たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

アジアの10支族

2017-09-04 10:00:20 | 皇室・海人族・ユダヤ

<国立民族学博物館>

 

一説によりますと、「白石崇拝」の風習を今に伝える

チベットの少数民族・チャン族は、古代イスラエルの

「失われた10支族の末裔」という話があるそうです。

「失われた10支族」という言葉を聞くと、

神武東征の時代を思い浮かべる方も多いと思いますが、

神武天皇が南方の海から日本にやって来たのは、

恐らく渡来人の移住が定着してからであり、

それ以前にすでにたくさんの古代ユダヤ人が、

日本に到着していたものと思われます。

 

故郷を追われた古代イスラエルの10支族の人々は、

大きく2つのルートに分かれて東に向かったとされ、

そのひとつが神武天皇が選択した南側の海ルート、

もうひとつがチャン族の暮らすチベット周辺を通り、

ユーラシア大陸を横断する北側の山ルートなのだとか。

2008年(そして先日も)発生した四川の大地震により、

チャン族の居住地には甚大な被害が出ました。

ユーラシア大陸を東西に貫く「カナンへの道」の周辺には、

紛争地や災害被災地などが点在しているのも意味深です。


望郷の念

2017-08-03 10:32:56 | 皇室・海人族・ユダヤ

<潮岬>

 

神武天皇が登場するはるか以前から、

熊野の地には多くの渡来人がやってきました。

古代イスラエル氏族の末裔とも言われる

それらの人々は、日本各地に散っていき、

「ユダヤの習慣」を伝播させましたが、

実は彼らと古代日本人とは同じ民族なのです。

熊野という場所は、そんな古代イスラエル人が、

特に多く移り住んだ地域のひとつで、

今なおその痕跡があちこちに残っています。

 

ユダヤ(古代イスラエル)の文化は、

もともと日本古来の文化でもありましたから、

二つの文化が融合するまでには、

さほど時間はかからなかったのでしょう。

熊野の地にたどり着いた古代イスラエル人は、

土地の人々の間に息づく信仰や習慣に触れ、

故郷への望郷の念を抱いたはずです。

そして、目指す「東方の楽園」が近いことを、

はっきりと感じ取ったのかもしれません。


過酷なお役目

2016-08-21 10:21:21 | 皇室・海人族・ユダヤ

<外宮 げぐう>

 

伊勢神宮の祭典を見続けてきて

実感するのは、「ご神事(祭祀)」は、

生半可な気持ちでできるものではなく、

祭祀者は体力的にも精神的にも

相当な負担を強いられるということです。

 

伊勢神宮の神官も、体力的な問題などで、

長時間のお祭りにご奉仕できなくなれば、

その時点で役目を解かれると聞きますし、

神宮祭主の任務も、年齢を考慮した上で、

しかるべき時期に若い方に引き継がれます。

 

神社の神官であれば定年もありますが、

天皇の祭祀に終わりはありません。

どんな理由があろうとも、生きている限り

祭祀を続けなければならないのが、

天皇という過酷なお役目なのですね。


三つ穴灯篭

2016-06-16 10:46:46 | 皇室・海人族・ユダヤ

<鹿島神宮 かしまじんぐう>

 

神社の入口や境内には、必ずといっていいほど、

石で造られた「灯篭」が置かれております。

灯篭のデザインは神社により様々ですが、

多くの場合その壁面には、神社に由来する

紋や動物などの形象が刻まれるのが常。

伊雑宮の六芒星(籠目紋)が彫られた灯篭は、

ユダヤとの縁を示唆する象徴的な印です。

 

実は、こちらの鹿島・香取神宮にも、

六芒星にも通じる謎の神紋が刻まれた

灯篭が存在するのをご存知でしょうか?

「三つ穴灯篭」と呼ぶそうですが、

一説によりますと、この三つ穴灯篭も、

ユダヤとの関連を示すものなのだとか。

 

三つ穴灯篭は、関東を中心に分布し、

同じ東国三社のひとつ、

息栖神社にもあると聞きました。

また、これらの神社にほど近い、

成田市の麻賀多神社(まかたじんじゃ)でも、

三つ穴灯篭を見かけたことがあります。


ユダヤとの接触

2016-05-26 11:00:52 | 皇室・海人族・ユダヤ

<内宮 ないくう>

 

今回サミットに参加する要人の中に、

「ユダヤ」「イスラエル」という存在と、

関わりのない方はいないと思います。

サミットの陰の目的が、

各国首脳の伊勢神宮参拝であるということは、

ユダヤ英知の結晶でもある神道の総本山に、

イスラエルに関わる要人たちが集まるということ。

 

伊勢志摩サミットというのは、

日本とユダヤが公に接触する、

重要な機会でもあるのですね。

 

一昨々年の式年遷宮の準備が始まったころから、

多くのイスラエルの要人たちが、

極秘で神宮を訪れているという話があります。

今後の首脳たちの動向を見極めることで、

その真偽や成果がわかるのかもしれません。


唯一無二の祭祀者

2016-04-24 11:00:16 | 皇室・海人族・ユダヤ

<大神神社 おおみわじんじゃ>

 

「四方拝(しほうはい)」と呼ばれる祭祀の中で、

天皇陛下は「さまざまな国難は、わが身を通過しますように」

という内容の呪文を唱えられます。

古代より、天変地異を鎮める唯一無二の祭祀者であり、

その身を賭して国と国民を守ってきたのは、

他の誰でもない天皇という存在です。

そして今自然からの警告を、

一番強く感じているのも天皇陛下なのでしょう。

 

私たちが国土を汚すほど、天皇陛下の身に負担がかかり、

私たちが日本への愛着を失くすほど、天皇陛下の祈りを妨げます。

私たちはそろそろ、日本という特殊な国についてしっかりと学び、

日本人(日本国土に住む人)にできない役割を、

認識する必要があるのかもしれません。

 

【四方拝とは】

元旦の早朝に天皇がその年の属星、

天と地、四方の神々、天皇陵を拝み、

年の災いを祓い豊作を願う儀式。

天皇以外の代行は許されない、

数ある宮中祭祀の中でも最も重要なご神事。


大事な国民性

2016-04-10 10:51:41 | 皇室・海人族・ユダヤ

<皇居 こうきょ>

 

日本びいきの外国人、海外の日本史研究家、

さらには日本で活動する軍部や政府関係者が、

今も昔も真っ先に取り組むのは、

「日本神話の解読」だという話があります。

終戦の折、日本の弱体化を目指す占領軍が、

「 天皇の権威を高めるような歴史は認めない」

「神話を教育の中に取り入れることは許さない」と明言したのも、

とにもかくにも日本人の遺伝子に根付く「神話」を奪うことが、

日本人の価値観や精神性を潰すための

唯一の手段だと気づいたからなのでしょう。

 

海外の人が日本を研究すればするほど、

1300年前の時代と何ら変わらないやり方で、

当たり前のように天皇を敬い、

当たり前のように神社に参拝する国民性に驚くと聞きます。

どんなに資金と軍事力に恵まれた強国も、

「皇室と神社を切り離さない限り、日本を統治するのは難しい」

と結論付けるほど、犯しがたい精神性を身につけているのが日本人です。

マッカーサーが昭和天皇の人柄に深く感動し、

皇室と伊勢神宮の継続を容認したのは、

多くの民族が失った「人間として大事なモノ」を、

日本人の心の中に垣間見たからなのかもしれません。


三柱一組

2016-03-31 10:00:30 | 皇室・海人族・ユダヤ

<伊太祁曽神社 いたきそじんじゃ>

 

日本の神社の祭神には、三柱一組の神がよく見られます。

例えば、底筒男命( そこつつのおのみこと)、

中筒男命(なかつつのおのみこと)、

表筒男命(うわつつのお のみこと)の住吉三神。

多紀理毘売命(たきりびめ)

市寸島比売命(いちきしまひめ)

多岐都比売命(たぎつひめ)の宗像三女神など…。

三神をひとまとめお祀りしている場所は、

海人系の神社が多いといわれます。

 

紀伊国を代表する古社・伊太祁曽神社では、

五十猛命(いたけるのみこと)、

大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、

都麻津姫命(つまつひめのみこと) の三神をお祭りしてますし、

日前神宮・國懸神宮、伊太祁曽神社、竈山神社の

三社を詣でる西国三社参りも古くから盛んなのだとか。

そして何より名草戸畔の遺体が「3つ」に分けられています。

海人族にはなぜか「3」の数字が付きまとっているようです。 


建国記念日

2016-02-11 14:14:22 | 皇室・海人族・ユダヤ

<明治神宮 めいじじんぐう>

 

本日は2月11日(建国記念日)です。

国家や愛国心などと聞くと、

堅苦しいイメージを抱いたり、

反発を覚えたりする人たちもいるとは思いますが、

せめて今日くらいは、日本に思いを馳せ、

天皇という存在に意識を向けるのも、

日本人として大切なことです。

 

日本という特殊な国が、

天皇という特別な存在によって

維持されているのは事実です。

大震災をはじめとする自然災害が立て続けに発生し、

社会の荒廃がエスカレートしているのも、

国土や天皇に敬意を払えない日本人が、

あまりにも増えすぎたのが原因なのでしょう。

 

天皇や国土に対して、

「ありがたい」という気持ちがなくなれば、

日本人が生きる上で大切な物が、

次々に取り上げられてしまうのは当たり前。

日本に生まれたこと自体が、

「誰もが手に入れられる恩恵ではなかった」ということを、

これから多くの日本人が実感するはずです。


海人族と縄文

2016-01-28 11:06:08 | 皇室・海人族・ユダヤ

<万治の石仏 まんじのせきぶつ>

 

海人族といいますと、

イスラエルよりやってきた天皇一族(天津神)のように、

他の国からやってきた渡来人のイメージがありますが、

実はそのほとんどが古代日本人であり「国津神」の系統です。

もちろん遠方に航海をする中で、

他民族と姻戚関係を結んだり、

他民族が流入したケースはあったものの、

間違いなく日本人のDNAを色濃く持つ縄文人だといえます。

 

国の行く末を左右するような有事の際には、

必ずといっていいほど海人族に関連する人や、

海人族と関係の深い神社が登場し、

また古事記の神々の系譜を見ても、

アマテラスが誕生するより早く、

海人族の信仰する神々が生まれています。

神武東征の折、天皇の危機を救った山の民と同様、

海人族の力がなければ、今の日本の存在しなかったのですね。


ヒミコ

2016-01-16 12:11:06 | 皇室・海人族・ユダヤ

<三輪山 みわやま>

 

倭姫命に先立ち天照太御神の御魂を託された

豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)は、

紀伊の国造・荒河戸畔(あらかわとべ)という、

海人族の血筋につながる女性の娘でした。

また、ご神鏡を託された豊鍬入姫命と同時期に、

倭大国魂神が宿る草薙剣を託された

渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)も、

海人族のひとつである尾張氏を母に持ちます。

 

天皇がご自身の分身でもあるご神宝を託したのは、

すべて海人族と深いつながりを持つ姫君。

聞くところによりますと、海人族家系の女性は、

シャーマンとしての素質に優れており、

一説にはヒミコ(日の動きを読む巫女)と

呼ばれていたともいわれております。

もしかすると伝説の邪馬台国の卑弥呼は、

海人族(日本の先住民族)の血を引く

皇族女性のことだったのかもしれません。


倭姫命とワニ

2016-01-15 12:07:14 | 皇室・海人族・ユダヤ

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

伊勢神宮を創祀した倭姫命(やまとひめのみこと)は、

元をたどると海部宮司家の外孫に当たるお方だそうです。

海部氏には、物部氏・尾張氏・安曇氏など、

同族とされる豪族がいくつかあるのですが、

その中でも最も古い時代に渡来した海人族のひとつ、

和邇氏(わにうじ)とのつながりが指摘されています。

 

ワニという言葉を聞くと思い出されるのが、

倭姫命を伊雑宮へと導いた七匹の鮫のこと。

和邇(ワニ)は古語で鰐鮫(わにざめ)を指し、

和邇氏の祖先もワニ神という海の神様なのだとか。

倭姫命の巡幸の旅の最後に現れたのは、

ご自身の先祖の神様だったようですね。


籠目紋(六芒星)

2016-01-13 12:04:02 | 皇室・海人族・ユダヤ

<伊勢市内 いせしない>

 

籠目紋(六芒星)といってまず思い出すのは、

伊勢内宮に向かう参道に立ち並ぶ、

たくさんの石燈籠に刻まれた印です。

伊雑宮の正式な神紋でもあり、

またユダヤ(イスラエル)を示す証拠として、

オカルトマニアの間でも有名なこの紋。

実は籠神社の奥宮・真名井神社にも、

籠目紋を刻んだ石碑が存在したそうで、

一時期マニアの間で話題になったと聞きます。

* 現在その石碑は撤去

 

籠神社には海部家に代々伝わる、

「息津鏡(おきつかがみ)」 「邊津鏡(へつかがみ)」という

八咫の鏡を模したような神宝も存在し、

同じ籠目紋(六芒星)で結ばれた、

籠神社の海部氏も伊雑宮の磯部氏も、

どちらも海人族出身の氏族。

海人族と古代イスラエルとが、

どのような関わりを持っていたのか、

非常に気になるところですね。


海の民

2016-01-07 11:05:35 | 皇室・海人族・ユダヤ

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

伊勢神宮に深い関わりを持つ海人族は、

かつては「倭人(わじん)」とも呼ばれ、

漁撈技術を駆使し大海原を駆け回った

縄文時代(縄文人)の海の民でした。

磯部の地にやってきた海人族は、

その後全国に散り、海洋文化を地方に伝播します。

磯部・海人族の出身である度会氏も同様に、

磯部の地からさらに北へと勢力を伸ばし、

宮川や五十鈴川の近くへ拠点を移しました。

 

ちなみに縄文人というのは、

私たちが歴史で習ったような狩猟民族ではなく、

海洋民族としての側面が強かったようです。

半農半漁の生活様式を取り、

農耕技術にも長けていた磯部・海人族の信仰は、

農耕祭である伊雑宮の御田植祭の日(翌日?)、

的矢湾に7匹の鮫を呼ぶという伝承を生みます。

実際にこの日、伊雑宮近くの入り江に、

鮫が現れるのを見た人がたくさんおり、

今でも近隣の漁師は漁を休みにするそうです。


度会氏

2016-01-05 11:45:58 | 皇室・海人族・ユダヤ

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

倭姫命が伊勢神宮・内宮を創祀するまで、

この地の神事を取り仕切り、信仰を支えていのは、

度会氏(わたらいうじ)という一族でした。

度会という名前を聞きますと、

まず「外宮」「伊勢神道」との関連が浮かびますが、

度会氏はもともと磯部氏と名乗る一族の出身で、

現在の伊雑宮のある磯部町から来た人たちです。

 

度会の「ワタ」は、海神(わだつみ)の「ワダ」、

あるいは朝鮮語で海を示す「パタ」 が

転嫁したものだともいわれ、

「海を行き来する人々」の意味を持つのだとか。

アジアの海々を縦横無尽に航海し、

様々な文化を日本に持ち込んだ海人族は、

熊野灘を北上し、的矢湾の奥深くにある

磯部の地に根を下ろしました。

 

【伊勢神道(いせしんとう)とは】

外宮の神職・度会氏が唱えた神道の説。

外宮を内宮(天照大神)をしのぐ存在であるとし、

豊受大神は天御中主神および国常立神と同一だと説いた。

代表的な神道家として、度会家行や出口延佳などがいる。