たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

ケモノ道

2017-02-28 10:30:15 | 無社殿神社1

<滝の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

古座川町・滝の拝の山中にある神社を探すべく、

民家の裏手の山へと足を踏み入れたとき、

人里との境界を示す林の向こう側にあったのは、

「山師」が歩き回るようなケモノ道でした。

人の足で踏み固められたその「道らしきもの」は、

山の斜面を四方八方に這うように広がり、

どちらの方向に進めばよいかすら見当がつきません。

 

とりあえず、一番歩きやすそうな道を選び、

手探り状態で坂を登りはじめてはみたものの、

表土は崩れやすく、一歩足を踏み外せば、

たちまち斜面をすべり落ちるような地形です。

神社の痕跡などどこにも見当たらないどころか、

幾度となく枯れ枝や切り株に足を取られ、

すぐに先に進むことが難しくなりました。

 

さらに上へと伸びる道を見上げても、

動物の本能が「これ以上進むのは危険」と訴えます。

とにかくにも出直したほうが得策だと考え、

山の入り口のほうへとふと視線を移すと、

木々の間を横切る人影が目に入りました。

大急ぎで今来た山道を引き返し、

その人影を追いかけて行ったところ、

留守だと思っていた麓の民家の庭先で、

植木に水をやるひとりの女性を発見したのです。


唯一の手がかり

2017-02-27 10:10:11 | 無社殿神社1

<滝の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

古座川町の支流・小川の川原にある

滝の拝という観光スポットの近くに、

今回どうしても訪ねてみたかった神社があります。

その神社は杉林の中にある無社殿神社なのですが、

外からは見ることができない森の中に、

ひっそりとお祀りされているとのこと。

事前に入手していた知識も、

「集落の裏手の山中にある」という情報のみで、

どこをどう探してよいかもわかりません。

 

ひとまず、それとおぼしき場所に車を停め、

地元の人を見つけようと周囲を見渡しました。

しかし、あたりに散らばる家々に人の気配はなく、

刈り入れの終わった田に秋風が吹き抜け、

薄暗い森の木立が葉擦れの音を立てるだけです。

仕方がないので「裏山」という唯一の

手がかりを頼りに探索をはじめたところ、

ふいに集落の一番奥にある民家の裏手に、

山へと分け入る「隙間」を見つけたのでした。


神の造形物

2017-02-26 10:24:14 | 無社殿神社1

<滝の拝 たきのはい>

 

祓い宮のある古座川町・月野瀬地区を過ぎ、

さらに古座川の上流へと進んで行くと、

橋の向こうに「滝の拝」への道を示す

道路標識が見えてまいります。

古座川の支流・小川の名勝「滝の拝」は、

川床のすべてが凸凹の岩で埋め尽くされた、

世にも奇妙な景観で知られる場所です。

 

川原全体に広がるその岩々には、

大小さまざまな形の穴が穿たれ、

その間をすべるように水が流れ落ちていました。

ちなみに「滝の拝」という名前は、

滝を神として拝んだことに由来した名だそうです。

その不思議な光景をながめておりますと、

昔の人たちがこれらの面妖な岩々を、

「神の造形物」ととらえたのも、

いかにもと納得できるような気がします。


神様と巨岩

2017-02-25 10:32:20 | 無社殿神社1

<古座川の一枚岩 こざがわのいちまいいわ>

 

至るところで、驚くべき姿の巨石や

奇岩の類が出現する熊野地域ですが、

その中でもとりわけ古座川の一帯は、

「奇怪な巨石」があちこちに散らばる

「巨石密集エリア」です。

火山活動により作られたそれらの岩々は、

どれもこれも人知を超えた風体をしており、

巨石マニア?の人のみならず、

たまたま通りがかった観光客の目も

十分に楽しませてくれました。

 

神社的観点から眺めてみますと、

巨石が広く分布している土地というのは、

「聖地」となり得る条件が揃った場所です。

広大な面積を持つ伊勢神宮の地下深くにも、

巨大な岩盤が埋まっているといわれるように、

古代の人々が「神」を感じ取るために、

「岩」は大きな役割を果たしました。

石から発せられる磁気は、私たちが思う以上に、

神様との相性がよいものなのかもしれません。


祓い川

2017-02-24 10:31:53 | 無社殿神社1

<古座川 こざがわ>

 

明治初期まで「祓い川」と呼ばれた

清流・古座川流域の聖地の中でも、

もっとも古いといわれる場所が、

河内神社のすぐそばにありました。

地元の人から「祓の宮(はらいのみや)」

と呼ばれるその神社は、川の向こう岸にあり、

11月下旬に行われる例祭のときには、

参列者が川舟に乗って対岸まで渡るそうです。

 

今回の旅では、道路沿いから神社の森を

遥拝する時間しか取れなかったのですが、

「川を渡って神社にお参りをする」という、

原始的で古式ゆかしい参拝の仕方に、

とても興味を掻き立てられました。

古座川が「祓い川」と呼ばれるようになったのも、

この神社の存在が少なからず影響したのでしょう。

もしかすると、古座川全域の「禊祓いの場」

としての役目を担っていたのかもしれません。


自身の片割れ

2017-02-23 10:27:02 | 無社殿神社1

<古座川 こざがわ>

 

海や川など水辺の神社で行われる「船祭」は、

「尊きものは海の彼方に住む」という

日本人の古い信仰に基づいて、

綿々と続けられてきたご神事です。

長い歴史の中で様々な形に変化はしましたが、

古代の日本人は、海の彼方からやってきた

渡来人の知恵や文化の中に神を感じ、

また海の彼方からやってきた人々は、

古代の日本や日本人の信仰心の中に、

自分たちが求め続けてきた理想を見たのでしょう。

 

船祭の会場となる海辺や河口というのは、

「海の神」と「山の神」が出会う場所、

そして海からやってきた人々と、

山から降りてきた人々とが邂逅する地です。

海水と淡水とが混ざる汽水域に、

「神が宿る」といわれるのも、

異なる二つの性質が重なることで、

「第三のモノ」が生じるからだと思います。

遥か南の海を渡ってやってきた人々は、

日本にそしてこの熊野の地に、

「自身の片割れ」が存在することを

知っていたのかもしれません。


憧れの理想郷

2017-02-22 10:22:33 | 無社殿神社1

<河内島 こうちじま>

 

河内神社の例大祭である「河内祭」は、

古座川流域の5つの地区の氏子が

担い手となって行われるこの地の伝統行事です。

紀州藩が編纂した「紀伊続風土記」の中に、

「日置浦より新宮迄の間に此祭に次ぐ祭なし」

と書かれるほど古くから有名なお祭りでした。

 

熊野速玉大社の御船祭や熊野市の二木島祭など、

熊野灘の沿岸には「船」を用いた祭りが多々存在します。

それぞれに独自の言い伝えが残されていますが、

「船のお祭り」の発端となったのは、

常世思想ともいうべき海へ憧憬と、

この地に「常世」を見た

渡来人の驚きや感動なのでしょう。

 

古来、黒潮に乗ってやってきた一般の人々はもちろん、

同じように黒潮に導かれたどり着いた神武一行もまた、

海の彼方を見つめながら懐かしい故郷を思う同時に、

故郷で抱き続けた「理想郷」の姿を、

熊野という土地の中に感じ取ったのかもしれません。


島を祀る神社

2017-02-21 10:20:43 | 無社殿神社1

<河内神社 かうちじんじゃ/こうちじんじゃ> 

 

神戸神社から古座川を遡ってほどなくのところに、

河内神社(こうちじんじゃ)という「島」があります。

「岩」や「樹木」を祀る神社はよく見かけますが、

こちらの神社は古座川の川中に鎮座する

河内島そのものをご神体とした無社殿神社で、

近くの川岸には遥拝所が置かれていました。

 

とは言え、この場所を探し当てるのは案外難しく、

「島」を目印に古座川沿いを遡ってみたものの、

なかなかその姿をとらえることができません。

いよいよダメかとあきらめかけたとき、

ふいに石造りの遥拝所が目に飛び込んできました。

 

遥拝所の脇にある案内板を確認しますと、

ここが確かに「河内島」であると書かれています。

川岸からコブのように突き出したその島は、

地元では河内様(こおったま)と呼ばれ、

古くから立ち入りが禁じられていたそうです。


宝の山

2017-02-20 10:19:13 | 無社殿神社1

<神戸神社 こうどじんじゃ>

 

その日の最初の目的地である神戸神社は、

住宅街の一角にひっそりと鎮座していました。

大正時代の木造洋館風の建物の脇道を入り、

誰もいない神社の神域へ足を踏み入れると、

ご神木の前に置かれた祭壇には、

参拝者をその場所へと誘うかのように、

凛とした朝の太陽が差し込んでいます。

 

隣には、最近作られたと思われる

朱の色彩を施した社殿がありますが、

その人工物が「脇役」であることは、

背後の見事な森を見れば一目瞭然でしょう。

ここに限らず熊野一帯の「鎮守の杜」の多くは、

天然記念物として指定されるほど植生豊かで、

文化財としての価値も高い「宝の山」なのです。


古いしきたり

2017-02-19 10:15:30 | 無社殿神社1

<神戸神社 こうどじんじゃ> 

 

学校やスーパー、旅館などが立ち並ぶ

古座川町の中心部の住宅街の中に、

神戸神社(こうどじんじゃ)という名の

社殿を持たない神社があります。

「神殿(こうどの)明神森・木を神体とす」と、

紀伊続風土記の中にも書かれているように、

こちらの神社のご神体は背後の「森」です。

 

おそらく、日本全国の神域に社殿が建てられる前は、

森と人里との境に目印となる祭壇を作っただけの

簡素な形式の神社がほとんどだったのでしょう。

今では滅多に見られなくなってしまった、

「古いしきたり」を残す場所が、

このような町中に存在していることに、

安堵の気持ちがわきあがりました。


古きよき風景

2017-02-18 10:11:59 | 無社殿神社1

 

<古座川町>

 

古座川流域に鎮座する無社殿神社を目指し、

海岸沿いの国道42号線をひた走っておりますと、

古座川の河口近くに小さな漁港が見えてまいりました。

川面に突き出すようにして立ち並ぶ家屋は、

どこか古きよき日本を感じさせる、

懐かしくも生活感に満ちあふれた風景です。

 

熊野灘に登るご来光を横目にこの地に到着したのは、

ちょうど朝日が町を明るく照らし始めたころでした。

塵ひとつ混じっていない澄んだ初冬の空気が、

睡眠不足の心身を心地よく目覚めさせ、

その日巡る聖地への期待を否が応にもかきたてます。

 

「早朝」という時間帯は、神様をより近くに感じ、

静かに自分と向き合える特別なひとときなのでしょう。

早朝の神社参拝に、何とも言えない清涼感を覚えるのも、

境内に落とされた人々の思いが夜の間に浄化され、

夜明けとともに溶けて行くからなのかもしれません。


不思議な導き

2017-02-17 10:09:27 | 無社殿神社1

<古座川 こざがわ>

 

よい神社には、「清流」が欠かせないように、

熊野川をはじめ、古座川・日置川・太間川など、

熊野エリアの神域にも多くの清流がありました。

逆にいえば、清流があったからこそ、

聖域が生まれたともいえるわけで、

「川」という存在が、昔からいかに

人々の信仰対象として崇められていたのかを、

熊野を訪れるたびに実感します。

 

そんな数ある清流の中でも、

とりわけ「聖地」の密集地であるのが、

明治初期まで「祓い川」と呼ばれていた

古座川とその支流の一帯です。

この地域の「神社」と名のつく場所は、

自然と一体化するようにその場に溶け込んでおり、

所在地を特定するだけでも時間がかかります。

 

残念ながら、今回の旅ではタイムオーバーで、

すべての神社を回り切れなかったのですが、

縁あって訪れた場所のひとつひとつに、

何ともいえない不思議な導きを感じました。


神の坐る川

2017-02-16 10:05:43 | 無社殿神社1

<古座川 こざがわ>

 

 ***** 無社殿神社2 *****

熊野三山ばかりにスポットが当たる

世界遺産「熊野」という観光地ですが、

本当の熊野の魅力は「その周辺」にも潜んでおり、

熊野三山だけではわからない原始の熊野の姿が、

広範囲にわたって広がっています。

 

紀伊田原と串本との中間に位置する古座川の流域は、

熊野のエッセンスが凝縮された興味深いエリアです。

「古座」という名称が、 神座(こうざ)に由来するように、

いつの時代からかこの古座川は、

「神の坐る川」として認識されていました。

 

神社参拝の折に出合った様々な河川の中でも、

こちらの川は特に水の透明度が高く、

美しい川の流れを眺めているだけで、

心が洗われるような気分になります。

そんな聖なる川・古座川に沿うようにして、

古代信仰の神域がいくつも並んでいました。


高塚の森

2017-02-15 10:18:15 | 無社殿神社1

<高塚の森 たかつかのもり>

 

潮岬灯台の入り口付近に広がる

「高塚の森」と呼ばれる場所は、

その昔太陽信仰の祭祀場だったそうです。

とはいえこちらも、潮御岬神社の洞窟と同様、

日没のタイムリミットが迫り探索は叶わず…。

西日に照らされた「気になる森」

のまぶしさに目を細めながら、

後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしました。

 

聞くところによりますと、

この森の奥には古代の磐座があり、

夏至の太陽が背後から登るよう、

絶妙に配置されているのだとか。

伊勢に太陽祭祀が移る以前は、

「潮岬を中心とする串本の周辺に、

太陽信仰の一大拠点があった」という話もあります。

もしかすると、熊野一帯に広がる矢倉信仰は、

古代の太陽信仰でもあったのかもしれません。


潮御岬神社

2017-02-14 10:03:27 | 熊野の神社

 

<潮御崎神社 しおのみさきじんじゃ>

 

串本町を代表する観光名所のひとつ

「潮岬」に着いたのは日暮れ間近でした。

車を停め外に出ると、まるで辺り一帯が、

夕日色のフィルムで覆われたかのように、

深いオレンジ色一色に染まっていました。

 

潮岬のシンボルである潮岬灯台から

ほんのちょっと足を延ばせば、

「この地で常世へと旅立った」と、

日本書紀の中に記される、

少彦名命(すくなひこなのみこと) を

お祀りした潮御岬神社に到着します。

 

現在こちらの神社は、

立派な社殿を持つ「有社殿神社」ですが、

境内から海岸のほうへ降りて行くと、

静之窟(しずのいわや)と呼ばれる洞窟があり、

古くからの祈りの対象になっていると聞きます。

 

残念ながら今回は確認できなかったのですが、

ここにもまた古代の信仰の跡が残っていました。