住む剣山がそびえています。

 

もしかすると、大宜都比売命は、

名方郡に本拠地を構える

女性首長だったのでしょうか……。


伊の地

2018-04-22 09:59:00 | 阿波・忌部氏1

<上一宮大粟神社 かみいちのみやおおあわじんじゃ>

 

伊勢から阿波の地へやってきたとされる

上一宮大粟神社のご祭神・大宜都比売命には、

「伊予国(愛媛県)の大三島に鎮座していた」 という、

もうひとつの伝承が残されていました。

どちらの話が正しいのかはともかくとして、

両地名に同じ「伊」の字が含まれることに、

たいへん興味をそそられる次第です。

 

一説には、伊予国の「伊」の部分は、

愛媛県ではなく現在の徳島県を

指しているという話もありますが、

イセ、イヨ、イヤ……等々、

「イ」から始まる地名の中に、

古代ユダヤの陰を感じてしまうのは、

素人の勝手な妄想でしょうか……。

 

伊勢・伊予というふたつの「伊の地」は、

大宜都比売命への信仰を伝えた渡来人が、

航海の途中で立ち寄った土地だったと考えると、

古代の阿波国の成り立ちや人々の交流の様子が、

朧気ながらも見えくるような気がします。

「伊」のつく地名を詳しく探ることで、

古代の人々の軌跡が、より明確に

浮かび上がってくるのかもしれません。


丹とのつながり

2018-04-21 09:57:14 | 阿波・忌部氏1

<上一宮大粟神社 かみいちのみやおおあわじんじゃ>

 

上一宮大粟神社の社伝によりますと、

この地(大粟山)に粟を伝えた大宜都比売命は、

伊勢国・丹生の郷(多気町)から神馬に乗り、

阿波の国へとやってきたそうです。

丹生という地名が示す通り、

多気町の近辺は「水銀朱」の採取地ですが、

ここ大粟山の一帯も、古代は丹の鉱山を要し、

火打石の一大産地でもあったと聞きます。

 

恐らく、五穀豊穣の神・大宜都比売命は、

「丹」とのつながりも深かったのでしょう。

国府町の八倉比売神社一帯がそうだったように、

「比売」が祀られている場所には、

なぜか「丹」という鉱物がつきまといます。

この地に大宜都比売命に祀られた理由は、

粟など五穀の栽培を広めることだけでなく、

何か別の目的があったのかもしれません。


大宜都比売命

2018-04-20 09:55:53 | 阿波・忌部氏1

<上一宮大粟神社 かみいちのみやおおあわじんじゃ>

 

名西郡神山町にある上一宮大粟神社のご祭神、

大宜都比売命 (おおげつひめのみこと)は、

穀物や養蚕を司る神様であると同時に、

「阿波(粟)の国」を象徴する女神です。

古事記では、高天原を追放されたスサノオに対し、

自らの口、鼻、尻から様々な食べ物を

吐き出してもてなしたにも関わらず、

そのやり方が「不敬だ」と切り殺されてしまうなど、

少々不遇な立場に置かれています。

 

またその死後、大宜都比売命の屍体の各部より、

日本人の日常生活に欠かせない、

蚕・稲・粟・小豆・麦・大豆などの

貴重な動植物が生じたことから、

日本の「食物起源神話」のモデルとして、

取り上げられる機会を多々目にするもの。

食物起源神話はハイヌヴァレ型神話とも呼ばれ、

以前記事にした名草戸畔のシリーズでも、

重要テーマのひとつとしてご紹介しました。


神さびた神域

2018-04-19 09:53:24 | 阿波・忌部氏1

<上一宮大粟神社 かみいちのみやおおあわじんじゃ>

 

上一宮大粟神社へと続く参道を見上げたとき、

これまで見たことのないようなその景観に圧倒され、

しばらくの間、呆然と立ち尽くしてしまいました。

磐境神明神社や八倉比売神社のそれともまた違う、

何とも古色蒼然とした雰囲気を漂わせるその絵面に、

一瞬にして時代が巻き戻ったかのような感覚を覚えます。

 

ところどころに横たわっている素木の丸太は、

恐らく階段の代わりなのでしょう。

遥か上方に姿をのぞかせる社殿前にのみ、

かろうじて石段が造られているようですが、

たどり着くまでにはかなりの距離を要します。

 

きつい傾斜や一面に積もった濡れ落ち葉など、

一見しただけでもわかる足場の悪さに怯み、

あちらこちらを見渡してみたものの、

やはり入り口はここにしかない様子

(後日、境内近くまで車で行けることが判明……)。

この上一宮大粟神社という神社の神さびた神域は、

人の立ち入りを拒むような気配で満ち満ちていたのでした。


神山町

2018-04-18 09:50:34 | 阿波・忌部氏1

<神山町・神領>

 

徳島市国府町にある八倉比売神社から、

南西方面に向かって30分ほど走ると、

もうひとつの「天石門別八倉比売神社」

の候補地があります。その神社の名前は、

上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)。

名西郡神山町神領という場所に鎮座し、

昔このあたりは阿波国名方郡と呼ばれていました。

 

以前「剣山への道」をいくつかご紹介しましたが、

徳島市内から神山町方面へ伸びる483号線を、

西へと進んで行くコースもよく知られたルートで、

特に神山町の付近の道路というのは、

剣山へと続く山間部とは思えないほど、

きちんと整備された二車線の道のりです。

 

聞いたところによりますと、

神山町という過疎の山里には、

ここ近年、IT系ベンチャー企業が、

相次いでサテライトオフィスを開くなどして、

若い世代の移住者が増えているのだとか。

「あわ」という名称の発祥の地であり、

忌部氏が拠点を構えた上一宮大粟神社の一帯には、

今も昔も人を引き寄せる磁力があるのでしょう。


天石門別

2018-04-17 09:59:07 | 阿波・忌部氏1

<八倉比売神社 やくらひめじんじゃ>

 

延喜式神名帳に記載される阿波国一の宮、

天石門別八倉比売神社の「天石門別」とは、

天石門別神(あまのいわとわけのかみ)、

別名・櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、

豊石窓神(とよいわまどのかみ)という、

神殿の「御門」を守る神様を示します。

 

天石門別神は、天孫降臨の際に、

「勾玉、鏡、草薙の剣」の三つの神器を携え、

ニニギに随伴してきた神様のうちの一柱とされ、

古来は天皇の宮殿の四方の門に祀られていました。

これらの伝承を元にすると、天石門別神という神様が、

「天皇を護衛する神」であったことが伺えます。

 

ちなみに、八倉比売神社の八倉という名称には、

「天命を受けた者が居る場所」

という意味が含まれているのだとか。

つまり、八倉比売神社で祭祀をしていたのは、

天皇(とその化身の神)に仕える

「比売」だったのかもしれません。


重たい静寂

2018-04-16 09:57:16 | 阿波・忌部氏1

<丹生都比売神社 にうつひめじんじゃ>

 

一部の人たちの間では、

パワースポットとして知られる

八倉比売神社・奥の院という場所ですが、

実際に五角形の祭壇の前に立ってみますと、

どことなく居心地の悪さを感じるのも確かです。

磐境神明神社で感じた「生気」とはまた違う、

空気が止まったかのような重たい静寂が、

あたり一帯を支配していました。

 

もしかするとこの地にも、

名草戸畔や丹敷戸畔などと同様、

渡来人に土地を奪われた女性首長が存在し、

この祭壇の下で眠っているのでしょうか……。

「比売」という名で祀られたその女性は、

土地の神に仕えた巫女であり、

のちに「卑弥呼」と呼ばれる

ようになったのかもしれません。

 

ちなみに、江戸時代までこの一帯からは、

大量の「丹」が染み出していたと聞きます。

「丹(水銀朱)」と聞いて思い出すのは、

丹生都比売大神という神様ですね。

一説によりますとこの神も、

「土着の女性首長」との関わりが深いとされ、

「丹」の生産地にはしばしば、

丹生都比売をお祀りしている場所が見られます。