たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

新たな「気」

2017-12-31 09:18:12 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<外宮 げぐう>

 

ある神社の宮司さんが、

「穢れというのは気が枯れることだ」

といった内容の話をしておられました。

神道における最も有効な祓え祝詞である、

大祓詞(おおはらえのことば)の文言も、

つまりは「罪穢れをいかに祓えばよいか」

という内容の「神様の教え」なのです。

 

神社参拝で最も大切なのは、

「禊ぎと祓い」だと言われるように、

神社で行う祝詞奏上や御祈祷の類は、

「禊祓」の畏まった形式なのでしょう。

神域に入る前に、まず手や口を洗うのも、

神様への敬意という側面だけでなく、

訪れた参拝者に「禊祓」の心構えを

意識させるためのものなのかもしれません。

 

この世の中で生きている限り、

心身の穢れや曇りは避けられませんが、

ありがたいことに私たちは、

「神社」「神道」という素晴らしい

精神的文化の中で生活をしています。

一年の穢れを祓う大晦日の今日。

心の穢れを落とす気持ちを意識することで、

新たな「気」で心身が満たされるはずです。


自発的な感謝

2017-12-30 09:15:54 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<瀧祭神 たきまつりのかみ>

 

神様はもちろんのこと、

先祖や他人に感謝し続けることは、

想像以上に難しいものでして、

何か不都合なことが起きるたびに、

すぐに感謝の気持ちが薄れてしまうのが通常です。

ただし、たとえ理不尽な目に遭ったとしても、

「ありがたくないから感謝しない」ではなく、

「感謝するからこそありがたい恩恵がある」

と思い直すことで、不運の連鎖は確実に防げます。

 

「カミマツリ」に関しても同様、

「感謝するからこそありがたい恩恵を得られる」わけで、

私たちが日々、神様を敬いお祭りすることでしか、

目に見えない力は引き出せないのでしょう。

各々の蒔いた因果が発芽した結果が、

様々な出来事となってこの世に示現します。

「自発的に感謝する」という行為の中にこそ、

人生を豊かにするヒントが潜んでいるのかもしれません。


心の強化

2017-12-29 10:10:59 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<瀧原宮 たきはらのみや>

 

神様への願掛けや、神社での開運行動が、

「一時的な運気上昇」を呼び込むケースは間々あります。

ただし、それに味をしめて不敬な行為を続ければ、

やがて上がった分の揺り戻しが起こり、

願掛け以前よりも運気が下がるのが世の常です。

本当に運が強い人というのは、

神社や神様などに頼らなくても、

自らの気持ちの在り方ひとつで、

最適な選択肢を選び取れる人なのでしょう。

 

不運や悪いことをすべて避けようとするのではなく、

「何があっても無難にやり過ごせる自分」を作ったほうが、

結果的には負の反動を抑えられるのは確かです。

言うなれば、「心の状態・心の健康」を維持することで、

「運気の状態・身体の健康」をも支配できるのですね。

神様やご先祖を敬い、毎日の暮らしに感謝をする習慣は、

心を強化するためのトレーニングであり、

心の平安を保つ秘策なのかもしれません。


生きる根っこ

2017-12-28 11:06:05 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<内宮 ないくう>

 

ここ数年の伊勢神宮の様子を見ておりますと、

特に若い人の姿が目立ってきたように感じます。

大部分は行楽目的だとは思いますが、

数ある観光スポット、数ある神社の中から、

あえて伊勢神宮を選ぶ人が増えているという流れは、

昨今の世情などを鑑みても非常に興味深い現象です。

 

どんなに一時しのぎの快楽を求めても、

決して心が満たされないという現実に、

多くの日本人が気づき始めたのでしょう。

「神様を敬う」「祖先を敬う」

「神話を敬う」という気持ちが、

これからの日本を救う有効な術になることを、

すでに若者たちはわかっているのかもしれません。

 

私たちのDNAに組み込まれた

神様や祖先、神話への憧憬は、

そう簡単に打ち消せるものではなく、

「生まれてきた元を知ること」こそ、

本当の意味での「安心」につながります。

長い間「生きる根っこ」を断たれた私たちは、

自らの力で新たな根を伸ばすしかないのですね。


「イ」スラエルの「ヤ」

2017-12-27 10:05:49 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

ここ東祖谷・栗枝渡地区からは、

「剣山山系」の山々がよく見えるのだそうです。

その昔は剣山へ登る前に、ここへ立ち寄る習わしがあり、

登山者が列をなしてお参りの順番を待っていたと聞きます。

「キリスト」のイメージばかりが先行する

栗枝渡八幡神社という場所ではありますが、

恐らくその奥の奥に隠れているのは、

空神であり山神でありスサノオなのでしょう。

 

禊祓いの神でもあるスサノオは、

剣山への入り口のひとつであるこの地に神社を置き、

山頂に立ち入る人間を厳しく選別したのだと思います。

スサノオの御霊を宿す空海も、

スサノオの力を最大限に活かすため、

あえて古来のままの形態を、

随所に残したのかもしれません。

 

古代、この場所に移住したイスラエルからの渡来人は、

剣山の中に故郷パレスチナの景色を見ただけでなく、

ユダヤ部族の絶対神である「ヤ」の姿を見たのです。

「祖谷(いや)」という不思議な呼び名も、

おそらく求め続けていた「イ」スラエルの「ヤ」、

つまりヤハウェとも通じるスサノオが、

祖谷の地に眠っていたからなのでしょう。


祖谷の宝

2017-12-26 10:03:18 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

「鳥居」の起源に関しては、

様々な説がささやかれていますが、

木と木の間を縄で結んだ「門」が、

鳥居の原型であるのは確かなようです。

今でも、地方の山間部などに行きますと、

木や竹で作られた素朴な鳥居を目にしますし、

中央(大和朝廷)の影響が少ない地域ほど、

このような原始の神社形態が残っています。

言うなれば、この栗枝渡八幡神社というのは、

神社の古い形を伝える場所でもあるのですね。

 

もしかすると空海は、この地に漂う古代の匂い、

この地に隠されたユダヤ人の痕跡に気づき、

大切な何かを守ろうとしたのでしょう。

剣山一帯の聖域が次々と「ヤマト色」に染まる中、

この神社だけは原始の形を消さないよう、

正式な鳥居を作らせなかったのでしょうか……。

いずれにせよ、古くから祖谷という地が、

「見捨てられた人々」をかくまう隠匿の地であり、

「見捨てられた人々の宝」を隠す聖域だった、

ということは間違いないのかもしれません。


空海とユダヤ

2017-12-25 10:01:22 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

キリスト伝承で知られる栗枝渡八幡神社には、

『クルス堂』という別名があるのだそうです。

「くりすと」「くしりと」「くるすど」等々、

この神社の様々な呼称の大元にあるのは、

やはり古代ヘブライ語なのだと思われます。

 

秦氏やキリスト教(景教)などと、

深く関わっていたとされる空海は、

ヘブライ語を熟知していただけなく、

剣山および祖谷山の「起点」に位置する

この神社の存在もよく知っていたのでしょう。

 

「御陵だから鳥居を作らない」という、

この地に残された伝承の裏には、

古代ユダヤ人や空神とも強いつながりを持つ、

空海という存在が関わっていたのかもしれません。


簡素な鳥居

2017-12-24 09:57:54 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

栗枝渡八幡神社に鳥居がない理由、

それは熊野の自然信仰の場と同様、

もともと空神という名の「土着神」が、

祀られていたからではないでしょうか。

栗枝渡八幡神社の境内へと続く石段の

一番下に立って上方を見上げると、

わずかに社殿の屋根がのぞくだけで、

視界を占めるのは「森の木々」です。

社殿の裏手には、石垣の跡こそないものの、

山自体をご神体として拝む形式は、

素朴な民間信仰の名残を思い出させます。

 

また、境内の数ヶ所に置かれた

小さな祠や石積みの祭壇の前には、

「竹の鳥居」が設えられており、

よくよく周囲を見渡してみると、

木と木の間を結ぶようにして、

境内の入り口にも細いしめ縄がかけられていました。

恐らくこれが、鳥居の代わりであり、

結界の機能を果たしているのでしょう。

「聖と俗」の境界が見える人たちにとっては、

このような簡素な鳥居で十分だったのかもしれません。


空神と剣

2017-12-23 09:55:09 | 剣山・イスラエル

<東祖谷・栗枝渡地区>

 

栗枝渡八幡神社の謎を解くキーワードとして、

キリスト、八幡、安徳天皇等があげられますが、

実際に神社を参拝してみて感じたのは、

それら「ごく近代」の出来事の裏に隠された、

「空神」とでも呼ぶべき存在への素朴な信仰形態でした。

熊野の旅でもたびたび登場したこの「空神」は、

いわゆる自然信仰の名もなき神様でして、

栗枝渡八幡神社の謎として伝わる

キリスト、八幡、安徳天皇などの伝承は、

のちの世に加えられたものなのでしょう。

 

様々な由緒を残す場所と言うのは、

それだけ「重要なスポット」として、

古くから認識されていた証拠とも言え、

この山深い場所に鎮座する栗枝渡八幡神社にも、

「見過ごせない何か」「関わりたくなる何か」が、

潜んでいたのだと思われます。

 

キリストと八幡は「ユダヤ人」を示唆し、

安徳天皇と空神は「剣」を意味する隠語だとすれば、

恐らく、キリストも八幡も安徳天皇も、

「空神」を守るためのカモフラージュであり、

「空神」に関わる神宝を暗示する

大切なヒントなのかもしれません。


禊祓いの地

2017-12-22 09:52:27 | 剣山・イスラエル

<東祖谷・栗枝渡地区>

 

東祖谷の山上集落の一角にある栗枝渡八幡神社は、

かつては祖谷山にある102社の総鎮守として

厚い崇敬を集めており、剣山へ向かう際には、

この神社に立ち寄るのが慣例だったそうです。

栗枝渡八幡神社が、古来からの

「禊祓いの場所」であったなら、

これより上の山の頂に近いエリアは、

いわゆる「聖域中の聖域」だったのでしょう。

 

もしかすると、剣山の山頂一帯は、

「神事」のために整地された場所であり、

高所に位置する集落ほど「位の高い人」、

あるいは「神様に仕える役目の人」が、

居を構えていたのかもしれません。

また、剣山西側の祖谷方面だけでなく、

東側の木屋平や神山町、南側の那賀町などにも、

同じような「入り口」があったのだと思われます。


ミステリアスな場所

2017-12-21 09:49:45 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

「鳥居のない神社」というのは、

東日本などを中心にいくつか存在し、

それぞれの神社に由来が残されています。

こちらの栗枝渡八幡神社は、

「安徳天皇の御陵であり神社ではないため、

鳥居を建ててはならない」という、

昔からの掟を守っているからなのだとか。

 

ちなみに、安徳天皇の「徳」という字には

不思議な因縁があるのをご存知でしょうか?

実は「徳」を名に持つ天皇は不遇な最後を迎える、

あるいは不遇な形で崩御された天皇に、

「徳」の文字を与えられるという話があるのです。

そうなりますと、以前は阿波国と呼ばれていた

この地が「徳」島となった経緯も気になりますね。

 

また、安徳天皇や鳥居の件だけに限らず、

栗枝渡八幡神社の境内をグルっと見渡してみますと、

西洋風建造物を彷彿させる鮮やかな色彩の本殿や、

屋根の飾りにはめ込まれた天皇家ゆかりの16菊紋など、

「渡来系の印」があちことに散りばめられ、

一層ミステリアスな雰囲気が強調されていました。


鳥居がない神社

2017-12-20 09:47:05 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

栗枝渡八幡神社近くの空き地に車を停め、

短い参道を登って神社前に到着しますと、

石段の左下の目立たない場所に、

小さな手水鉢が置かれていることに気づきました。

手水鉢の奥には、この地特有の信仰形態である

石積みの構造物(ドルメン)と、

細い縄で結ばれた二本の細い竹が、

不思議な存在感を醸し出しています。

石の器の中にはちょろちょろと湧き水が流れ込み、

午後の太陽の光を優しく反射していました。

 

しかし、この場所を目にした当初から、

「何かが不自然」という感覚が、

視野全体を通して訴えかけてくるのです。

手入れの行き届いた神域の様相から察するに、

とても手抜きとは思えないのですが、

石段の登り口、最上部、参道の入り口と、

前後左右の景色をグルっと見渡してみても、

神社にあるはずの重要なものが見当たりません。

実はこの栗枝渡八幡神という場所は、

「鳥居が存在しない神社」として、

マニアの間で大きな謎を呼んでいたのでした。


厄介な由緒

2017-12-19 09:43:29 | 剣山・イスラエル

<東祖谷・栗枝渡地区>

 

栗枝渡八幡神社という名前を聞いたとき、

まず最初に思い浮かんだのが、

「厄介な由緒がありそうな場所だな」

という漠然とした歴史の重みでした。

キリスト、八幡、安徳天皇……等々、

決して一筋縄では解けない、

いくつものキーワード群が

揃ったこの山上の神社には、

地元の人以外は立ち入れない、

様々な「事情」が隠されていそうです。

 

それゆえ、当初は「長居は無用」とばかりに、

早々と立ち去ろうと考えていたのですが、

実際に八幡神社の前に立ってみますと、

意外なほど清々とした空気が漂ってきます。

この場所に神社が置かれた背景には、

キリストより遥か以前の「古い何か」が、

強く作用しているのかもしれません。

集落の向こうには、あたかも屏風のように

切り立った祖谷の山々が目前まで迫り、

かなりの高所に居ることを、

否応なしに実感させられました。


天皇の葬祭場

2017-12-18 09:39:47 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

平家落人の里としても知られる祖谷地方には、

平家ならびに安徳天皇にまつわる伝説や

史跡の類が、数多く残されております。

剣山という呼び名も、安徳天皇が

平家再興のため奉納した剣にちなみ、

「剣山」と改称されたそうです。

栗枝渡の名称に関しても同様に、

安徳天皇一行が川を渡る際に、

栗の木を渡して通ったことから、

名づけられたと聞きます。

 

実は、壇ノ浦の合戦で海に身を投げた、

とされる安徳天皇は影武者であり、

本物の安徳天皇は祖谷まで落ち延び、

この地で崩御されたという話があるのだとか。

壇ノ浦、安徳天皇と言えば、

天叢雲剣【草薙剣】を思い出しますが、

天叢雲剣と剣山に隠された神宝とは、

如何なる関わりを持つのでしょうか……。

栗枝渡八幡神社拝殿の奥には、

天皇の遺骸を火葬したとされる

葬祭場の跡が残されていました。


栗枝渡

2017-12-17 09:36:38 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

山上集落の代表格として知られる

東祖谷落合集落のお隣の山の斜面には、

剣山への旅の初日に予定していた

「二つ目のメイン神社」があります。

その名もズバリ「栗枝渡(くりしど)」という、

名前を見ただけでもいわくありげな場所でして、

この集落内にある八幡神社が次の訪問地なのです。

 

栗枝渡は通常「くりしど」と読みますが、

「くるすど」「くりすと」などとも呼ばれ、

以前は栗須戸神社と表記したのだそう。

お察しの通り、こちらの神社は、

「キリスト」との関連が伺われており、

剣山一帯にあるユダヤスポットの中でも、

特に気になる場所のひとつでした。

 

ちなみに、栗枝渡地区へと入るためには、

九十九折の山道を登って行かねばなりません

(まあ、今更ではありますが……)。

剣山という日本三大秘境のそのまた奥、

小さな山上集落の一角にひっそりと建つ

栗枝渡八幡神社にも、剣山に関する

何かの秘密が隠されているのでしょうか……。