たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

心動かされる里

2017-04-30 13:50:40 | 熊野の神社

<那智勝浦町・口色川地区>

 

 ***** 熊野の神社2 *****

世界遺産でもある熊野那智大社の近くに、

那智勝浦町・口色川という地区があります。

周囲を険しい山々に囲まれたこの山間集落は、

2011年の紀伊半島豪雨による被害が大きかった場所で、

犠牲者こそ出なかったものの、50戸ほどの住宅のうち、

半数近くが土石流のために被災したそうです。

 

今回の旅では、長い山道を登った先に、

突如として出現する小さな集落に、

幾度となく心を動かされたわけですが、

こちらの那智勝浦・口色川地区も、

その桃源郷のような光景が視界に入ったとたん、

思わず車を降りて見入ってしまった場所でした。

 

新聞社の主催する「にほんの里100選」

にも選ばれたこの山深い地区は、

熊野の他の山間部に比べると、

より「人の息づかい」が強く感じられ、

至るところで人々の活気が伝わってきます。

そして、この集落に入る手前の県道沿いにも、

清らかな神域を持つ元無社殿神社があるのです。


スサノオの戒め

2017-04-29 10:30:05 |  無社殿神社2

<池野山・八坂神社 いけのやまやさかじんじゃ>

 

池野山・八坂神社は、前回訪問した

近隣の神戸神社との縁が深い場所です。

実は神戸(こうど)という呼び方も、

スサノオの命の別名とされる

牛頭天皇の「頭(こうべ)」から

来ているのではないかという話があり、

この近隣一帯に早くから「スサノオ信仰」

が根付いていたことがわかります。

 

熊野地域の無社殿神社には、

「鳥居を建ててはいけない」

「社殿を作ったら火事になる」などの

言い伝えが残るところも多いのですが、

それらの伝承の中には、

古代の自然信仰を司るスサノオが残した、

「人工物でなく自然を拝め」という

人間への強い戒めが含まれているのでしょう。

 

様々な形態の無社殿神社を巡っていますと、

「●●がなければもっといいのに…」

と思うような聖域が、少なからず見受けられます。

中には強い信仰心がアダとなり、禁忌を冒して、

人工物を置いたケースもあるようです。

鳥居や社殿などがなくても、当たり前のように、

目の前の自然に手を合わせられる人が増えれば、

神社の風情も変わって行くのかもしれません。


先取りの場所

2017-04-28 10:27:21 |  無社殿神社2

<池野山・八坂神社 いけのやまやさかじんじゃ>

 

昔、異国からやってきた文化や信仰の多くは、

「川筋に沿って遡上した」と言われております。

もちろん、山師や修験者などの介在により、

山脈を使うルートも存在したはずですから、

全部がそうとは言い切れませんが、

神社を参拝しながら川を遡って行きますと、

河口に近いところの神社ほど「現代的」で、

河口から遠いところの神社ほど「原始的」という、

およその図式が見えてくるのもまた事実です。

 

古来より「森」「樹木」「岩」「川」など、

自然界のすべてのものに宿る神として、

古代信仰(縄文信仰)の核を成してきたのは、

スサノオでありその大元の国常立大神であり、

熊野の人々がお守りする「矢倉の神」でした。

ただし、この地域でスサノオの名を

ご祭神として前面に出すようになったのは、

それほど昔のことではないのかもしれません。

ご祭神にスサノオの名を当てた池野山・八坂神社は、

いち早く文化を先取りした場所だったのでしょう。


最新の文化

2017-04-27 10:22:04 |  無社殿神社2

<池野山・八坂神社 いけのやまやさかじんじゃ>

 

宇津木・矢倉神社から南に下ってすぐのところに、

古座川町の池野山という集落があります。

その昔「矢倉明神森」と呼ばれていた、

この地区の氏神である八坂神社も、

もともとは樹木をご神体とした、

自然崇拝の場所だったのでしょう。

社殿の背後の鎮守の森は、貴重なシダ類が自生し、

古座川町の天然記念物に指定されているそうです。

 

山の斜面に建てられた小さなご本殿の中には、

神社のご神体だと思われる、しめ縄がかけられた

岩か木の切り株のようなものが置かれていました。

ご祭神にスサノオの名が充てられていることや、

獅子舞が伝承されていることなどから察するに、

この神社のある一帯は、他所よりも早く、

「最新の文化」に染まっていたのかもしれません。


神様目線

2017-04-26 10:13:21 |  無社殿神社2

<宇津木・矢倉神社 うつぎやぐらじんじゃ>

 

たくさんの無社殿神社を参拝するうちに、

いつの間にか人間目線ではなく「神様目線」で、

空間をとらえる癖がついたような気がします。

私たちが神社を訪れると、

まずは社殿に向かって願い事を唱えたり、

ご神体に向かって手を合わせたりしますが、

これといった目印のない無社殿神社では、

自動的に周囲をグルっと見渡すことになり、

意図せず祭壇のほうから集落を眺めるという、

逆目線の景色を目にする機会も増えるのです。

 

そうこうしている中ふと思ったのは、

神域から見た人里の眺めの様相が、

その土地の人々の生活に、

深く影響しているのではないかということで、

祭壇から見た集落の雰囲気がよいところほど、

やはり心地よい空気が漂っていると感じます。

神社をお参りするということは、

人間が神様に気持ちを伝えるだけでなく、

「神様の気持ちを受け取る」という

真逆の意図もあるのかもしれません。


守るべき距離感

2017-04-25 10:07:15 |  無社殿神社2

<宇津木・矢倉神社 うつぎやぐらじんじゃ>

 

本来神社というのは、

「神様と人」とが着かず離れずの距離感で、

共存できる場所に作られるのが最善だと思います。

神様の住処である山と、人間の住処である集落の

ちょうど境目のあたりに位置する地域の氏神は、

その土地に住む人々が神社を守るだけでなく、

神様の側からも人々を見守ることができるため、

お互いの存在を意識しながら生活できるのです。

 

もちろん、山頂や人里離れた場所にある神社が、

よくないというわけではありませんが、

修験道などによって山が開かれる以前、

日本に根づいていた古い信仰というのは、

未開の自然の中に分け入ることや、

力のある自然物を拝むことではなく、

「今いる場所から」目の前にある自然に

手を合わせることだけだったのでしょう。

 

人と神とが寄り添うような形で置かれた

熊野地方の無社殿神社の姿を見ておりますと、

私たちが守るべき「人と神との距離感」を、

無言で教えられたような気がしました。


犬が守る神社

2017-04-24 10:06:45 |  無社殿神社2

<宇津木・矢倉神社 うつぎやぐらじんじゃ>

 

「その先の道を山のほうへと曲がるとな、

犬がワンワンと吠えるからすぐにわかる」

「そうやな、あの犬はワンワンと吠えるわな」

「ワンワンと吠えたらその近くにあるわ」…と、

何ともローカル色満載の説明をしてくれた、

ふたりの地元のおばさんの道案内に従い、

神社(というより犬)を目指してほどなく、

ワンワンと吠えられるよりも先に、

あっさりと神社の入り口を発見しました。

 

宇津木・矢倉神社は、滝の拝・矢倉神社と同様、

「紀伊続風土記」への記載がないそうですが、

その姿はまさしく「矢倉神社」そのものです。

山の麓に作られた石の祭壇と二基の灯篭以外に、

余計なものは何ひとつなく、祭壇の裏手には、

石垣が張り巡らされた広場が作られています。

細い木々の隙間からは集落の家々がのぞき、

神様と人間とが適度な距離感で

見守り合っている様子がよくわかりました。


ローカルな道案内

2017-04-23 10:52:52 |  無社殿神社2

<古座川・宇津木地区>

 

国道371号線を古座川町の中心部のほうへと戻り、

洞尾・滝の拝の両矢倉神社を

再訪したのちに向かったのは、

宇津木という集落にある矢倉神社です。

この神社は、かなりわかりにく場所にあるため、

探索に時間がかかることを覚悟していたのですが、

地元の方の何とも的確?な説明により、

予想より早くたどり着くことができました。

 

ちなみに宇津木地区のあたりで、

地元の方に「矢倉神社」の場所を聞いた際にも、

一瞬「?」という顔をされたところを見ると、

やはりこの一帯では「矢倉さん」

という呼び方のほうが一般的なのかもしれません。

そのとき道を尋ねたふたりのおばさんは、

口々に「何にもないよ」と謙遜したのですが、

私が「何もなくても大丈夫です」と力強く答えると、

とてもシンプルに?神社への道を教えてくれました。


美しい社殿

2017-04-22 10:37:22 |  無社殿神社2

<真砂・宝山神社 *まなごほうざんじんじゃ>

 

今は美しい社殿を持つ、真砂・宝山神社も、

もともとは「宝山明神社」と呼ばれる

無社殿神社のひとつだったと聞きます。

現在、社殿が作られている小高い丘の頂上を

ご神体としていたとするならば、

その昔は長い石段の下から、

山に向かって遥拝していたのでしょう。

もしかすると、鳥居の脇に置かれた丸石は、

当時の祭壇の位置を示しているのかもしれません。

 

「社殿」という人工物を作ることで、

人々はそれ自体が神様だと思い込むようになり、

本当のご神体である山や森そのものに、

無遠慮に足を踏み入れるようになりました。

山の上に神社を作るようになったのは、

ごく最近のことで、今も無社殿神社の多くは、

「山と平地との境目」に置かれています。

神様への信仰の厚さがかえって、

神様との距離を生んでしまっているのですね。


聖域の彩り

2017-04-21 10:33:41 |  無社殿神社2

<真砂・宝山神社 *まなごほうざんじんじゃ> 

 

人の気配も生活の「彩」も無くした廃村で、

その朱の鳥居はひときわ強い存在感を発し、

そばでは聖域の「生」を象徴するかのように、

可憐な梅の花が咲きほころんでいました。

鳥居の脇には、サッカーボールほどの

大きさの丸石が無造作に置かれており、

地元の人以外は滅多に訪れないこの山深い里でも、

熊野特有の信仰が息づいていることを教えてくれます。

 

鳥居の向こうには、薄く苔を纏った急な石段が

小高い丘の上へと太鼓橋のように続き、

社殿はおろか空しか見えない状態です。

ところどころで呼吸を整えながら、

波打つように積み上げられた階段を、

神様の頂へと足を進めて行くと、

ほどなく頭上から覆いかぶさるように鎮座する

色彩豊かな本殿が見えてきました。


呼吸をする場所

2017-04-20 10:31:31 |  無社殿神社2

<真砂・宝山神社 *まなごほうざんじんじゃ> 

 

宝山神社があるのは、古座川・真砂地区の

すでに廃村となった集落の中心部です。

山の斜面にへばりつくようにして作られた

自然石の階段を一気に上がっていくと、

一目で無人とわかる寂れた集落に入りました。

主が住んでいた頃の家財道具が残る、

荒れ果てた民家の脇を通り抜け、

さらに奥へと足を進めた先に見えてきたのは、

楚々とした佇まいの朱の鳥居です。

 

引き寄せられるように近づいてみれば、

そこは廃村の神社とは思えないほど、

掃除の行き届いた清潔な神域がありました。

苔むした石段には落ち葉ひとつなく、

鳥居の周りもきれいに掃き清められており、

一見して地元の人たちの手で、

手厚く守られていることがわかります。

 

このように土地に暮らす人々の努力により、

大切にお祀りされている神社を目の前にしますと、

「人がいてこそ神社が成り立つ」という真実が、

はっきりと理解できるのです。

周囲を廃墟に囲まれる中、

小高い山の周辺の一角だけが、

命を宿すかように静かに呼吸をしていました。


繁栄の面影

2017-04-19 10:28:44 |  無社殿神社2

<真砂・宝山神社 *まなごほうざんじんじゃ> 

 

峯の山の麓から、371号をさらに北上し、

前回訪れた洞尾という地区を通り過ぎて、

10分ほど車を走らせた先に、

「真砂」という集落が見えてまいります。

七川ダム湖の手前にあるこの小さな里は、

昭和初期には、約150軒の民家が軒を連ねる

古座川上流随一の集落で、銀行や小学校、

床屋や映画館などもあったということです。

 

その当時は、「真砂舟(まなごぶね)」

と呼ばれる全長約8m、幅1.2mほどの川舟が、

帆を揚げ船団を組んで古座川を往来するなど、

流域でも指折りの物流拠点だったそうですが、

今では川筋に10軒ほどのお宅が残るのみで、

村の中心部だった場所はすでに廃村となり、

主のいなくなったいくつかの廃墟が、

賑やかだった頃の名残を伝えていました。


不思議な天気

2017-04-18 16:28:00 |  無社殿神社2

 

<古座川・立合地区>

 

***** 無社殿神社4 *****

数か月ぶりに熊野を訪れたその日は、

朝から晴天が続いていたにも関わらず、

なぜか終日、小雨が降り注ぐという、

とても不思議な天気に見舞われました。

田並・矢倉神社からいったん海沿いへと戻り、

串本町の市街地に差し掛かる手前で、

371号線へと進路を変えてたどり着いたのは、

思い出深い古座川・峯集落への入り口です。

 

今回、峯・矢倉神社への参拝は見送ったのですが、

「せっかくここまで来たのだから」と、

麓の集落に立ち寄り山を遥拝してまいりました。

あとで地元の人に聞いたところによりますと、

この日の早朝、近辺では雪が舞ったそうで、

一日を通しての目まぐるしい天候の変化に、

「滅多にないこと」だと驚いたと聞きます。

 

古座川の川面を照らす太陽のきらめきと、

細かな雨粒が絶え間なく視界を横切る中、

橋の向こうにある深い森のさらにその先で、

峯ノ山は静かに春の訪れを待っていました。


飾り気のない神社

2017-04-17 10:34:40 |  無社殿神社2

<田並・矢倉神社 たなみやぐらじんじゃ>

 

山の裾野にひっそりと鎮座する田並・矢倉神社は、

前回、今回と巡ってきた無社殿神社の中でも、

とりわけ質素な雰囲気の場所でした。

社殿はもちろん、いくつかの神社で見かけた、

城壁を思わせる二重、三重の石垣もなく、

ただただ山と平地との境目に、

二基の灯篭と低い祭壇が置かれているだけです。

 

ちなみに田並・矢倉神社も、明治の神社合祀令により、

近隣の天満神社に一時期合祀されましたが、

ほどなく元の場所に神様が戻ってきたと聞きます。

11月の例祭では、湯立て神事と呼ばれる行事が行われ、

「熱湯に浸した笹の葉を頭上で振る」という、

非常に素朴な無病息災の儀式もあるそうです。

 

お祭りすら行われなくなった無社殿神社も多い中、

ここでは地元の人たちの手で行事が続けられています。

シンプルで飾り気のないご神事の様子と、

シンプルで飾り気のないご神域の雰囲気が、

日本人の信仰と、古代の無社殿神社の有り様を、

今に伝えてくれているような気がしました。


昔話のひとコマ

2017-04-16 10:24:54 |  無社殿神社2

<田並・矢倉神社 たなみやぐらじんじゃ>

 

串本町・田並上の無社殿神社を探すべく、

集落のあちこちを探索してみたものの、

熊野の地に入ったばかりで土地勘が鈍っているせいか、

いつものように「神社臭」を嗅ぎ分けられません。

道に迷うたびに、地元の方に行き方を教えてもらい、

あれこれと周囲を歩き回ってはみたものの、

まるで突破口のない状況が続きます。

今振り返ってみても、今回の旅はひたすら

「人に聞くこと」の繰り返しでした。

 

まるで昔話のひとコマのように次々とあらわれる、

4人のお年寄りたちのバトンリレーを経て、

ようやくたどり着いた矢倉神社(矢倉さん)は、

集落と山との境目にある簡素な佇まいの神社でした。

麓の広場から舗装された狭い道を山のほうへと向かうと、

すぐにコの字型に並べられた石垣が見えてきます。

祭壇の中央には、塗装が剥がれた貯金箱と榊立て、

そして一本の御幣と丸い手向け石が置かれ、

この場所が確かに祭祀の場であることを示していました。