<引作の大楠 ひきづくりのおおぐす>
楠との深い縁を持つ民族学者・南方熊楠が、
神社合祀令による鎮守の杜の伐採に対し、
残りの生涯をかけて反対運動を起こしたのは、
「楠=自らの祖先」と知っていたからなのでしょう。
恐らく、海人族の血を受け継ぐ家系に生まれた熊楠は、
先祖の魂が宿る楠の巨木が強制的に伐採される様子に、
身を切られるような恐怖を感じたのだと思います。
楠の伐採という行為はつまり、
「先住民を追いやること」であり、
楠を祀る紀伊の海人族(名草戸畔・丹敷戸畔)と、
神武一行との交戦も、いわば楠を介した代理戦争です。
明治時代、和歌山県や三重県など、
楠信仰が根強く残る地域を中心に、
神社の統合や鎮守の杜の伐採が進められたのも、
何らかの見えない意図があったのかもしれません。