たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

おはらい町

2014-12-31 14:03:04 | 歴史・神話・旅・風景

<おはらい町 おはらいまち>

 

神宮参詣者の多くが立ち寄るおはらい町。

江戸時代に、参詣者の案内役である

御師(おし/おんし)と呼ばれる人々が、

この通りで客人をお祓いや神楽でもてなしたことから、

「おはらい町」と呼ばれるようになったそうです。

 

一時は集客数も落ち込み、

かなり寂れてしまいましたが、

昨年の式年遷宮に合わせ、

店舗の改築や新規出店が相次ぎ、

今では伊勢を代表する観光スポットになりました。

 

門前町という場所は、

神域に立ち入る前に日常の垢を落とし、

また神域から出た後に、

世俗の空気に触れ日常を取り戻す場所。

昔の人たちが見ていた光景や感じていた思いを想像し、

心身を祓い清めるつもりでおはらい町を歩くと、

ひと味違ったお伊勢参りになるかもしれませんよ


古さと新しさ

2014-12-30 13:43:53 | 伊勢神宮

 

<伊雑宮 いざわのみや/ いぞうぐう>

 

遷宮後の古いお宮は順次取り壊され、

境内の鳥居や全国の神社の木材として、

再利用されるのが習わしです。

すでに遷宮を終えた内宮・外宮などは、

取り壊され更地になっている場所も多いのですが、

先日伊勢を訪れた際には、

伊雑宮(いざわのみや)と風日祈宮(かざひのみのみや)で、

新しいお宮と古いお宮とが並び立っておりました。

 

新しいものを手に入れたとたん、

古いものへの興味が失せるように、

私たちはどうしても目新しさばかりを追い求めがち。

ただ、お役目を終えた古いお宮には、

年数を重ねた建物にしか出せない

深い味わいがあるものです。

新旧二つのお宮を眺めておりますと、

「古さと新しさ」のバランスの大切をひしひしと感じます。


蘇る国

2014-12-29 12:36:21 | 歴史・神話・旅・風景

月讀宮 つみよみのみや>

 

22日は「朔旦冬至(さくたんとうじ)」

と呼ばれる珍しい1日でした。

言うなれば、太陽の蘇りと月の蘇りが、

同時に行われた日でして、

昨年は太陽(陽)の象徴である伊勢と、

月(陰)の象徴でもある出雲で遷宮が行われるなど、

立て続けに陰陽の蘇りの時期が重なっております。

 

冬至や節分などの暦の節目が、

心身の浄化を促すように、

私たちは知らず知らずのうちに、

死と再生を繰り返しながら生きています。

自然に寄りそいながら日々の生活を送り、

何千年にも渡り蘇りの神事を続ける日本人。

私たちは「蘇る国」で暮らしているのですね。


新しさの感覚

2014-12-28 12:17:05 | 伊勢神宮

<瀧原宮 たきはらのみや>

 

昨年より、伊勢神宮にて行われている式年遷宮というお祭りは、

「常若の思想」が根底にあるといわれております。

なぜ、膨大な費用をかけてお宮を建て替えるのか、

なぜ、20年に一度と定められているのか…等々、

式年遷宮という不思議な習わしには、

様々な意味が含まれているようですが、

実際に新しくなったお宮を目の前にすると、

「なるほど、こういうことか」と一目瞭然で納得するもの。

 

素木が放つ神々しい輝き、

あたりに漂う清々しい檜の香り、

真っ白な御幌(みとばり)のはためく音…、

五感全体で捉える「新しさ」の感覚こそが、

私たちに瑞々しい力を与えてくれるのでしょう。


別宮の遷宮

2014-12-27 21:19:12 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<倭姫宮 やまとひめみや>

 

先日、年末恒例のお伊勢参りに出かけました。

冬至から年末にかけての伊勢には、

他の時期にはない独特の雰囲気があるもの。

一年を締めくくる心地よい緊張感と、

新たな年を迎える華やいだ空気が同居し、

「今年も無事にお参りできてよかった」と、

心の底から安堵感がわきあがってまいります。

 

昨年10月の内宮・外宮の遷宮後、

今年から来年にかけては、

別宮の遷宮が相次ぎ、

年末までに瀧原宮・月読宮・倭姫宮・伊雑宮などが、

新しいお宮に生まれ変わりました。

ただ実際に、

素木の輝きがまぶしいお宮に参拝できるのは、

二ヶ月~三ヶ月程度です。

来年の3月まで、

別宮の遷宮関連の儀式が続きますので、

お時間がある方はぜひ訪れてみてください。


無垢な信仰心

2014-12-26 00:06:06 | 歴史・神話・旅・風景

<相模湾 さがみわん>

 

冬至祭に象徴されるように、

地球上に存在する様々な宗教の核を成しているのが、

「太陽」への信仰です。

神道では天照太御神、仏教では大日如来、

ギリシア神話のヘリオス、エジプト神話のラー…などなど。

 

今、世界各地で起きている紛争の背景には、

宗教や信仰が深く関わっています。

元は同じもの(太陽)を崇拝しているにも関わらず、

なぜこのような問題が起きてしまうのか…。

人間が太陽への無垢な信仰心を取り戻したとき、

きっと無為な争いもなくなるのでしょう。


三位一体

2014-12-25 00:05:05 | 歴史・神話・旅・風景

<都内のカフェ>

 

クリスマスツリーは旧約聖書に登場する、

「知恵の樹」を模したもので、

生命の象徴であるとされております。

クリスマスの原型となったお祭では、

元々樫の木を使用していましたが、

キリスト教への改宗の際に、

モミの木に変わったのだとか。

 

横から見ると三角形の形をしているモミの木は、

頂点が神、底の左が子ども、底の右が精霊という

「三位一体(さんみいったい)」を表しているそう。

そんなことを考えながら、

クリスマスというイベントを楽しむと、

また違った味わいがありそうですね。

 

【三位一体とは】

ひとつの神が三つの姿となってあらわれること、

ひとつの側面には三つの意味があることの例え。


クリスマスの原型

2014-12-24 00:04:04 | 歴史・神話・旅・風景

<都内のデパート>

 

クリスマスというのは、

古くから12月25日に行われていた、

いくつかのお祭りが原型にあるといわれております。

ひとつは古代ゲルマン民族のユール、

もうひとつは古代ローマのミトラ教の冬至祭、

さらには農耕神を祝うサトゥルナーリア祭。

どれも広い意味で「太陽の復活を祝うお祭り」でして、

北欧では今でもクリスマスをユールと呼ぶのだそう。 


一般的には「クリスマス=キリストの誕生日」 と認識されておりますが、

実は正確な記録はなく、

この太陽復活の日である12月25日を、

「キリストの降誕を祝う日」として定めたとのこと。 

いずれにせよ民族や宗教が違っても、

太陽への信仰というのは、

人類共通の普遍の思いなのかもしれません。


天皇誕生日

2014-12-23 16:35:00 | 歴史・神話・旅・風景

<皇居外苑 こうきょがいえん>

 

本日は天皇誕生日ですね。

一般参賀には参列したことがないのですが、

TVのニュースなどで、日の丸を振りながら、

天皇の誕生日を祝う人たちの姿を見ておりますと、

「日本はまだまだ大丈夫」と安心するもの。

日本人の心の中に、天皇陛下への敬意があれば、

どんな国難も必ず乗り越えて行けるでしょう。

 

天皇がお住まいになられている皇居には、

宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)と呼ばれる場所があり、

日々国家安泰と国民の安寧を祈るご神事が行われております。

私自身、都心を訪れた際は皇居まで足を伸ばし、

お堀の前で手を合わせて遥拝するのが習わし。

天皇誕生日の直前の空には、

まるでこの日を祝うかのような、

美しい光と雲の共演が見られました。


朔旦冬至

2014-12-22 11:12:11 | 歴史・神話・旅・風景

<今朝の氏神 うじがみ>

 

本日12月22日は「朔旦冬至(さくたんとうじ)」です。

朔旦冬至とは、冬至と新月とが重なる

19年に一度しか訪れない珍しい日でして、

その昔は国家の弥栄を願い、盛大な祝宴を催したそう。

伊勢神宮の式年遷宮の仕組みができたのも、

この「朔旦冬至がきっかけだった」という説もあります。


冬至が太陽が蘇る日ならば、

新月というのは月が蘇る日。

陰陽の復活が重なる今日のよき日を、

この国に住むすべての人たちが、

「おめでたい気分で」過ごせたなら、

ますます日本はすばらしい国になるのでしょう。


太陽信仰

2014-12-21 22:02:02 | 歴史・神話・旅・風景

<伊弉諾神宮 いざなぎじんぐう> 

 

神社(聖地)と太陽の関係は、

切っても切れないものでして、

全国各地の神社(聖地)には、

太陽の軌道を意識したと思われる

「仕掛け」がたくさん施されております。

 

有名なところでは、

上総一ノ宮から富士山を経由し出雲に向かう「ご来光の道」や、

淡路島から三輪山を経由し伊勢に向かう「太陽の道」…等々。

春分、秋分、冬至、夏至といった太陽の特異日に、

名だたる神社や聖地の上を、

寸分の狂いもなく太陽が過ぎていく様を想像すると、

古代より「太陽信仰」というものが、

人々の心の拠り所となっていたことがよくわかります。

 

このように太陽軌道を基に作られた場所や仕掛けは、

伊勢や出雲などのメジャーな聖地だけでなく、

日本のあちこちに存在しているもの。

近所の神社を訪れる際も、

「太陽」を心に思い描きながら手を合わせることで、

より意義深い参拝になるかもしれませんね。

 

<元伊勢内宮皇大神社 もといせないくうこうたいじんじゃ>


一陽来復

2014-12-20 22:46:30 | 伊勢神宮

 <伊勢神宮 宇治橋 うじばし>

 

明後日の22日は冬至です。

冬至は「一陽来復(いちようらいふく)」

という言葉に示されるように、

陰の気が極まり陽の気に入れ替わる一日。

この日を境に、昼の時間がどんどん長くなり、

太陽の力が勢いを増すと言われております。

 

伊勢神宮では、

内宮の宇治橋にかかる鳥居の真中から朝日が昇り、

冬至の早朝は大勢の見学者で賑わうのが常。

また正面の駐車場では、

毎年観光協会主催の「冬至祭」が開かれ、

冬至ぜんざいが無料で振る舞われます。

 

私も過去に何度か、

宇治橋の向こうの山から昇る冬至の太陽を拝みました。

その天照太御神を思わせる神々しい輝きと、

一瞬にしてその場を包みこむ暖かな空気は、

実際にその場に立って初めて感じられるもの。

お時間のある方は、ぜひ訪れてみてください。

 


ペットとの参拝

2014-12-19 18:22:44 | 自然災害・参拝マナー

<伊勢神宮 宇治橋 うじばし>

* のら猫も鳥居の外を通ります *

 

ときどきペットを連れて、

神社参拝をする人を見かけます。

聞くところによりますと最近では、

「ペット同伴可」の神社もあるそう。

もちろん、神様に仕えるご神馬や鶏などの生き物、

自然に住みついた小動物などは別ですが、

「人間側の都合で」神域に動物を入れるのは、

極力避けたいもの。

動物の糞を放置したり、

動物がお社を汚したりすれば、

やはり飼い主にはよい影響がありません。

 

神社というのは、私たちが思う以上に、

運気に対し繊細な作用を及ぼす場所であり、

また神域に立ち入るためには、

それ相応のルールが存在します。

昨今、荒れた神社が増えているのは、

間違いなく人間側の驕りが原因でしょう。


不敬な行為

2014-12-18 15:05:35 | 自然災害・参拝マナー

<富士山 ふじさん>

 

ここ最近、神域(人が入ってはいけない場所)を、

一般向けに開放する神社が増えてきました。

私自身、神社に対する知識が欠けていた頃は、

珍しさと好奇心ゆえに、

こういった場所に立ち入ってしまった経験が何度かあり…。

ただ、自分の不敬な行為を猛省してからは、

ご神体の山はもちろん、

神社側が正式に許可しているエリアにも、

不用意に近寄らないよう肝に銘じております。

 

古来より何百年、何千年と続いている言い伝えには、

守らなければならない重要な意味が隠されているもの。

現代人の一方的な利益を優先すると、

結局は私たちにそのツケが回ってきます。

日本という神様の国に住んでいるということは、

それだけあちこちに、

立ち入ってはいけない場所があるということです。

神社や聖域を守るためにも、

安易な行動は控えたほうがよいのかもしれませんね。


禁足地

2014-12-17 21:30:02 | 自然災害・参拝マナー

<三輪山 みわやま>


日本人は古来より、

山・木・石・滝…など自然物の中に神を見出し、

自然そのものに感謝の気持ちを捧げてきました。

私たちが普段お参りしている神社のお社は、

ただ単に神様に向き合う際の目印であり、

本当に大切なのはその周りにある清浄な自然です。


ではなぜ、お社などの人工物を作るようになったかというと、

人間が直接、鎮守の森やご神体である山に入ることで、

聖域の気が乱され、精霊や神様が近寄れなくなるから。

神様と人間との境界線を明確にし、

神域を清浄に保つために、

遥拝の場(お社)が設けられたのですね。


神様の領域に入ったからといって、

運気が上がるわけでも、

願いが叶うわけでもなく…。

逆に不敬な行為や邪な心があれば、

不運を呼ぶ結果になるでしょう。

私たち現代人は、人間のエゴを優先するあまり、

神様への謙虚さを失っているのかもしれません。