たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

無社殿神社

2016-11-30 17:38:17 | 無社殿神社1

<瀧の拝・矢倉神社 たきのはいやぐらじんじゃ>

 

 ***** 無社殿神社とは *****

今年最後の神社巡礼ツアーを組むにあたり、

「今回のテーマ」を模索していたとき、

ふとある文字が目に飛び込んできました。

その文字こそが、まさしく「無社殿神社」。

つまり社殿を持たない信仰の場を指す言葉で、

現在の「神社」という形式が出来上がるまでは、

日本全国の神社はもともと「無社殿」でした。

 

ちなみに、いつも旅に出る前は、

半ば直感で参拝する神社を決めているのですが、

なぜか日程のギリギリになると

「これぞ」というテーマが明確になります。

今回もなかなか訪問地が決まらず困っているとき、

まるで神社のほうから手招きされるように、

「無社殿神社」の文字が目の前に現れたのです。


熊野の神社

2016-11-29 10:30:26 | 熊野の神社

<那智の滝 なちのたき>

 

 ***** 熊野の神社1 *****

「熊野の神社」と聞いてまず思い浮かべるのが、

ユネスコの世界遺産にも登録されている、

熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社、

という3つの大きな社(熊野三山)だと思います。

熊野観光の最も有名なスポットである、

熊野古道と呼ばれる古の巡礼道は、

この三社を参拝するために整備されたもので、

平安時代には数多くの上皇や貴族らが、

また室町時代以降は武士や庶民に至るまで、

大勢の人々が熊野の地を目指しました。

 

仏教や修験道の影響を強く受け、

神仏習合の地としても知られる熊野三山ですが、

実は、修験道の開祖である役行者が、

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)を開くまでは、

これらの社はすべて自然崇拝の聖地でした。

熊野本宮大社の旧社殿地の脇を流れる大河、

熊野速玉大社の元宮である神倉神社の磐座、

熊野那智大社のシンボルである那智の大滝など、

神社のご本殿ではなく「その近くに」、

今も自然崇拝の痕跡が数多く残されています。


神社と防災

2016-11-28 10:10:37 | 神社について

<気仙沼・賀茂神社 かもじんじゃ>

 

今回は長い期間にわたり、

「神社と防災」というテーマで、

ブログの記事を綴っておりますが、

誤解を恐れずに言うならば、

「神や先祖の存在を知らせるために」

東日本大震災のような未曽有の大災害が

起きてしまった側面もあると感じます。

 

神をも畏れぬ心を持つようになった人間、

先祖の声に耳を傾けなくなった人間に対し、

自然を司る神々、そして東北の地に潜む国津神は、

災害により神社をむき出しの姿にすることで、

その存在を知らしめようとしたのでしょう。

 

あるデータによりますと、津波の被害を免れ、

社殿の形を残している神社は、

古くからその地に祀られている

「由緒不明の神社」がほとんどだったそうです。

逆に、諸々の人的な理由により、社殿を移した神社等は、

消失や全壊の被害に遭うケースが多かったと聞きます。

 

いずれにせよ、これからの防災を考える上で、

神社と災害との関わりは、無視できない貴重な歴史です。

多くの人々の命を救った神社をお参りしていますと、

土地土地の神様が、そのことの重要性を

指し示してくれているように感じました。


災害の疑似体験

2016-11-27 10:08:44 | 東日本・三陸の神社

<女川町>

 

よく「体験しなければわからない」となどと言いますが、

災害に関しては「体験しなくてもわかる」ことも大事で、

そのためには、実際に被災地を自分の目で見て、

自分自身の感覚でとらえる必要があります。

 

様々な理由で現地に赴けないならば、

災害に遭遇した人の話を聞いたり、

災害について学べる施設を利用したりと、

自ら積極的に「災害の疑似体験」をすることで、

イザというときの判断が分かれるはずです。

 

今回、三陸地方を旅しながら、

「巨大地震や津波は歴史の中の出来事ではない」

ということを痛切に感じさせられました。

それは同時に、私たちが自然災害の恐ろしさを、

すでに忘れていることの証でもあるのでしょう。


犠牲者の上で

2016-11-26 10:06:33 | 自然災害・参拝マナー

<女川町>

 

東日本大震災の発生により犠牲になられた方、

あるいは行方不明のままの方の数を合わせると、

2万数千人にも及ぶといわれております。

これまでの三陸の神社に関する記事の中でも、

「〇〇市では〇〇〇〇人の犠牲者」といった数字を、

文章の中に書き留めておきましたが、

本当は犠牲者ひとりひとりの人生があり、

〇〇〇〇人と一括りにしてあらわすのは、

とても失礼なことなのかもしれません。

 

誰もが知る有名人が「たった一人」でも亡くなると、

大勢の人々が「たった一人」のその人への思いを語り、

全国の人々が「たった一人」のその人を悼みます。

一方、自然災害や大規模な事故などで

一度に大勢の人が亡くなったとしても、

面識のない犠牲者ひとりひとりに対し、

哀悼の思いを寄せることは困難でしょう。

 

三陸地方の神社を巡っている最中は、

「この大地の上で大勢の人が亡くなった」という事実を、

常に持ち続けるよう心がけておりました。

私たちは、過去の人々の死の上で、

「生かされ」日々の生活を送っているのですね。

噂によりますと、今も被災地のあちこちで、

津波の犠牲者であろう人たちの霊が目撃されているようです。

「忘れない」という気持ちこそが、これらの方々の慰めとなり、

未来に起こるであろう災害を抑える楔となるのかもしれません。


尺度の長さ

2016-11-25 10:04:08 | 自然災害・参拝マナー

<南三陸町>

 

三陸地方の神社を巡っていて感じたのは、

被災地の人々の中にある「尺度の長さ」でした。

現地の方と話しておりましても、

会話の端々に「これからの人のために」という思いが、

当たり前のように込められていることに気づきます。

 

もちろん、東日本大震災が起きた当初は、

自分の生活の立て直しが優先で、

視野を広げるゆとりなどなかったでしょう。

ただ、震災から5年の月日が流れ、

当時の状況を冷静に振り返ってみると、見えてきたのは

「無視し続けてきた先祖の思い」 だったのかもしれません。

 

これまで幾度となく、災害に見舞われてきた場所でさえ、

時間が経つに従い、負の記憶は過去へと追いやられ、

人間の驕りを戒めるかのように、自然の猛威が牙をむきます。

「忘れない」ということは、「忘れる」ことより難しいのですね。

 

目先の生活に追われ、自分のことで精いっぱいの現代人は、

とかく他人の状況を気づかう余裕や、

未来に生きる人たちに対する配慮を忘れがちです。

被災地の方々の脳裏に浮かぶこれからの光景が、

今の日本を救うためには必要なのかもしれません。


本当の被災地の声

2016-11-24 10:00:39 | 自然災害・参拝マナー

<南三陸町>

 

三陸の方々のお話を聞いておりますと、

淡々とした語り口の中に潜む、

「真剣さ」のようなものを強く感じます。

こちらからあえて、震災当時の話題を出さなくても、

話は自然と防災や変わりゆく故郷への思いなど、

人間が生きる原点に関する会話へとつながり、

最後には被災していない私たちのほうが、

気づかわれてしまうことも多々ありました。

 

4月に熊本で大地震が発生したとき、

「まさか自分の身に起きるとは思わなかった」

「東北の災害は他人事だと思っていた」などと、

熊本の被災者が口々に話していましたが、

その様子を見た東日本大震災の被災地の人々は、

とても歯がゆい気持ちを抱いたはずです。

たくさんの犠牲を伴いながら出した警告が、

無意味だったのだろうか…と愕然としたことでしょう。

 

南三陸町で震災時の様子を伝え続けてきた方は、

これまでは津波の状況を説明するのが精いっぱいだったが、

今はなるべく「役に立つこと」「学ぶべきこと」を、

話に盛り込むよう心がけているとおっしゃっていました。

「自分たちの犠牲を無駄にしないで欲しい」という思いは、

幾多の死と向き合ってきた人たちの嘘偽りのない願いです。

 

東日本大震災の記憶が日本人の中から薄れている今、

もう一度東北の人たちの声に、

真摯に耳を傾けるべきなのかもしれません。


新たな災害に向けて

2016-11-23 10:00:05 | 自然災害・参拝マナー

<南三陸町>

 

「あの日」から5年半以上が過ぎ、当時と比べると、

東日本大震災関連の報道は格段に減り、遠地の人間が、

被災地の現状を目にする機会は少なくなりました。

いくら口では「忘れない」などと言っておりましても、

日々の生活や次から次へと押し寄せる災害に追われ、

東北や被災者の方々への意識が薄れているのも事実です。

 

今回、三陸沿岸の神社を巡りながら感じたのは、

まさしく「忘れない」ということの難しさでした。

時間の経過とともに遠のいていく記憶を、

「どうすれば今につなぎとめられるのか…」。

様々な試みと自問自答を繰り返しながら、

地元の方々の試行錯誤は続いています。

 

そして私自身も、これだけの大災害がありながら、

すでに当時の状況やそのとき抱いた感情を、

鮮明に思い出せなくなっているのも確かです。

「忘れそうな自分」にカツを入れ、

「新たな災害に向けて」心を入れ替える意味でも、

今回の旅は非常に意義深かったような気がします。


過去との境目

2016-11-22 10:51:52 | 自然災害・参拝マナー

<石巻市>

 

今回、東日本大震災の被災地を訪れてみて感じたのは、

「もっと早く行けばよかった…」という後悔の念です。

これまで何度も震災の記事を書いておきながら、

「自分の目で見る」という判断をせずに、

6年近くの時間を費やしてしまいました。

今となれば、もう少し早く自分の目で見る努力をしていたら、

記事の内容も違ったものになったのではないかと思います。

 

「被災地に行く方法がわからない」

「観光気分では申し訳ない」などと、

現地への訪問をためらっている方もいらっしゃるはずです。

ただ、すでに多くの場所では、震災遺構が解体されたり、

更地に草が生い茂ったり、盛り土がされたりして、

すでに震災後の姿すらとどめていません。

 

このまま「復興」という名の陰に、

被災地の現状が隠れてしまえば、

とりわけ遠地に住む人々にとっては、

東日本大震災は確実に「過去のもの」になります。

災害から5年~という今の時期は、

「忘れるか忘れないか」の境目でもあるのですね。


被災地との縁

2016-11-21 10:49:50 | 自然災害・参拝マナー

<陸前高田市>

 

東日本大震災から今までの間、「その瞬間」の映像が、

TVやネットなど様々なメディアで流されてきました。

 

生き物のようにうねる津波の渦や、

成すすべもなく押し流されていく建物、

無言で立ち尽くしている人々の様子など、

カメラの前で起こったその非現実的な光景を、

今も多くの人が記憶の片隅に留めているはずです。

 

ただ、現地以外の人間にとっては、

どれもなじみの薄い場所の景色ばかりで、

その状況を具体的にイメージすることが

難しいのもまた事実かもしれません。

 

災害を防ぐため、災害を忘れないためには、

「現地との縁を結ぶ」のはひとつの策です。

一度でもその地を訪れ、自分の目で確かめることで、

これまで漫然と聞き流していた出来事が、

とたんに現実味を帯びてくるでしょう。


炙り出し

2016-11-20 10:46:19 | 東日本・三陸の神社

<大船渡・加茂神社 かもじんじゃ>

 

東日本大震災から5年の月日が経ち、

改めて被災地の神社に関する情報を集めていますと、

「震災後はじめてのお祭りが斎行された」

といった内容の記事に、たびたび出くわします。

 

色とりどりの大漁旗をはためかせながら、

意気揚々と海へと漕ぎ出していく漁船。

何もなくなったむき出しの大地を、

小さなお神輿を担いで歩く子どもたち。

そして一時的な社殿の移転により、

最後のご神事を執り行う氏子の方々…等々。

 

それらの写真を見ておりますと、

いかに「神社」という存在が、 地域の人々の心を支え、

安らぎの場所となっていたのかが、

ひしひしと伝わってまいります。

 

あえて言うなら、大地震と大津波という、

未曽有の自然災害が発生したことで、

本来の神社の姿が炙り出されたのでしょう。

 

信心深い東北の人たちのお膝元でさえ、

このような大きな試練が訪れたのです。

神社や自然への畏敬の念の薄れた場所が、

大災害に見舞われるのは必然なのかもしれません。


苦しみが生む優しさ

2016-11-19 10:42:37 | 東日本・三陸の神社

<大槌町・天照御祖神社 あまてらすみおやじんじゃ>

 

東日本大震災の巨大津波により、

甚大な被害が出た大槌町・吉里吉里で、

地域の氏神である天照御祖神社の宮司さんに、

当時の話をいくつか聞くことができました。

 

このあたりの家がすべて流されたことや、

多くの住民が中学校へ避難し助かったこと。

住宅地だけではなく海沿いもかさ上げすることや、

自慢の浜がきれいに整備されたので、

ぜひ見てもらいたいということ…等々。

 

そんな中、私が関東からやって来たと告げると、

「関東も水害で大変だったですね」と、

逆にこちらが気づかわれてしまいました。

 

これ以外にも、三陸の人との会話の最中には、

「この間の台風は大丈夫だったですか?」とか、

「関東も地震の影響で大変だったでしょう」…等々、

当たり前のように労りの言葉をかけられた印象があります。

 

極限の苦しみを体験した人間は、

誰よりも優しくなれると言いますが、

三陸の人たちと接しておりますと、

まさにそのことを実感する次第です。


違った目線

2016-11-18 10:41:04 | 東日本・三陸の神社

<大槌町・天照御祖神社 あまてらすみおやじんじゃ>

 

被災地以外の人間には、

少々想像しづらいかもしれませんが、

東日本大震災による津波で、

町全体が消失してしまった場所では、

盛り土による「かさ上げ工事」が

当たり前のように行われています。

 

これまでのように、堤防や防潮堤といった

「水の侵入を防ぐ対策」に力を入れるのではなく、

土地そのものを人工的にかさ上げすることで、

津波の被害をブロックするような計画が、

あちこちで進められているのです。

 

きっと数年後には、震災前とはまったく違った目線で、

故郷の町や海の景色を見下ろすことになるのでしょう。

大槌町・吉里吉里にある天照御祖神社の周りも、

つい最近、かさ上げ工事が終わり、

すでに何軒かのお宅が建築準備を始めていました。


短い参道の訳

2016-11-17 10:38:34 | 東日本・三陸の神社

<大槌町・天照御祖神社 あまてらすみおやじんじゃ>


海の近くまで続く平らな土地に囲まれた、

大槌町・吉里吉里の天照御祖神社は、

東日本大震災前まで高台に建てられていました。

ただし、別の場所から移動したわけではなく、

神社へと続く参道の入り口が、

今よりずっと低かったのです。

復興事業に伴うかさ上げ工事により、

階段の下半分の部分が埋め立てられ、

結果的に神社の標高は5m上がったと聞きます。

 

ちなみに、巨大津波が襲来した当時は、

高台にあった社殿への被害はほとんどなく、

その後は近くの中学校とともに、

近隣住民の避難所にもなったそうです。

「鎮守の森プロジェクト」の

紹介文の中にも書かれているように、

周りをぐるりと取り囲む鎮守の森が、

波の威力を抑える防災林の役目を果たしたのでしょう。


不可解な立地

2016-11-16 10:36:07 | 東日本・三陸の神社

<大槌町・天照御祖神社 あまてらすみおやじんじゃ>

 

「鎮守の森プロジェクト」の広告写真にも選ばれた、

大槌町・吉里吉里にある天照御祖神社の周りは、

国道を挟んで海の近くまで「平地」が続いています。

写真に添えられていた

「あの日、なぜ津波からこの神社は残ったか」

という広告タイトルからは、

鎮守の森に囲まれた高台の神社が、

津波の被害を免れたたくましい姿を想像しますが、

目の前にしたその神社は、拍子抜けするほど

標高の低い場所に建てられていました。

 

鳥居をくぐり短い参道を上がってみても、

この高さで津波を防げたとは到底思えません。

訝しく思いつつあたりを散策していると、

ちょうどひとりの男性が、

社務所から出てくるのが見えました。

声をかけてみたところ、

その方は天照御祖神社の宮司さんでした。

そして、神社の立地について尋ねる私に、

神社がなぜ「低地」に建てられているのか、

その理由を教えてくれたのです。