たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

代理戦争

2017-08-31 10:05:41 | 白山信仰・楠と白石

<引作の大楠 ひきづくりのおおぐす>

 

楠との深い縁を持つ民族学者・南方熊楠が、

神社合祀令による鎮守の杜の伐採に対し、

残りの生涯をかけて反対運動を起こしたのは、

「楠=自らの祖先」と知っていたからなのでしょう。

恐らく、海人族の血を受け継ぐ家系に生まれた熊楠は、

先祖の魂が宿る楠の巨木が強制的に伐採される様子に、

身を切られるような恐怖を感じたのだと思います。

 

楠の伐採という行為はつまり、

「先住民を追いやること」であり、

楠を祀る紀伊の海人族(名草戸畔・丹敷戸畔)と、

神武一行との交戦も、いわば楠を介した代理戦争です。

明治時代、和歌山県や三重県など、

楠信仰が根強く残る地域を中心に、

神社の統合や鎮守の杜の伐採が進められたのも、

何らかの見えない意図があったのかもしれません。


磯と伊勢

2017-08-30 10:00:55 | 白山信仰・楠と白石

<外宮 げぐう>

 

伊勢神宮のお膝元・伊勢市の周辺には、

楠をご神木とする神社が意外に多く、

神宮の別宮や125社と呼ばれる

神宮の末社などを訪ねますと、

大きな楠を目にする機会が間々あります。

熊野地方に近いエリアならまだしも、

熊野からは少々距離のある伊勢市内に、

楠の巨木が集中している理由は、

いったい何なのでしょうか。

 

外宮の神官だった度会氏の本拠地・度会郡は、

もともと「磯」という地名で呼ばれており、

氏神として度会氏一族がお祀りしていた外宮も、

当時「磯宮」という名称がつけられていました。

「磯」が伊勢に転訛したと言われるように、

伊勢には多くの渡来人(主に海人族)が移住し、

熊野と同様、聖域に楠を植樹したのでしょう。

「楠」のあるところというのはつまり、

海人族の信仰の拠点でもあったわけですね。


楠の伝言

2017-08-29 10:00:35 | 白山信仰・楠と白石

<曽根・飛鳥神社 そねあすかじんじゃ>

 

楠の植生エリアを追っている最中、

楠をご神木とする神社の多いエリアと、

神武東征(および南方からの渡来人)の軌跡とが、

ほぼ重なっていることに気づきました。

楠が自生し難い種類の樹木であることから考えても、

楠をご神木に選んだ地域の人々は、

最初から「神」として拝むために、

ある意図を持って植樹したのでしょう。

もしくは、渡来人の使用する楠船を見て、

他の樹木にはない「具体的な恩恵」

を感じ取ったのかもしれません。

 

ちなみに、全国の巨木ランキングを調査した結果、

その上位のほとんどが楠だったとも言われており、

特に幹回りの太さは他の樹木の比ではないようです。

もしかすると渡来人の叡智に共鳴した人々が、

すでに国土に自生していた樹木の中に、

同じ祖を持つ二つの部族の融合の証として、

「楠」の苗を植えたということも考えられます。

楠の姿を見るたびに、自らのツールを思い出し、

天から与えられた大切な役目を忘れないよう、

千年後に誕生する私たち子孫への

無言のメッセージを残したのでしょうか。


知恵と心

2017-08-28 10:18:20 | 白山信仰・楠と白石

<神戸神社 こうどじんじゃ>

 

三貴神のおひとりであるスサノオの命が、

ときには「天津神(天孫族)」として、

ときには「国津神(土着神)」として、

時代や場所により様々な顔を見せるのも、

長い年月にわたって続けられていた

古代イスラエル部族の「日本への帰還」が、

大きな影響を与えているような気がします。

古事記や日本書紀に描かれる

神武東征以前の神話時代の物語には、

これらの時期に起こった様々な出来事を、

比喩的に表現した話も多いのでしょう。

 

船玉への信仰や楠への信仰に関しても、

恐らく渡来人からもたらされたというより、

もともと土着の日本人の間で伝えられていた内容に、

渡来人の持つ「より具体的な知恵」が加味され、

次第に体系化して行ったのかもしれません。

多くの場合、他国の文化が流入すると、

その国の古い習慣やしきたりなどは、

すぐに駆逐されてしまうのものですが、

これほどたくさんの渡来人の痕跡を残しながらも、

日本人は未だに古い精神性を受け継いでいます。

 

古代ユダヤ人がもたらした「知恵」と、

古代日本人がすでに持っていた「心」とは、

とても親和性が強く馴染みやすかったのですね。


楠と石神

2017-08-27 10:12:12 | 白山信仰・楠と白石

<湯谷・石神神社 ゆのたにいしがみじんじゃ>

 

白石奉納の起原について調べを進めて行く中で、

船玉信仰や興玉神(猿田彦大神)の存在、

そして楠との関係があぶり出されて来ました。

恐らく、楠の木船(天鳥船・天磐船)に乗り、

紀伊半島に上陸した渡来人(興玉神・猿田彦)を、

「神」として崇めた経緯があったのでしょう。

優れた叡智と技術を兼ね備えた渡来人は、

先住民(日本人)が信仰していた名もなき神と、

同一視されるようになったのかもしれません。

 

八百万の神が住まう日本という国には、

「天津神(渡来系)」とも「国津神(土着系)」

とも判別できない神様が、たくさんいらっしゃいます。

もしかするとその多くは、神武天皇が即位する以前、

何百年以上もの期間をかけて日本に渡って来た

古代イスラエル人の影響を受けた可能性も大です。

熊野の神々を追いかけるうちに気づいたのは、

神様の名前に囚われ過ぎると、その向こうにある、

本当の日本の歴史を見誤るということでした。


クスノキ信仰

2017-08-26 10:39:35 | 白山信仰・楠と白石

<藤白神社 ふじしろじんじゃ>

 

熊野櫲樟日命(くまののくすびこのみこと)は、

記紀の誓約の件で、スサノオが天照太御神の八尺勾玉を

かみ砕いた後に誕生した五柱(日本書紀では六柱)

の神のうちの一柱です。熊野那智大社のご祭神である

熊野夫須美大神とも同一視される神様で、

その名称からもわかるように、クスノキ信仰との縁が深く、

南方熊楠の誕生秘話を伝える海南市の藤白神社にも、

熊野櫲樟日命が宿る巨大な楠のご神木が鎮座し、

子守楠神社として人々の崇敬を集めていました。

 

ちなみに、西日本を中心に分布している楠は、

その半数以上が神社仏閣の境内にあると聞きます。

楠は自然植生の森林ではほぼ生育しないと言われ、

文献が残る遥か以前に、中国南部や台湾などから

もたらされたという説もあるのだとか。

九州や四国、紀伊半島南部などの一帯には、

楠をご神木とする神社が多数存在しますが、

古代の人々が「自らの意思で」植樹をしなければ、

これほど楠のご神木は増えなかったのでしょう。


天鳥船命

2017-08-25 10:25:40 | 白山信仰・楠と白石

<藤白神社 ふじしろじんじゃ>

 

イザナギ・イザナミの神生みの際に生まれた

天鳥船命(あめのとりふねのみこと)は、

別名、鳥之石楠船神・天磐櫲樟船・天鳥磐櫲樟船とも言い、

日本書紀では双神が最初に生んだ蛭子(ひるこ)の大神を

海に流す際に登場する船の神様として知られています。

ちなみに「櫲樟(よしょう)」とは楠のことを指し、

「鳥磐櫲樟船(とりのいわくすぶね)」は、

鳥のように速く走り、岩のように堅固な楠で作った船、

という意味なのだとか。饒速日尊が天下る際に乗っていた、

天磐船(あめのいわふね)とも同一視される存在です。

 

天鳥船命の化身であるクスノキ(楠・樟・櫲)は、

古代から信仰の対象として、神聖視されていたのでしょう。

楠信仰が盛んだった紀伊半島の南部一帯では、

和歌山市付近を拠点にしていた名草戸畔(なぐさとべ)、

新宮市付近を拠点にしていた丹敷戸畔(にしきとべ)、

ともに楠を一族のトーテムとして崇拝していた痕跡があります。

また、その名に「楠」を抱く和歌山出身の天才・南方熊楠も、

両親が海南市の藤白神社にある、巨大な大楠のご神木に

願掛けをした結果、この世に誕生したそうです。


巨大な飛行船

2017-08-24 10:28:26 | 白山信仰・楠と白石

<船玉神社 ふなたまじんじゃ>

 

船霊の神が祀られている場所のひとつ、

海神の宮である住吉大社の摂社・船玉神社には、

住吉大神の荒魂として船霊の神が鎮座しておりました。

現在のご祭神に、天鳥船命・猿田彦命が

当てられていることから考えても、

船霊・白石・猿田彦、そして天鳥船は、

「海」「海人族」というキーワードを介して、

ひとつに集約されるのかもしれません。

 

ちなみに、船内に船霊をお祀りする際には、

男女一対の人形を用いるようですが、

これは恐らく、天鳥船命を生んだとされる、

イザナギ・イザナミを模したものでしょう。

古事記や日本書紀をはじめとする古い書物には、

空を飛ぶ船の話が驚くほどたくさん登場し、

そのどれもが「天皇」という存在の陰に

ぴったりと寄り添っています。

 

一説によりますと、縄文時代より遥か昔、

日本の国土上空では当たり前のように、

「巨大な飛行船」が行き交っていたそうです。

その後時代を経て、海を渡って日本へと

たどり着いた古代イスラエルからの渡来人は、

空飛ぶ大船にも似た「木船」とともに上陸し、

人々から「神」とあがめられたのかもしれません。


興玉神

2017-08-23 10:25:32 | 白山信仰・楠と白石

<椿大神社 つばきおおかみやしろ>

 

「興玉神」は猿田彦の別称とも言われており、

伊勢内宮のすぐそばには猿田彦神社が、

そして神宮の祓宮とも呼ばれる二見興玉神社にも、

主祭神として猿田彦命がお祀りされています。

また、伊勢国一宮である椿大神社のご祭神が、

猿田彦大神であることから考えても、

伊勢という地域と猿田彦神とが、

浅からぬ関係だということがわかるでしょう。

 

その昔、内宮一帯を支配していた

宇治土公氏(うじつちのきみ・うじとこし)は、

興玉神(猿田彦大神)をお祀りする氏族で、

伊雑宮を本拠地とする磯部氏の系列だと聞きます。

一説によりますと猿田彦は、神武東征が行われる以前、

古代ユダヤからやってきた渡来人だという話もあり、

興玉神(猿田彦大神)への信仰が、

海人族によってもたらされた可能性も否定できません。


船霊信仰

2017-08-22 10:16:36 | 白山信仰・楠と白石

<玉置神社 たまきじんじゃ>

 

神社の神域に敷かれた白い玉石には、

「船霊(ふなだま)」が宿ると言われています。

船霊(船玉・船魂)は航海の安全を司る神であり、

江戸時代~明治時代初期ごろの船内には、

必ず船霊様がお祀りされていたのだとか。

もともと紀の国の人々の間で祀られていたこの神は、

熊野修験者や熊野巫女などを介し、

全国に船霊信仰として広まったそうです。

 

船霊の神が祀られる場所として最も知られているのは、

その名もずばり「玉を置く」という名を持つ玉置神社ですが、

実は、白い玉石が敷かれた伊勢内宮の本殿近くにも、

興玉神(おきたまのかみ)と呼ばれる「石」が祀られています。

神宮のお祭りの中でも、特に大事なご神事の際には、

最初にお供物を捧げられるのがこの興玉神で、

伊勢神宮が創建される以前に祭祀されていた、

この地域の地主神だとも言われています。


死に石・生き石

2017-08-21 10:05:10 | 白山信仰・楠と白石

<高田・高倉神社 たかたたかくらじんじゃ>

 

ひと口に「白石」「玉石」と言いましても、

川の近辺であれば河原の石、海の近辺であれば海辺の石、

さらには山の麓では山頂の石といった具合に、

神社の立地条件によりその種類は異なるようです。

一般的には、伊勢神宮のお白石にも用いられる

「河原の石」を敷いた神社が目立ちますが、

お隣の熊野地方ではその多くが海石なのだとか。

 

実は、海石は死に石、川石は生き石と言われており、

伊勢神宮では川から採取した「生き石」を使います。

一方、熊野の神社で使用される石の多くは海の石で、

沿岸だけでなく海から離れた山奥の神社などでも、

熊野灘の石が奉納されている光景をよく目にしました。

海の石、川の石という些細な差ひとつとっても、

伊勢と熊野という二つの土地の立ち位置を

明確にあらわしているような気がします。


神様の御玉

2017-08-20 10:02:09 | 白山信仰・楠と白石

<内宮 ないくう>

 

伊勢神宮の入り口にある鳥居をくぐり、

「玉砂利」が敷き詰められた参道を歩いて行くと、

たくさんの白石が置かれたご正宮前にたどり着きます。

その奥にある御垣内を参拝する際には、

一面に白石が敷かれた庭をゆっくりと歩き、

ご神前に進み出るのが神宮の参拝形式です。

 

海外の人などは「なぜわざわざ石を並べるの?」と

不思議に思われると聞きますが、

玉砂利の上を歩くときの「ザクザク」という音。

そして、白石の上を歩くときの「ゴロゴロ」という音。

どちらも神様の「御霊(御玉)」が触れる音により、

参拝者の心身が清められて行くからなのでしょう。

 

ちょっとバランスを崩しただけでも、

足を取られそうになる石の道では、

無意識にゆっくりと足元を確認しながら、

「無心で」歩くような形になります。

神社参拝で最も重要視すべきなのは、

「神前に向かうまでの道」であると言われるほど、

玉砂利、そして白石の上を歩く時間は貴重なのですね。


祓いの効果

2017-08-19 13:00:05 | 白山信仰・楠と白石

<風宮 かぜのみや>

 

「白石を置く風習」と聞いて思い浮かぶのは、

伊勢神宮の御垣内に敷かれた白い玉石です。

2013年の式年遷宮の折、新たな正殿の敷地に、

白い石を敷き詰めるお白石持行事が行われましたが、

上賀茂・下鴨神社などをはじめとする他の神社でも、

式年遷宮や年中行事の日程に合わせて、

境内の白石を置き換えたり、

玉石をきれいにしたり といった作業が、

あちこちで執り行われたと聞きます。

 

これまでの記事でも幾度となく、

「石は貯める性質を持つ」と書いてきたように、

長年参拝者の足元に敷かれていた白石には、

様々な祈願の磁気が蓄積しているのでしょう。

一定の期間をおいて新しい石に交換することで、

境内に留まる様々な念をリセットし、

「祓いの効果」を高める狙いがあるのかもしれません。


白石信仰

2017-08-18 22:15:00 | 白山信仰・楠と白石

 

<熊野灘>

 

熊野の無社殿神社を巡っている最中、

多くの神社の神域に「白い玉石」が

敷かれていることが気になりました。

「石」や「岩」に対する信仰は、

この地の特徴のひとつではありますが、

本殿前や祭祀場の跡と思われる一角など、

神社の中でも特に神聖とされる場所には、

当然のごとくすべすべとした白石が奉納されており、

熊野の一帯でこのような光景を目にする割合は、

東日本の神社と比較してもかなり高めです。

 

白玉石と呼ばれるこれらの浜石は、

同じ紀伊半島南部の沿岸地域でも、

白浜から串本の間ではあまり見られず、

串本から三重県にかけて伸びる

熊野灘沿岸の浜辺に多く打ち上げられるとのこと。

そのため、白玉石の風習は熊野の東エリアに集中し、

熊野灘沿いに鎮座する熊野三山のひとつ、

熊野速玉大社の「はやたま」という名称も、

玉石信仰から来ていると言われております。


余計なエゴ

2017-08-17 09:55:00 | 神社について

<静川・高倉神社 しずかわたかくらじんじゃ>

 

これから日本に訪れるであろう

様々な試練を乗り越えるためには、

日本人が神社の存在意義を見直すことと、

全国各地の神社を存続することが必要です。

現在、地域の神社をお守りしていた人たちが、

高齢化でその役目を担えなくなっており、

旅行先であちこちの神社を訪れるたびに、

「大切な場所」が寂れて行く姿を目にします。

 

縁ある人たちが、縁ある神社を訪れて、

「静かに」感謝の気持ちを捧げることは、

少なからず地域の未来に影響するのでしょう。

私たちが、神社や聖域をお参りする際には、

パフォーマンスなど必要なく、ただひっそりと

心の中で神への感謝を捧げることが最善です。

神域で特別なことをしようと思うその心が、

神様にとっては「余計なエゴ」なのですね。