たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

見ること

2018-02-20 09:40:26 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・一宇>

 

地方の小さな神社を巡っていて感じるのは、

「見ること」の大切さです。

ガイドブックにも載っていない、

ささやかな神域を探し当てるには、

自らの力で「見ること」が必須で、

わざわざ見ようと意識しなければ、

確実に見逃してしまうような場所が無数にあります。

 

森の中にひっそりと佇む祭壇や、

草木に埋もれ朽ちかけた石の祠、

あるいは山深いの限界集落の神社など、

見ようとしない人にとっては、

一生見えない場所なのでしょう。

 

ただ、そんな「忘れられた場所」に、

誰かが目を向けることで、

場の空気は明らかに変化します。

たとえ、特別な神事などをしなくても、

「見ること」により救われる何かが存在するのですね。

地元の人が気づかない何かを見つけることは、

よそ者にとっての大事な役割なのかもしれません。


古代の道

2018-02-19 09:30:56 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・一宇>

 

現代に生きる私たちが、

「道」と聞いてイメージするのは、

主に車の通るアスファルト道路や、

人々が歩く平地の歩道だと思います。

一方、古代において道といいますと、

そのほとんどが「川」であり、

また山間部に住む人々にとっての道は、

山と山とをつなぐ「峰々」でした。

 

実は、ほぼ山地で占められた、

四国という地域は、

意外にも平野が少ない場所です。

今では山と山の間の深い谷底を

這うようにして鉄道が走っていますが、

線路が敷かれたのはごく最近で、

それまで道と言えば「山の尾根」

を指していたと聞きます。

 

この地に住む人々は、

平地に下りて用事を済ませるのではなく、

山に登り尾根伝いに移動しながら、

他の地域の人々と交流していたのですね。

この地の有力者の多くが、

集落の最上部に家を建てたのも、

「道」の重要性を知っていたからなのでしょう。


山上の恩恵

2018-02-18 09:28:53 | 剣山・イスラエル

<池田町・川崎地区>

 

都会や平地に住む人間から見れば、

ただただ険しい剣山の一帯ですが、

今なお山頂のごく近くにまで民家が立ち並び、

「山上集落(高地性集落・傾斜地集落)」

と呼ばれる伝統的な生活様式が、

あちらこちらに残っています。

今回の旅では、目的の神社を巡る合間に、

これらの山上集落の中に隠れるように存在する、

「古代の痕跡」を探し歩いてまいりました。

 

奈良や熊野などの山間地とは違い、

この地方に点在する集落のほとんどは、

切り開かれた山の傾斜地にあるため、

ふもとの町からも車道からも、

周囲の景色がよく見渡せます。

狭さや角度といった面だけを考えると、

かなり心身に負担のかかる道中ですが、

「遠くを見渡せる安心感」は、

古くからこの地で暮らす人々にとって、

大きな心の拠り所となったのでしょう。


阿波の熱

2018-02-17 10:14:44 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・貞光>

 

剣山周辺の資料を集めるにあたり、

関連市町村のHPなどを眺めていますと、

「イスラエル」「ソロモン」「秘宝」など、

他の都道府県の観光パンフレット等では

あまり見られないマニアックなキーワードが、

堂々と使用されていることに驚きを感じます。

 

普通のお役所であれば、到底許可されないような

「根拠のない伝承の数々」、また数十年前まであれば、

不敬罪にも等しかった「日本人とユダヤとの関係」を、

何の臆面もなく観光PRに利用する

徳島および剣山周辺の自治体の心意気に、

圧倒されっぱなしの旅でもありました。

 

予備知識を入れるために読んだ、

地元在住の著者の本の内容に関しても、

過去に目を通したどの地域の資料より、

故郷に対する「熱」が伝わってきます。

言うなれば、その抑えきれない感情こそ、

四国や剣山周辺に「追いやられた」

古代阿波人の無念の思いなのかもしれません。


日本とユダヤ

2018-02-16 10:03:10 | 剣山・イスラエル

<磐境神明神社 いわさかしんめいじんじゃ>

 

剣山の神社について調べている最中、

日本とユダヤとのつながりに関し、

「懐疑的」な態度を通り越して、

「否定的」な態度すら取るような人が、

想像以上にたくさんいることを知りました。

確かに、偶然だと言えばそれまでですし、

日ユ同祖論を支持する人や、

阿波ユダヤ王国説を唱える人たちの議論が、

少々冷静さに欠ける傾向が

あることも否定できません。

 

ただし、「そんなの嘘に決まっている」

「そんな話はこじつけに過ぎない」

と思いながら世の中を見渡すより、

「もしそうだとしたら……」

という視点で周囲を眺めたほうが、

より豊かなアイデアが降りてくる

ということを日々実感しております。

日本と古代ユダヤとの関係の中には、

これからの動乱の世を生き抜くヒントが、

数多く含まれていることだけは確かなのです。


知られざる一面

2018-02-15 09:50:03 | 剣山・イスラエル

<見ノ越峠>

 

剣山周辺が、「ミステリースポット」として、

一部の人たちの間で有名になった背景には、

元イスラエル大使の影響があるのでしょう。

前駐日イスラエル大使のエリ・コーヘン氏は、

剣山一帯に点在するいくつかの遺跡を巡った結果、

そのどれもが故郷の文化によく似ていることに、

驚きを隠せなかったと聞きます。

 

また、元大使だけでなく、

様々なイスラエルの要人が、

この地をお忍びで訪れている、

という噂があることから考えても、

両者のつながりを証明する何かが、

剣山一帯に潜んでいることは、

一部のユダヤ系の人たちの間では、

周知の事実だったのかもしれません。

 

恐らく、これから私たち日本人は、

他の民族の人たちから指摘されて初めて、

「日本のすごさ」を見出すのでしょう。

日本という国の知られざる一面が、

世界を動かし、地球を生かすための

「重要な宝」に値するという事実を、

海の向こうの人々の言葉によって、

気づかされるのだと思います。


ユダヤの物証

2018-02-14 09:43:31 | 剣山・イスラエル

<倭大国魂神社 やまとおおくにたまじんじゃ>

 

倭大国魂神社の神紋との噂もある、

ユダヤ教のメノラーという祭礼用の燭台は、

七つの枝を持つ特徴的な形をしています。

七つの枝と聞いて思い浮かぶのは、

3本の枝刃が段違いに配置された、

石上神宮の国宝・七支刀ですね。

石上神宮の祭祀を司った古代豪族・物部氏は、

イスラエル氏族の末裔とも言われていますし、

ふたつのシンボルに共通点が見られるのは、

さほど不思議な流れではないのでしょう。

 

ちなみに、剣山一帯が「ユダヤゆかりの地」

として、広く知られるようになった発端は、

元イスラエル大使の発言だったそうです。

剣山一帯を隈なく歩き回ったその方は、

この地に伝わる数々の伝承、

特徴的な祭壇、意味深な形象……、

などに触れた結果、ユダヤとの共通項が、

数多く存在することに驚嘆したのだとか。

日本各地に、イスラエルとの関連を

うかがわせる場所は多々あるものの、

「物証」がこれほど一か所に集中しているのは、

恐らく阿波・剣山一帯だけなのかもしれません。


「ヤ」と「八」

2018-02-13 09:38:13 | 剣山・イスラエル

<奥祖谷二重かずら橋>

 

国生みの神として知られる、

イザナギ・イザナミの2神の名称は、

実はヘブライ語だという説があります。

古代ユダヤの人々を日本へと導いた、

預言者イザヤの「イザ」は、

イザ(救い)ヤ(神)の意味であり、

2神とのつながりを示しているのだとか。

また、剣山の西側に位置する

祖谷地方の「イヤ」という呼び名や、

同地区の観光名所・かずら橋の「カズラ」も、

ヘブライ語由来の名称だと言われています。

 

ユダヤの神を示す「ヤ」の文字を、

数字に置き換えると「八」となりますが、

四国八十八か所の「八」、

そして八幡神の「八」など、

この地の至る所に「八」、

つまり「ヤ」が隠れているのです。

そして、この後訪れる

「日本のある古代氏族」

との関りをうかがわせる場所でも、

あちこちで「八」という数字を

目にすることになりました。

【参考サイト】

日本とユダヤのハーモニー


負の記憶

2018-02-12 09:33:54 | 剣山・イスラエル

<西祖谷山村>

 

古代イスラエルの各部族に伝わる神宝は、

ヤハウェに選ばれた民の証であり、

神宝を手放すことは相手への恭順を意味します。

仮に、イザヤに象徴される新鋭のユダヤ一族が、

古いユダヤ一族が住む剣山を訪れたとするなら、

剣山山上に王国を築いていた同郷の末裔に対し、

この地を明け渡すよう交渉したのでしょうか……。

 

恐らく、ナガスネヒコや名草戸畔、

そして吉野の豪族たちとの争いなど、

記紀に記された「神武東征」の各場面には、

当時、日本全国で勃発していた、

土着の民と渡来の民との紛争や、

それに伴う神宝のやり取り等を、

総括した内容が含まれているのだと思われます。

 

イザヤ一行が神宝を奪い山に火を放ったのか……。

あるいは、イザヤ一行の到着を知った人々が、

神宝を隠し王朝の痕跡を焼き尽くしたのか……。

それらを証明する術は残されていませんが、

剣山という場所には、決して史実には記せない、

つらい負の記憶が潜んでいるのは確かなのです。


アークの所在

2018-02-11 09:24:50 | 剣山・イスラエル

<西祖谷山村>

 

ユダヤの神が、不敬な人間や風紀の乱れた町を、

「火」などを用いて根絶やしにするという逸話は、

聖書などにも多々見受けられるストーリーです。

生き残った善良な民は、大切な神宝を守るため、

故郷を失うごとに次なる聖地を目指しました。

もし剣山山頂が、古代イスラエルの町々と

同じような理由で焼き払われたとするなら、

すでに剣山に「アークは存在しない」

という結論が導き出されます。

剣山の地下から持ち出されたユダヤの神宝は、

いったいどこに移されたのでしょうか……。

 

ちなみに、剣山のお膝元の祖谷地方には、

「伊勢から神宝が運ばれてきた」と

読み取れるような古い民謡が

伝えられているのだそうです。

また、「伊勢で祀られた三種の神器は、

その後剣山へと移動した……」

「剣山の秘宝を守るために、

わざと伊勢へと運んだ伝説を残した……」

などの話もあり、失われたアーク、

そして三種の神器の所在は、

未だ深い霧に包まれています。


火の戒め

2018-02-10 09:17:06 | 剣山・イスラエル

<美馬市・木屋平>

 

日本人なら誰もが知る童謡「かごめ歌」は、

「剣山山頂が焼き払われた場面」

を暗示しているという話があります。

何でも、剣山にユダヤの秘宝

(アーク)が持ち込まれてから、

長年にわたり不信心な行いが蔓延した結果、

「神宝を取り出して火を放て」

という神のお告げが降りたのだとか。

 

この話を聞いてまず思い浮かんだのは、

阿波で行われていた「山焼き」の風習でした。

一般的に、害虫駆除や土壌の改善

といった名目で行われることが多い、

この「山焼き」という行事ですが、

「東大寺と興福寺の争いを仲裁するために、

山を焼き払った(諸説あり)」とされる、

奈良・若草山の山焼きの起源から考えても、

山焼きには「戒め」の側面があることを感じます。

 

つまり、人間同士の争いが限界に達し、

国家を揺るがすほどの危機的状況になった場合、

神様は「火」という道具を使って、

人間の思い上がりを諫めることがあるのでしょう。

ちなみに、剣山山頂が丸焼けになった後、

持ち出したアークは新たな場所へと移され、

燃え尽きてしまった剣山(阿波王朝)は、

「見捨てられた地」となったのだそうです。

【参考サイト】

日本とユダヤのハーモニー


アークに準ずる宝

2018-02-09 10:12:41 | 剣山・イスラエル

西祖谷山村

 

古代ユダヤの神宝と聞きますと、

「契約の箱」や「モーゼの十戒石」

ばかりに目が行きがちですが、

恐らくは存在したユダヤ部族の数だけ、

各々の家系に伝わる「神宝」が存在し、

たくさんの「アークに準ずる宝」が、

日本国内に持ち込まれたはずです。

 

記紀の中で、神武天皇とニギハヤヒ

(に委託されたナガスネヒコ)が、

お互いの「神器」を見せ合ったように、

イスラエル氏族の血統を守る者の証として、

それぞれの家系ごとに「秘宝」が

受け継がれていたのだと思われます。

 

ある家系は「鏡」、ある家系は「剣」、

ある家系は「壺」など、天皇家が所有する

三種の神器を模したであろうそれらの宝は、

実物を提示しただけで、

すぐに身元がわかるような

由緒ある一品だったのかもしれません。

 

剣山に隠されたのは、

世界中の人々が捜し求めている

「失われたアーク」という名の

ユダヤの秘宝なのでしょうか……。

もしかすると、それらの埋蔵品は、

ある氏族の末裔たちが先祖代々守ってきた、

神器のレプリカだった可能性もありそうです。


ミカドの伝承

2018-02-08 10:22:05 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

もし、古代ユダヤの契約の箱(失われたアーク)が、

日本の皇室に伝わる三種の神器だったとすれば、

誰の手によって日本に持ち込まれたか……など、

それらの詳細がたいへん気になるところです。

剣山の謎について書かれた本を読みますと、

「アークはイザヤ一行が剣山に運んだ」と

記されているケースがほとんどですが、

イザヤはあくまで神官家系の出身であり、

天皇につながる系統ではなかったと思われます。

 

基本的に、三種の神器という「証」は、

特別な神官しか触れることは許されず、

また天皇のそばを離れることもありません。

仮にイザヤ一行の中に、神武天皇の

先祖である「ミカド」が含まれており、

契約の箱を携えたイザヤとともに、

剣山の山頂に皇居を構えたとすれば、

この一帯に「ミカド」に関する伝説が、

ほとんど残されていないことに違和感を覚えます。


二人の預言者

2018-02-07 10:04:43 | 剣山・イスラエル

<西祖谷山村>

 

モーゼとイザヤという二人の人物は、

「東方の地」を目指したユダヤ人たちを、

日本へと導いた代表的な「預言者」です。

はっきりした年代はわからないものの、

モーゼとイザヤが登場した時代には、

およそ数百年以上もの開きがあり、

必然的に両者が日本を訪れた時期も異なります。

 

ちなみに、ユダヤの契約の箱の中身は、

「マナを納めた金の壺」「アロンの杖」

「十戒を記した石板」だとされますが、

ソロモン王が活躍した時代

(モーゼ時代とイザヤ時代の間)には、

すでに契約の箱の中には、

十戒石板しか残されていなかったのだとか。

 

また、モーゼがシナイ山で授かった

十戒石板は、モーゼ自身の手によって、

日本へと運ばれたという話もあり、

イザヤが生きていた時代には、

恐らく石板は存在していなかったか、

もしくは「別の石板」が入っていた、

という可能性も否定できません。

いずれにせよ、剣山に埋められたとされる

「アーク」が何を指しているのか、

非常に興味深いところではあります。


複雑な図式

2018-02-06 10:00:55 | 剣山・イスラエル

<東祖谷名頃・かかしの里>

 

ひと口に「古代イスラエル」

「失われた十支族」と申しましても、

彼らのすべてを一緒くたにして語るのは、

少々無理があるような気がします。

数千年前、イスラエルを出発した人々が、

様々な部族と姻戚関係を結びながら、

長い時間をかけて日本へと到着したように、

「生まれた時代」「来日した時期」等は

バラバラであり、また彼らのすべてが、

最後まで同じ志を持ち、同じ目的に向かって、

協力し合っていたわけではないのでしょう。

 

ちなみに、剣山周辺で聞かれる

古代ユダヤの痕跡のほとんどは、

「イザヤ」という預言者に関わる伝承です。

イザヤが表舞台に現れるのは、

モーゼの出現よりさらに数百年後のこと。

イザヤの到着時にはすでに、日本人と同化し、

「国津神」となっていたユダヤ人もいたはずです。

いずれにせよ、日本人=国津神、

ユダヤ人=天津神といった、

単純な図式には収められないのが、

古代の日本という国なのかもしれません。