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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

川という道

2017-07-28 10:18:55 | 無社殿神社1

<古座川>

 

熊野を巡っている最中、昔の人々にとって

「川筋」というものがいかに重要であったか、

ということを改めて確認したような気がします。

現代のように様々な交通手段が発達する前は、

川は最も利便性に優れた「生活道」であり、

物資も文化も「川」に沿って伝播しました。

同じ「川筋」に暮らす人々の結束力は、

私たちの想像以上のものだったと思われます。

 

南方からこの熊野の海にたどり着いた人々は、

紀伊山地へと続くあちこちの「川筋」に定住し、

川を遡ってさらに山深い場所へと、

文化や風習を伝えていったのでしょう。

神武天皇がヤマトに進軍する際に重視したのも、

その土地の「川の状況」だったといわれています。

川筋に沿うようにして並ぶ熊野の無社殿神社は、

様々な歴史を目撃した生き証人なのかもしれません。


皮膚感覚

2017-07-27 10:16:45 | 無社殿神社1

 <入谷・地主神社 いりたにじのしじんじゃ>

 

熊野地方の無社殿神社を訪れて感じたのは、

「空=何もない」ことのすごさでした。

様々なご利益を謳う神社を参拝する際、

私たちはどうしても「願い事」のほうに

意識が向いてしまいがちですが、

無社殿神社のように、宣伝のための幟はおろか

社殿すら存在しない場所を目の前にしたとき、

心の中に思い浮かんでくるのは、

穏やかな感謝の気持ちしかありません。

 

私たちの祖先が何もない空間を真剣に拝んだのも、

決して人として未熟だったからではなく、

行き過ぎた森林の伐採や、物質的価値観に

さらされなかったからこそ持ち得た、

皮膚感覚のおかげなのでしょう。

「神前に向かったときは神への感謝を思う」。

そんな日本人として当たり前のことが、

当たり前として受け入れられる世の中が

一日も早く実現するよう願ってやみません。


神との均衡

2017-07-25 10:39:37 | 無社殿神社1

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

少々矛盾した言い方かもしれませんが、

人の手が入るからこそ聖域は保たれ、

また人の手が入らないからこそ、

たくさんの精霊が宿れるのだと思います。

神と人とが共存するこの世界では、

常に両者のバランスに気を配らなければならず、

どちらに偏っても日常生活に弊害が出ます。

昔の日本人は、神と人とが調和を保てるよう、

無意識に住み分けていたのでしょう。

 

いつの時代からか「社殿」という人工物が、

神社の代名詞のように扱われるようになったのも、

どこからが神の領域かわからなくなった、

人間の思い上がりが原因なのかもしれません。

私たちの先祖が神という存在に対し、

「真面目」に向き合っていたのは、

神と人との均衡が崩れたときに起こる災いを、

現実に経験していたからなのですね。


あるべき姿

2017-07-24 10:35:47 | 無社殿神社1

<生馬・篠原矢倉神社 *しのはらやぐらじんじゃ>

 

大自然という「空」の対象を拝み、

日常のありとあらゆる空間に

「神」を見ていた古代日本人にとって、

神社(祭壇)は単なる目印であり、

ときには移動することさえありました。

聖域が固定化された背景には、

暮らしの中に「神様」を感じられなくなった、

現代人の驕りが潜んでいるのだと思います。

 

もちろん、古い聖域を守る気持ちは大切ですが、

同時に、古くなってしまった聖域に、

固執する必要もないのでしょう。

役目を終えた場所はそのままの状態で保護し、

これからは、私たちひとりひとりの日常の中に、

「自分だけの聖域」を持てばいいのです。

 

訪れる人も少なくなった無社殿神社の前で、

枯れ行く木々、苔むす石、 朽ちた祠を

ボンヤリと眺めながら、

自然に宿る精霊たちが次々に、

「ひとつの塊」に吸収されて行く姿を想像しました。

それはまるで、人間が土に還るのと同じように、

自然と一体になった神社のあるべき姿でした。


特別な神業

2017-07-23 10:33:49 | 無社殿神社1

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

「空神を拝む」という高度なご神事は、

「何かを得ること」を目的に、

ご利益を求めて神社を巡っている限り、

決して身にはつかない特別な神業です。

地域の氏神や産土神を大切にし、

素直に神様を信じられる人でなければ、

どんなに神社参拝を重ねても、

「空」には意識を向けられないのですね。

 

自然と一体になった無社殿神社には、

たくさんの精霊が飛び交う「空」が生まれ、

岩や樹や森や川に向かって

厳かに手を合わせる参拝者に、

「生かす」という最高のご利益を与えてくれます。

それはきっと、昔の日本人なら誰でも持っていた、

どんな儀式よりも効果のある心がけなのでしょう。


神との境

2017-07-22 10:31:41 | 無社殿神社1

<滝の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

「越えてはいけない一線」というのは、

どの世界にもあるもので、

特に人と神との一線を越えると、

神と一体になるどころか、

逆にお互いの距離が離れてしまいます。

人と神との「境目」にある

神社という存在に接していますと、

古代の日本人がいかに「境界」を

大事にしていたを実感するのです。

 

日本人は昔から、山の奥、川の淵、

海の中などに立ち入るときは、

必ず神様に挨拶をし敬意を示しました。

一見無秩序のようにも思える

熊野の無社殿神社の造りも、

実は非常に合理的な形をしているのです。

きっと昔の日本人は、何もない空間に

はっきりと「神との境」を見ていたのでしょう。


高度な精神性

2017-07-21 10:28:29 | 無社殿神社1

<矢野熊・矢倉神社 やのくまやぐらじんじゃ>

 

もともと神社に「社殿」は存在しませんでした。

昔の人たちは、木・岩・川そのものが神であり、

空気自体に神様が宿っているということを、

無意識に感じ取っていたからなのでしょう。

神と人との境がわからなくなった人間が、

あまりにも増えすぎたゆえに、

「社殿の増築」の流れが生まれたのかもしれません。

 

神様がお祀りされている「ご本殿」は、

言うなれば木材で密閉された空の一室です。

きっとそれは、禁則地である鎮守の森を

意図的に再現したものなのだと思われます。

「無言」のままの自然、「空間」に宿る神様、

そんな不明瞭な対象を拝んできた日本人は、

まちがいなく高度な精神性を持つ民族なのです。


予言の鏡

2017-07-20 10:23:42 | 無社殿神社1

<古座川近辺>

 

熊野地方の無社殿神社の多くは、

「存続の危機」にさらされています。

もうすでに、神社という形はおろか、

もともと神様をお祀りしていた位置さえ

特定できないような場所も多々あります。

 

地域の過疎化が最大の原因ではありますが、

日本人の意識の中から「自然への信仰心」が

薄れていることも無関係とはいえないでしょう。

 

ただ、そんな風前の灯ともいえる

無社殿神社のこれからを考える中で、

「その裏にはもっと深い要因が

隠されているのではないか」

と感じているのもまた事実です。

 

これから「心の時代」へと切り替わるに従い、

「神や精霊はひとつの存在に一元化される」

という話を耳にしたことがあります。

もしかすると、熊野の無社殿神社の現状は、

これからの時代を私たちに知らせる

「予言の鏡」でもあるのかもしれません。


再び熊野へ

2017-04-11 13:24:40 | 無社殿神社1

<古座川>

 

昨年の晩秋に訪れた、

熊野の無社殿神社に関する記事が続く中、

先日再び熊野を訪問する機会を得ました。

前回の旅から帰ってきた際は、

「再訪はしばらく先」と思っていたのですが、

やはり諸々の理由で参拝できなかった神社が、

どうにもこうにも気になります。

そんな折、たまたま旅行の計画を立てていた知人が、

奈良南部を案内してくれる人間を募っていると知り、

これ幸いと旅のナビゲーターを買って出た次第。

 

数日前に先乗りして熊野地方へと足を伸ばし、

前回、回り切れなかった場所を中心に、

無社殿神社や自然信仰の痕跡を、

日の出から日没までたっぷりと巡ってきました。

前回の旅と決定的に異なるのは、

目的の神社の場所が不明確であり、

かつ道路事情が非常に悪いということです。

案の定、いつもの「神社勘」が上手く働かず、

山中の集落で迷い、狭路を行きつ戻りつしながら、

どうにかこうにかたどり着いた場所が少なからずありました。

 

そんな中、改めて実感したのは、

山間部で暮らす方々のご苦労とたくましさで、

延々と続く荒れた一車線の山道を抜けた先に、

ふいに小さな集落があらわれたときの驚きは、

何とも言葉に形容できないものがあります。

少しでもハンドル操作を誤れば事故につながり、

ひとたび自然災害で道が塞がれれば、

毎日の食料にも事欠くことになるでしょう。

言うなれば、山で暮らすということは、

日々「命の危機」にさらされているということなのですね。

 

【参考サイト】

きのくに風景賛歌

東紀州くまどこネット


偉大なる「ヤ」

2017-03-20 10:41:51 | 無社殿神社1

<神倉神社 かみくらじんじゃ>

 

ヘブライ語で矢倉の「ヤ」は神をあらわし、

「グラ」は救いを示す言葉だと言われています。

また、高倉の「高」という字は、

古代イスラエルとの関連を

うかがわせる漢字のひとつです。

つまり、矢倉神社という名称は、

「神の救いがある場所」という意味であり、

恐らく高倉神社も同様の語源なのでしょう。

 

ちなみに、神倉神社の神倉という言葉は、

神座(カムクラ)から来ているとされ、

ヘブライ語と照らし合わせてみると、

「神のあらわれ」「救いの訪れ」

といった内容になります。

もしかすると、海の彼方からやってきた人々は、

彼らの偉大なる神である「ヤ」を、

この場所で感じ取ったのかもしれません。


「ヤ・クラ」

2017-03-19 10:39:28 | 無社殿神社1

<板谷・矢倉神社 いたややぐらじんじゃ>

 

熊野エリアに点在する無社殿神社の多くが、

「矢倉」と呼ばれるようになったのは、

さほど古い時代のことではないと言われています。

もともとは地主神、山の神、明神森などといい、

取り立てて場所や神名を特定するような

名前ではなかったのでしょう。

 

矢倉という名称が定着した理由に関しては、

今のところわかっていないようですが、

一説によりますと、お社のある場所が、

「谷筋から岩壁を見上げるような地形」 だったために、

谷(ヤ)岩(クラ)と 名づけたという話も聞きます。

 

ただ、早い時期からこの地には、

イスラエル系の渡来人が住み着き、

「南方の文化」が入り込んだと仮定すると、

森や川を連想させる「矢倉」の響きが、

にわかに海の香りを帯びてくるかもしれません。


「クラ」の響き

2017-03-18 10:37:23 | 無社殿神社1

<古座川の一枚岩 こざがわのいちまいいわ>

 

熊野本宮から新宮一帯にかけて鎮座していたのは、

「高倉神社」と名のつく無社殿神社の数々でした。

ただ、それらのエリアから一歩外に出ますと、

無社殿神社の多くは「矢倉神社」と名を変え、

東は三重県熊野市の紀和町の周辺、

西は串本~紀伊田辺のあたりまで、

その分布域を広げていきます。

 

矢倉・高倉あるいは神倉・丹倉(あかぐら)など、

この地には「倉」と名のつく神社が目立ちますが、

重要なのはこの「クラ」の部分なのかもしれません。

熊野全体に広がる巨大な「岩(磐座)」の

「クラ」という響きの中にこそ、

無社殿神社の起源が隠されているのでしょう。


日本人への導き

2017-03-17 10:31:18 | 無社殿神社1

<古座川・峯地区>

 

古座川流域の「峯」という

山間集落へと足を踏み入れ、

神社参拝を終えるまでの間、

結局「人」に出会うことはありませんでした。

人間の気配が最大限に消された、

静かな山の中に佇んでいますと、

「自分はなぜここにいるのか」

という疑問が自然とわいてきます。

 

少々大げさな言い方かもしれませんが、

縁ある人間がこの場所を訪れることは、

ずいぶん前から決まっていたのでしょう。

神社という場所は、特殊な能力を持った人々や、

興味のある人々だけが行く場所ではないのです。

きっともうすぐ、日本に住むすべての人々が、

「自分のルーツを思い出せるような場所」へと、

無意識に導かれる時代が来るのかもしれません。


信仰の原点

2017-03-16 10:27:50 | 無社殿神社1

<古座川・峯の薬師堂>

 

峯・矢倉神社の近くにある薬師堂では、

毎年1月12日に例祭が行われ、

集落に縁者ある人たちだけでなく、

近隣からも参列者が集うと聞きます。

平家の伝承が残るこのお堂以外にも、

この土地を守護するかのように、

六つの寺・神社・お地蔵さまなどが、

周囲をぐるっと取り囲んでいるのだとか。

つまりこの山深い里にある小さな集落は、

様々な信仰に彩られた聖地だったのですね。

 

とは言え、世帯数がたった2軒という

厳しい現状からもわかるように、

この地区から人がいなくなれば、

必然的に矢倉神社だけでなく、

薬師堂などへの信仰も廃れるでしょう。

神社の祭壇の前に立ち集落を見渡すと、

その昔修験者が駆け回ったであろう峰々や、

縄文の人々が祈りを捧げたはずの豊かな森が、

視界いっぱいに広がっています。

現代日本人が思い出すべき「信仰の原点」が、

この土地にひっそりと息づいていました。


緩やかな空気

2017-03-15 10:25:48 | 無社殿神社1

<峯・矢倉神社 みねやぐらじんじゃ>

 

古座川町の峯という地区を訪れたとき、

まず感じたのは「南国の雰囲気」でした。

もうすぐ12月にもなろうというのに、

民家の垣根には南国の花々が咲き乱れ、

周囲をたくさんの羽虫が飛び回っています。

もともと古座川町の近辺は、

年間を通じて温暖な気候だと聞きますが、

200m以上の標高があるにも関わらず、

この里全体を包み込んでいたのは、

南方特有の「緩やかな空気」でした。

 

一説によりますと矢倉神社は、

沖縄地方の信仰の場である「御嶽」と、

よく似た構造をしているそうで、

照葉樹の森が祭壇周りを取り囲み、

集落を見下ろすような形で作られた

峯・矢倉神社の特徴的な形状は、

ことのほか「沖縄」との共通点を

感じるとも言われております。

もしかするとこの山深い里にも、

南方由来の人々や文化の影響が

広がっていたのかもしれません。