たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

本当の祭神名

2015-05-31 13:15:11 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社上社 にうかわかみじんじゃかみしゃ>

 

元々ひとつの神社であった丹生川上神社が、

様々な経過を経て3社に増えたことで、

やはり過去には3社の間で、

「うちこそ本家」という確執があったそうです。

ただ、下社の宮司さんいわく、

「今は争っても仕方ないので、

より多くの人に3社を参拝してもらいたい」とのこと。

上社の宮司さんも、

「もしかすると、本当の丹生川上神社は、

3社以外の神社かもしれないですし…」

とおっしゃっていました。

 

数千年に及ぶ日本の歴史の中で、

多くの神社名やご神名が変えられた昨今。

また、人間の思惑により、

少なくない数の神社の由緒や経歴が、

改ざんされていることを考えれば、

神社名や祭神名にこだわるのは無意味です。

丹生川上神社の3社はもちろん、

天河神社の創建以前にあった小さなお社も、

古くからその土地の民がお祀りしてきた、

山の神であり川の神であるのが真相なのでしょう。


水の神

2015-05-30 13:10:30 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社上社 にうかわかみじんじゃかみしゃ>

 

丹生川上神社3社にお祀りされているのは、

すべて水に関係する神様です。

現在はそれぞれのご祭神名が違うものの、

もとは土着の水神様だったのでしょう。

どのお社の周りにも、清らかな川が流れ、

また背後には、清流を生み出す元となる、

神聖な神様の山が鎮座しております。

 

ちなみに3社はすべて、 同じ祭祀形態ではなく、

下社と中社が、川を背にして

山に向かいお参りする形を取る一方、

上社(昔の鎮座地のほう)は、

お社の向こうにある山と川に対して

お参りをする形式だったのだとか。

 

いずれにせよ、長い歴史と時代の流れの中で、

多くの神社の由緒とご祭神名が変えられてから、

もともと鎮まっていた神様の力も、

その質を変えてしまったのかもしれません。


吉野に潜む歴史

2015-05-29 14:13:46 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社中社 にうかわかみじんじゃなかしゃ>

 

東吉野村にある丹生川上神社中社は、

3社の中で一番最後に、

丹生川上神社の候補地とされた場所で、

もともとは蟻通神社(ありとおしじんじゃ)

と呼ばれる古社でした。

細い県道をひたすら山の奥へと向かい、

小さな山里をいくつも越えた先に、

深い山と清流に囲まれた

丹生川上神社中社の鳥居が見えてきます。

 

初めてこちらの神社を訪れた際には、

すでに社務所が閉まっている時間で、

ご朱印もご由緒書きも頂けず…。

次の日にもう一度同じルートをたどり、

ようやくこの場所にたどり着いたとき、

諸々の意味で、吉野の山と吉野に潜む歴史が、

いかに「容易でないか」を実感いたしました。

ちなみにこちらの神社は、神武天皇が東征の折、

必勝祈願をしたという伝承が残っています。


山の民の聖地

2015-05-28 12:20:44 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社上社 にうかわかみじんじゃかみしゃ>

 

川上村にある丹生川上神社上社は、

大滝ダムを見下ろす高台に建てられています。

近年、ダム建設に伴いこの場所に移築されましたが、

もともとは湖底に沈んだ集落の中にありました。

私がこの神社を訪れたときも、

ナビに従い最初にたどり着いたのは、

ダム湖のそばにある住宅地。

あとで聞いたところによるとそのあたりは、

水没した地域に住んでいた人々が、

移住してきた場所だそうです。

 

ちなみに、ダムを建設する上で、

旧社殿地を発掘調査した結果、

本殿の真下やその近辺から、

数多くの祭祀遺跡が発掘されたとか。

きっとこの一帯は古代の祭祀場であり、

山の民が守ってきた聖地だったのでしょう。

旧社殿は写真でしか見たことがありませんが、

吉野川を背にして木立に囲まれたお社が立つ、

とても素朴でプリミティブな神社だったようです。


神様を察する感性

2015-05-27 13:23:55 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社下社 にうかわかみじんじゃしもしゃ>

 

丹生川上神社下社は、

拝殿から本殿のある山へと続く、

長い階段があることで知られています。

年に一度の例祭の儀式終了後のみ

この階段が一般にも開放され、

本殿に参拝ができるそうです。

 

先日訪れた際には、拝殿の中に入り、

階段下でお参りさせてもらいましたが、

下から本殿を仰ぎ見たときのインパクトは強烈。

まさしく「神様からの視線」を、

体感するような光景でした。

 

山頂へと伸びる階段の下で、

宮司さんの話を聞きながら思ったのは、

神様は理屈で捉えるものではなく、

「察するもの」だということ。

今の日本人が忘れているのは、

神様の存在自体ではなく、

神様を察する感性なのかもしれません。


丹生川上神社と馬

2015-05-26 16:14:16 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社下社 にうかわかみじんじゃしもしゃ>

 

未だにその鎮座地が謎とされる丹生川上神社は、

天武天皇の時代である白鳳年間の創建とされ、

平安以降は京都の貴船神社とともに、

国の水神の祭礼を担ってきた由緒ある神社です。

しかし、室町時代の応仁の乱により奉幣が途絶え、

その名は歴史から姿を消し所在不明となりました。

~「ひととき」2013年6月号参考

 

続日本紀(しょくにほんぎ)の中に、

天皇の勅命による祈雨、祈晴のお祭りの際、

丹生川上神社に馬(雨乞いには黒馬、晴れ乞いには白馬)

を奉納した、との記録が残っているそうです。

そしてここ数年、丹生川上神社下社の例祭では、

諸々の災害復興の願いをこめて、

白馬献上の儀式を執り行っているとのこと。

 

下市町にある丹生川上神社下社を訪れると、

境内に放たれたご神馬が出迎えてくれました。

ちなみに写真の白馬は、白龍という名の道産子。

その他に黒龍という名の黒いポニーもいて、

荒天の日以外は境内の馬場を、

のんびりと歩きまわっています。


丹生川上神社3社

2015-05-25 12:55:05 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社下社 にうかわかみじんじゃしもしゃ>

 

天河神社に向かう途中に、

丹生川上神社下社という神社があります。

こちらは丹生川上神社3社のひとつで、

3社のうちで一番最初に、

丹生川上神社の候補地として認定された場所です。

実は、丹生川上神社が今のような形になったのは、

明治~大正にかけてのことでして、

その当時、不明とされていた

丹生川上神社がどこにあったのか、

様々な議論がなされたと聞きます。

 

ただ、一度はこの下市町にある丹生川上神社が、

本来の丹生川上神社であると認められたものの、

のちの明治期にこの神社の形態が、

史実に適合しないことがわかり、

新たに川上村にある高龗神社(現上社)が、

丹生川上神社として認定されました。

そしてさらに大正期になると、

東吉野村の蟻通神社(現中社)が候補地として加わり、

現在の3社の形に落ち着いたそうです。


異質な空気

2015-05-24 12:51:30 | 奈良・京都の神社

<天河神社 てんかわじんじゃ>

 

天河神社のあたりはもともと、

大峯山で修業をする人のための、

宿場が並んでいたという話を聞きます

(さらに昔、人は住んでいなかったとか…)。

天河神社が建てられたのもごく近年で、

それまでは別の神社(寺院?)があったそう。

 

つまり天河神社の歴史というのは、

それほど古いわけではなく、

最近になってから知名度が上がり、

その後のニューエイジブームや、

スピリチュアルブームの後押しを受け、

一気に注目を集めるようになったのですね。

 

天河神社の境内を歩いておりますと、

一般的な神社とは違う空気を感じます。

それはきっと、 天川のエナジーを求めて集まる人間と、

その欲望を利用しようとする人間のエゴが、

せめぎ合っているからかもしれません。


要となる場所

2015-05-23 13:52:02 | 奈良・京都の神社

<天河神社 てんかわじんじゃ>

 

日本の都が奈良から京都へ、

そして京都から東京へと移されたように、

神社に関しても、その時代により

「要となる場所」が変わっていきます。

 

以前、天河神社を訪れたときは、

スピリチュアルブームの影響もあり、

その筋の人たち(神社、修験、霊能関係者…)

の姿をあちこちで見かけましたが、

今、天河神社に参拝して感じるのは、

よくも悪くも「無」ということです。

 

天河神社を始めとする奈良の神社の多くは、

すでにその役目を終えているところが多々あります。

祈願目的の参拝者が残して行った膨大な念を、

静かにあるいは災害という形で浄化しながら、

次の時代に備えているのでしょう。


選ばれたい魂

2015-05-22 13:06:02 | 奈良・京都の神社

<天川村 てんかわむら>

 

よく「神社に呼ばれる」などといいますが、

よほどその土地に縁があるか、

よほどの役目がある人でない限り、

神様が特定の人間を呼び寄せることはないと、

個人的には考えております。

 

確かに、神社参拝というのは縁のものですし、

いくら入念な計画を立てていても、

諸々の事情で立ち寄れない場合もあり。

ただ、運よく神社をお参りできたところで、

それ以上の特別な理由はなく、

天河神社に行くことができた人が、

「選ばれた」という理由にはなりません。

 

選ばれた人しか行けないと噂の神社には、

「選ばれたい魂」の人間が集まるもの。

数年前より天川村付近で天災が相次いでいるのも、

選民意識の強い人たちが、

清らかな土地に土足で踏み込んだからなのでしょう。


天河大弁財天社

2015-05-21 23:22:21 | 奈良・京都の神社

<天河神社 てんかわじんじゃ>

 

大峯山系の麓にある天河大弁財天社(天河神社)は、

一時期(今も?)ニューエージ系神社の聖地として、

占い師、スピカウンセラー、宗教関係者はもちろん、

国内外の著名人やアーティストなどから、

スピリチュアル好きな一般人に至るまで、

様々な人たちの信仰を集めてきました。

 

巷では「縁がなければたどり着けない場所」

などともいわれており、

どんなに行きたい気持ちがあっても、

時期が来なければ、参拝を許されないのだとか。

実際に、天河神社に行く途中で問題が起こり、

途中で引き返す人も多いそうです。

 

私が初めてこの場所を訪れたときは、

吉野を車で巡っている最中だったのですが、

天河神社に立ち寄る予定はなかったにも関わらず、

唐突に鳥居が目の前に現れてたいへん驚きました。

以前は、個性的な風貌の人を多く見かけたものの、

今ではリュックを背負った登山客や、

若いカップルの姿のほうが目立ちます。


独特の色

2015-05-20 17:40:22 | 奈良・京都の神社

<大神神社 おおみわじんじゃ>

 

先日は奈良の神社を巡ってまいりました。

色々な神社を参拝しておりますと、

それぞれの神社の「色」が違うと気づくもので、

特に多くの人の信仰を集めるような奈良の神社は、

他の地域とは異なる「独特のクセ」を感じます。

 

常に政治の中枢との関わりを持っていた奈良中心部には、

日本を陰から動かすほど「大きなカミ」が存在し、

その力を畏れた天皇が、皇祖神を奈良から移動させたほど。

また、吉野から熊野にかけての山中には、

修験の影響を色濃く受ける神社や、

水神や龍神伝説の残る神社が多数存在し、

日本最大の山岳地帯、水源地帯の守護をしております。

 

今回は伊勢から奈良へと入ったのですが、

伊勢のサラッとした空気に馴染んだ心身には、

奈良独特の空気がとても濃密に感じられました。

ひとつひとつの神社が強烈な個性を持ち、

互いに融合することなく、

独立した信仰を維持しているのが、

奈良の神社の特徴です。


ありがたいお札

2015-05-19 11:20:30 | 神社について

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>
御師のお札の版木

 

以前見た夢の中で、

印象的だったもののひとつが、

夜の街で突如としてお祭りが開かれ、

参拝者にお札が配られるという内容の夢です。

神社の拝殿には、

まだたくさんのお札が余っていたにも関わらず、

手を伸ばそうとする人はほとんどなく…。

宮司さんが「今回はこれだけですね…」と、

残念そうに後片付けをする姿が記憶に残っています。

 

私たちが救われる術、

そして日本が生き残る術は、

とても身近なところに存在しています。

わざわざ遠くの聖地まで行かなくても、

すぐ近くで「さあどうぞ」と、

ありがたいお札が配られているのですね。

心の曇りを取り払い、

「当たり前の恩恵」を見つけることが、

人間が救われる唯一の道なのかもしれません。


一対一の関係

2015-05-18 11:07:24 | 自然災害・参拝マナー

<箱根神社 はこねじんじゃ>

 

人が何かを祈るとき、

そこには「自分と相手」

「自分と故人」「自分と神様」 など、

他の人間を排除した「一対一の関係」が築かれます。

自分と相手とが直接つながらない限り、

祈りの効果など得られません。

第三者を通して願いを叶えようとしても、

永遠に祈りの磁気が届くことはないでしょう。

 

祈るという行為の本質は、

自分以外の存在を思いやることです。

自分にとって都合のよい出来事を願ったり、

他人をコントロールしようとしたりするのではなく、

ただただ「相手の命」に対して、

温かい眼差しを向けることが祈りなのですね。

祈った内容が叶う人というのは、

他人の幸せを願える人なのだと思います。


心の質

2015-05-17 11:03:01 | 自然災害・参拝マナー

<箱根神社 はこねじんじゃ>

 

神様という存在は、 神社に常駐しているわけではなく、

訪れた参拝者の心をのぞきながら、

その場に来られたり、来られなかったりすると聞きます。

仮に神様が来られたとしても、

訪れた参拝者の心の質によって、

「依る神様」の質が変わることもあるそう。

 

「おかげさま」の心でお参りする人には感謝の神様が、

身勝手な祈願を抱きお参りする人には欲深い神様?が、

参拝者のレベルに合わせて、

瞬時に入れ替わっているのでしょう。

 

神社が神社としての機能を果たすためには、

「おかげさまの参拝」が増えることが大前提です。

祈願よりも感謝の気持ちで訪れる人が優勢になれば、

自然とその神社は「ありがたい出来事」を与える場所になり、

その土地の人々も、その土地に縁のある人々も、

末永く守られるだと思います。