<千種町・千種川>
古代の播磨国一帯にフォーカスを当ててみますと、
様々な背景を持つ「鉄神」とともに、次から次へと
「おどろおどろしい」光景が浮かび上がってまいり、
今回の旅日記を綴りながら、これまでになく
エネルギーを消耗した感じがいたします。
よく「神道は生贄文化」などといわれますが、
それらの発端を読み解く中で感じたのは、
日本古来の祭祀に「生贄」という概念はなく、
縄文時代における動物供犠の風習も、
「厳密なルールにのっとった上で」
行われていたということです。
そして、製鉄文化と生贄祭祀の広がりとの間には
密接なつながりが見られることから、
日本の原住民にとって、それらの習俗を
「どこまで受け入れるか」という選択は、
非常に難しい判断だったのかもしれません。
ということで、そろそろ鉄の時代に別れを告げ、
新たなインスピレーションを得るために、
別の地へと舞台を移したいと思います。
果たしてそこでは、どのような景色が
出迎えてくれるのでしょうか……。