たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

天と地の和合

2017-11-05 09:00:18 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

神宮祭主というお立場は、

「天津神」からはもちろんのこと、

「国津神」からも認められる人物でなければ、

決して全うできないような大役なのだと思います。

内宮、外宮ともに「雨の禊」を済ませた清子様は、

両神からの許可を受けた唯一無二のお方なのでしょう。

 

天照太御神だけでなく、外宮の神にも愛された

神宮創始の立役者である倭姫命(やまとひめのみこと)は、

豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)より

その任務を引き継ぎ、伊勢の地へと導かれました。

もともと「国津神」の地であった伊勢という場所に、

天津神である天照太御神をお祀りするためには、

外宮の神(国津神)の許可を得る必要があり、

倭姫はその関門をクリアしたのだと思います。

 

清子様も倭姫と同様に、池田祭主から託された

「天津神と国津神の和合」という命題を背負い、

これから大変なお役目を遂行されるはずです。

私たちが暮らす日本という国には、

そんな時代を超えた「奇跡の伝承」が、

今なお脈々と受け継がれているのですね。

まずはその第一歩として、

前代未聞の大雨の禊祓いが起こったのかもしれません。


最後の砦

2017-11-04 09:33:54 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

黒田清子様の神宮祭主への就任は、

日本という国、そして日本人にとって、

「最後の砦」であるような気がします。

このタイミングで祭主を引き受けるには、

かなりの心の葛藤があったと察しますが、

恐らく、その状況を十分に鑑みた上で、

今回の神嘗祭へと向かわれたのでしょう。

 

数年後に、天皇陛下が立場を退かれ、

新たな天皇が即位されたとき、

日本は大きな転換期を迎えるはずです。

もしかすると、私たちが想像もしなかったような、

様々な有事が発生する時代になるかもしれません。

 

その際、救世主となるのが神宮祭主であり、

現代の卑弥呼、そして倭姫の再来とも呼ばれる

黒田清子様その人なのですね。

日本の存続を左右するほどのこの時期に、

清子様が「要の役」に就かれた幸運を、

私たちは感謝しなければいけないのだと思います。


祭主の役目

2017-11-03 09:28:31 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

日本が国難に襲われたとき、天皇陛下は真っ先に

「自らの責任」と己の不徳を責めるのだそうです。

天皇陛下の名代として伊勢神宮に赴かれる祭主も、

天皇と同じように、様々な災難が起こるたび、

自らの力不足を嘆いてきたのかもしれません。

 

前任の池田祭主が祭典に挑まれている最中、

時折、伏せていた目をおもむろに上げ、

鋭い光を宿した眼で、神前のほうを

じっと見据えていたお姿を思い出します。

 

その視線は、とても80歳を過ぎた方とは

思えないような力強さで満ちており、

命をかけて自らの責務を全うするという熱意が、

何気ない所作の端々からも伝わってきました。

 

祭主を引き受けるということは、

日本と日本人が背負った罪穢れを、

御身で祓い清めるということです。

一旦そのお役目に就いたなら、

愚痴ひとつ吐き出すことさえ許されない、

険しく孤独な日々が続いて行くのでしょう。


神の依り代

2017-11-02 09:23:18 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

「祭主」の役目と言いますのは、

外から見ているほど楽なものではなく、

ただただ雅な衣装に身を包み、

「神前にお参りすればそれでいい」

というわけでは決してありません。

「祭主になるべき星の下」に生まれた清子様でさえ、

幾度かは天皇陛下からの依頼を固辞したそうですし、

祭主への就任を承諾するに当たって、

決死のお覚悟があったことは、

想像に難くない流れでしょう。

 

祭主というのは、つまり「神の依り代」です。

歴代の卑弥呼と呼ばれた女性たちと同じように、

神の啓示を正確に受け取り、国や国民を守るべく、

天の意志を遂行することができるかどうかの重圧が、

ひとりの女性の肩に圧し掛かっているのです。

恐らくその過程においては、

目をそむけたくなるほどの光景を見させられたり、

精神を取り乱してしまうほどの衝撃を受けたりと、

言葉にするのもはばかられるような

過酷な体験をするのかもしれません。


浄化の雨

2017-11-01 09:16:00 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

一見、柔和で穏やかな雰囲気を醸し出す、

天皇陛下のご長女・黒田清子様ですが、

恐らくその内側には、

可憐なお姿からは想像できないほどの

強固な「意志」を秘めていると感じます。

言い換えるならばそれは、

参拝者の罪穢れを一瞬にして飲み込む、

「激流の五十鈴川」のような一面かもしれません。

 

清子様が参道を歩かれるだけで、

人間だけでなく動植物の気配さえ鎮まり、

その場の空気が「異次元」に変わります。

前方へとまっすぐに向けた眼差しは、

大勢の視線にさらされても微動だにせず、

周囲を取り囲む神職や参拝者はもちろん、

神様以外の存在は映っていないと感じるほどです。

 

この時期、このタイミングで、

日本の未来を預かる神宮祭主に就かれた重責を、

その身にずっしりと背負っていられるのでしょう。

過去に例がない3日間連続の神嘗祭の雨は、

もしかすると、日本の罪穢れを祓うために

祭主が呼んだ「浄化の雨」なのだと思います。


波乱の雨

2017-10-31 10:05:32 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

「こういう時は荒れるんだよね…」

3日間にわたる祭典の間、一時も止まず

雨が降り続いた今回の神嘗祭について、

神宮近くで暮らしている地元の方は、

ふとこんな感想を漏らしていました。

晴れ、雨、曇り、雪、大風の日など、

様々な気象条件の下で執り行われた、

祭典を長年見続けてきたきたその方は、

お祭りと天気、そして時勢との関わりが、

何となくつながって見えるのだそうです。

 

とりわけ今回の神嘗祭は、

これからしばらく続くであろう

黒田清子祭主の時代が始まった節目ゆえ、

「清子様への重圧は相当なものになる」と、

今後の展開を案じておられました。

ちなみに、神宮の関係者いわく、

「神嘗祭の祭典が3日間とも

雨だったことは記憶にない」のだとか。

言い換えれば、それだけ日本の現状が

切羽詰まっている証拠なのかもしれません。


雨の暗示

2017-10-30 10:03:34 | 伊勢神宮

<五十鈴川>

 

内宮での深夜の儀式が執り行われる

16日の夜から翌日の朝にかけても、

伊勢の地には容赦なく雨が叩きつけていました。

内宮参道そばにある五十鈴川の御手洗場には、

川からあふれた水が波打つように押し寄せ、

川原の岩に乗り上げた激流が渦を巻きながら、

下流のほうに向かって流れて行きます。

その日私が目にしたのは、

普段の楚々とした姿とはかけ離れた、

「五十鈴川の裏の顔」でした。

 

17日のお昼ごろには、雨が上がる予報だったものの、

結局、内宮の奉幣の儀が終わるまで雨が降り続き、

傘を差さずに済むくらいにまで天候が回復したのは、

すべての役目を終えた清子様が、

宇治橋の鳥居を出られたときです。

神宮のお正月でもある神嘗祭の雨は、

お清めの雨なのか、それとも恵みの雨なのか、

もしかすると何かの暗示だったのかもしれません。


清めの雨

2017-10-29 09:52:07 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

神宮にまつわる「都市伝説」として、

「皇室の方が参拝をされるときは雨が止む」

という逸話がささやかれています。

特に、天皇陛下や皇后陛下の参拝時、

どれほど大雨が降っていたとしても、

両陛下がお出ましになったとたん、

不思議と雨が上がってしまうそうです。

しかし今回は、外宮の奉幣の儀が近づくにつれ、

雨脚は弱まるどころか逆に強くなって行きました。

 

ちなみに神宮では、「清めの雨」と言って、

雨の日の参拝を「慶いこと」と捉えています。

清子様のお名前には「清」が入っていますから、

もしかすると雨とのご縁が強いのでしょうか…。

そんな妄想を後押しするかのように、

清子様が鳥居の向こうから姿をあらわしたとき、

降っていた雨の勢いはピークに達し、

頭上から大きな雨粒が音を立てて落ちてきたのです。


未経験の雨

2017-10-28 09:42:03 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

翌日の早朝、目覚めてすぐにカーテンを開けると、

明らかに外はどんよりとした雨模様でした。

何度ニュースの天気予報を確認しても、

一日を通して天候が回復する兆しは見られず、

さらには今日だけではなく明日にかけても、

本格的な雨が降り続く予想が出ています。

16日の昼は、外宮にて「奉幣の儀」が執り行われ、

真夜中からは2つの祭典が内宮で始まるのですが、

恐らくこの調子で行けば、一日中雨模様でしょう。

 

外宮で顔を合わせた地元の知り合いの方に、

「この時期は雨が多いのですか?」と聞くと、

「降ることは降るけど今回は珍しい」とのこと。

何でも、外宮と内宮のどちらか一方の祭典が、

雨の日に当たったケースはあるものの、

連続で雨になることは滅多にないのだそう。

祭典の警備に当たられていた衛士の方も、

「過去に経験がない」とおっしゃっていました。


雨の伊勢

2017-10-27 09:36:20 | 伊勢神宮

<外宮参道>

 

内宮での御卜の儀が終わったのち、

15日~16日の深夜から早朝にかけて、まずは外宮で、

「由貴夕大御饌祭(ゆきのゆうべのおおみけさい)」

「由貴朝大御饌祭(ゆきのあしたのおおみけさい)」

という祭典が、浄闇の中粛々と執り行われます。

 

伊勢市のホテルに宿泊した15日の晩は、

長距離移動の疲れと、雨の中を延々と

歩き続けたことによる体力の消耗により、

心身ともに疲労困憊していたにも関わらず、

夜中の祭典が行われる時間になると、

なぜかふと目が覚めてしまいました。

 

カーテンを開けて外の景色に目を凝らせば、

道路のアスファルトが湖面のように水を湛え、

街灯や信号機の明かりを反射しています。

過去にも、参拝のために伊勢を訪れた際、

何度か本降りの雨には遭遇しましたが、

今回はいつもと様子が違うようです。

 

この勢いを見る限り、3日間の祭典の間中、

雨は止むことなく降り続けるかもしれません。

恐らく、これから始まる真夜中の祭典も、

降りしきる雨の中で執り行われるのでしょう。

ひと気のない伊勢の町を眺めながら、

絶え間なく降り注ぐ真夜中の雨の音に、

しばらくの間じっと耳を傾けていました。


雨の洗礼

2017-10-26 09:27:18 | 伊勢神宮

<伊勢市駅前>

 

伊勢に入ってまず出迎えてくれたのが、

まさに「本降り」という言葉がぴったりの

季節を先取りしたかのような冷たい雨でした。

外宮へと向かう道すがら、神嘗祭に合わせて

全国各地から芸能の奉納にやってきた人々が、

あちこちで踊りや歌を披露していたのですが、

ほとんどの団体は上着やレインコートを着こみ、

雨や寒さを気にしながらの実演を余儀なくされ、

「せっかくのお披露目の日なのに…」と、

少々気の毒になってしまったほどです。

 

夕方から行われる「御卜(みうら)」を前に、

まずは外宮の神様にお参りをすべく、

小一時間程度、外宮内を散策している最中も、

一向に雨が収まる気配はないどころか、

ますます降雨量は増えて行きます。

すでに靴は濡れ、靴下にまで雨水が浸透し、

次第に足元からヒンヤリとした感覚が、

身体全体にまで広がってきました。

そして、外宮から内宮へと移動し、

御卜の儀が始まってからもずっと、

頭上からは雨が降り注いでいたのです。


神宮の異変

2017-10-25 09:20:28 | 伊勢神宮

<まがたま池>

 

伊勢に通い詰めておりますうちに、

長年、神宮の祭典を見続けてきた、

地元の人々と顔見知りになりました。

それらの方たちの話では、

今回の神宮祭主の引き継ぎに関し、

「こんなに早い時期に、清子様が

祭主になるとは思わなかった」とのこと。

 

と言いますのも、ここ数か月の間に、

式年遷宮を完遂した鷹司大宮司が退任し、

小松大宮司が職を引き継いだだけでなく、

警備方の責任者なども交代したため、

清子様が祭主に就任するのは、

「天皇陛下がご譲位された後だろう」

という予測があったのだそうです。

 

「一般の会社で例えれば、

社長と副社長と専務が、

一斉に入れ替わったようなもの」 と、

非常に驚いておられましたが、

つまりそれだけ時代の変わり目が

差し迫っている証拠なのでしょう。

そしてさらに「神宮の異変」は、

人事だけに留まらなかったのです。


神宮の正月

2017-10-24 09:11:37 | 伊勢神宮

<おかげ横丁>

 

神嘗祭(かんなめさい)と申しますお祭りは、

「神嘗正月」「神宮の正月」とも呼ばれる

神宮祭典の中でも最も重要視される行事で、

およそ10日かけ、神宮所管のすべてお宮にて、

順次、国家繁栄を願うご神事を執り行います。

それらの祭典の中でも、まず最初に行われるのが、

「興玉神祭(おきたましんさい)」「御卜(みうら)」

「由貴夕大御饌祭(ゆきのゆうべのおおみけさい)」

「由貴朝大御饌祭(ゆきのあしたのおおみけさい)」

「奉幣(ほうへい)」「御神楽(みかぐら)」で、

いずれも、内宮と外宮で3日間に渡って催行され、

その間ほぼすべての祭典を祭主が取り仕切るのです。

 

ちなみに、私たちのような一般人が拝見できるのは、

神宮の開門から閉門までに行われる祭事の一部であり、

そのほとんどは「秘儀」として公には公開されません。

とりわけ重要な神事は、夜の浄闇の中で行われるため、

一度お祭りがはじまれば、祭主はもちろんのこと、

大宮司や神職も、心身の緊張を解く暇さえなく、

次々と祭典に臨まなければならなくなります。

雨雪などの荒天時には、幾分配慮がされるものの、

長時間の屋外での神事に挑むためには、

想像以上の気力体力が必要でしょう。

先日退任した池田祭主は、すでに80歳を越えられており、

お身体にかかる負担は相当なものだったと思われます。


神宮祭主

2017-10-23 09:56:40 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

先日行われた伊勢神宮の神嘗祭から、

天皇陛下の長女である黒田清子様が、

正式な祭主として就任されました。

すでに、ご高齢の池田祭主の補佐として、

式年遷宮の主要祭典を取り仕切った経緯もあり、

今回の就任もほぼ既定路線ではあったものの、

このタイミングでの祭主の引き継ぎというのは、

まさしく「神意」のような気がしてなりません。

 

ちなみに私自身、神嘗祭の期間は、

別エリアに出かける予定を立てており、

伊勢を訪れるつもりはなかったのですが、

清子様が今回の祭典よりご奉仕されると聞いてから、

どうにもこうにも胸騒ぎがして心が落ち着かず…。

「やはり行かなければ」という強い思いにかられ、

急きょ旅の最後に伊勢への立ち寄りを決め、

2年ぶりの神嘗祭を見届けることにしました。


神様ごと

2017-10-22 09:51:45 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

天皇の最たる役目は「神事を行うこと」であり、

とりわけ今上天皇の神事へのご熱意は、

歴代天皇の中でも群を抜いていると聞きます。

また、伊勢神宮の神職の方々に関しても、

「まずは神事、あとに他の仕事」なのだとか。

つまり、それくらいの覚悟がなければ、

神に仕える資格はないのかもしれません。

 

前回の式年遷宮で、ご高齢の池田祭主の代わりに、

黒田清子様が深夜の祭事等を引き受けられのも、

真夜中や夜明けのお祭り事へのご奉仕が、

いかに過酷なお役目であるかの証拠でしょう。

私たちは「昼間の天皇陛下」「昼間の神宮」

にしか目を向けていませんが、

実際には「陰で行われている神事」のほうが、

何倍も重要かつ過酷な内容なのです。

 

世の中には、自らの開運や国のための開運を装い、

「神様ごと」を真似る人がたくさんいます。

ただ、天皇陛下や祭主・神宮神職の陰の姿を見れば、

本来の神事の意図から外れているのは明白です。

まず、私たち一般人がすべきなのは、

心を込めて日常生活を送ることだと思います。

これができなければ、どんなご神事も開運行動も、

マイナスの作用しかもたらさないのですね。