たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

真剣な思い

2017-03-31 10:03:39 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

すさみ町・太間川にあるふたつの矢倉神社も、

明治時代の神社合祀政策により、

一時的に別の神社へと遷されました。

その後、合祀された神社に掛け合い、

元の場所へと神様をお戻ししたそうですが、

そのとき地元の長老たちは、

古事記の天岩戸神話に登場する

常世之長鳴鳥(とこよのながなきどり)

の発声をまねて、遷座を執り行ったと聞きます。

 

伊勢神宮の遷御の儀でも話題になった、

「カケコー」という長鳴鳥の鳴き真似は、

神様をこの地に呼び戻すための

大切な「音」でもあったのでしょう。

現代の常識からすると、神様の移動など、

何とも非現実的な行為のように思えますが、

昔の人々の「神様に対する思い」は、

私たちが考える以上に真剣なものだったのです。


堅牢な石積み

2017-03-30 10:03:01 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

下村・矢倉神社でまず印象的だったのが、

ご神体の山を取り囲む堅牢な石積みでした。

曲がりくねった石段の先にある境内にも、

しっかりとした造りの二重の石垣が、

城郭のように組み上げられており、

丁寧に積まれた大小様々な形の石と、

赤い鳥居がはめこまれたコンクリート製の社殿が、

ご神体を守るかのごとく前後左右に配置されています。

 

ちなみに、この下村・矢倉神社の神様と、

上村・矢倉神社の神様は夫婦神だそうで、

一説によれば、上村の矢倉神社は火の神、

下村は木の神をお祀りしているのだとか。

河口から川を遡り、人や文化が伝播していった

他の河川の状況とは逆に、ここ太間川地区では、

上流から下流へと諸々の風習が模倣され、

村が発展したのではないかという話も聞きます。


能動的な参拝

2017-03-29 10:07:03 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

一方を太間川、一方を崖に挟まれた

下村・矢倉神社へと続く石段の入り口は、

意識して探そうとしなければ、

あっという間に通り過ぎてしまうような、

とてもわかりにくい場所にあります。

事前にある程度の情報を入手できた、

古座川流域の無社殿神社などとは異なり、

太間川流域の無社殿神社に関しては、

資料らしい資料はほとんどないまま、

運を天に任せるような気持ちで、

ひたすら窓越しの風景に目を凝らしました。

 

頼りになるのは、地元の方の案内だけですが、

世帯数の少ない山の中の過疎集落で、

人と会うことは想像以上に困難です。

社殿はもちろん鳥居なども存在しない、

無名の無社殿神社を探し当てるには、

心から「参拝したい」という

気持ちがなければ無理なのでしょう。

何もせずに「神社に呼ばれる」わけではなく、

「行きたい」と能動的に行動を起こすからこそ、

神社のほうが呼んでくれるのかもしれません。


聖域の雰囲気

2017-03-28 10:14:00 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

上村・矢倉神社のある上村地区から、

太間川沿いに約1kmほど下ったところに、

旧太間川村の下村地区があります。

きついカーブが連続する狭い坂道を、

ブレーキを踏みながら慎重に降りて行くと、

下村地区の中心部に差し掛かる手前で、

がっしりとした造りの石段が目に入りました。

 

「神社へと続く参道」というのは、

あたりに漂う雰囲気でわかるもので、

たとえ案内板が設置されていなくても、

「聖域への入り口」が発する独特の空気が、

その先に神社があることを教えてくれます。

ためらうことなく登り切った長い石段の先には、

やはり石垣に囲まれた立派な社殿がありました。


鳥居のない神社

2017-03-27 10:50:02 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

熊野地域の無社殿神社の多くには、

鳥居というものが設えられていません。

後年作られた場所はあるかもしれませんが、

ほとんどの神社が、鳥居という目印を持たず、

周囲の自然と混ざり合うように置かれています。

恐らく私たちが普段神社で目にする

鳥居・社殿・手水舎・しめ縄・鈴…などは、

想像よりもはるかに新しい風習で、

日本古来の神社にはなかったものなのでしょう。

 

ちなみに上村・矢倉神社のある集落に

残されている言い伝えによりますと、

「空神のいる天には境がなく、

境界を示す必要がない」から、

鳥居は必要ないのだそうです。

きっとこの地の人々のみならず、

私たち日本人の先祖すべてが、

鳥居という結界などなくても、

当たり前のように、神聖な場所を

かぎ分けていたのかもしれません。


空への意識

2017-03-26 10:47:44 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

すさみ町の上村・矢倉神社を訪れた際、

当初社殿だと思い込んでいた建物は、

実はのちに合祀されたこの地区の弁天堂でした。

上村・矢倉神社の本体?は、

右隣の平らな石が何層にも積まれた祭壇です。

祭壇の両脇には石造りの灯篭が二基、

その向こうには三角形の稜線を描く小山が、

バランスよく配置されています。

紀伊続風土記の中に、「社なく木を祭る」

と書かれていることから、もともと「樹木」

をお祀りしていた場所だったのでしょう。

 

ちなみに、こちらの神社のご祭神も

「空神」だという伝承があるそうです。

「空」という共通項を持つことから、

天狗や猿田彦とも同一視される空神ですが、

山を仰ぐようにして設えられた祭壇を見ると、

昔の人々が「木」「森」「山」の先にある、

空という存在を強く意識していたことがわかります。

もしかすると、古代はこの上村・矢倉神社でも、

天から舞い降り、木や石に宿ろうとする神様の姿を、

はっきりと感じられたのかもしれません。


緑の絨毯

2017-03-25 10:45:35 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

すさみ町にある上村・矢倉神社は、

県道222号の行き止まりにほど近い、

人の気配が消えた川のほとりにありました。

対岸の一段高い場所にある境内へは、

コンクリートで頑丈に補強された

鉄製の橋を渡って参拝します。

昔は直接川を渡って身を清めてから、

神前へ向かったのだと思われますが、

こうして川のせせらぎに耳を傾けたり、

川面から立ち上る粒子を浴びたりすることも、

少なからず禊の効果があるのかもしれません。

 

慎ましく流れる太間川を横目にしつつ、

苔の絨毯が敷かれた石段を登った先には、

さらにこんもりとした苔の塊が、

あたり一面に敷き詰められていました。

フカフカとした感触を足裏に感じながら、

境内の中をひと回りしてみますと、

さながら「雲の上」を歩いているようで、

何とも言えず心地よい気分になります。

周囲を取り囲む森の木々の隙間からは、

午後の柔らかな光がうっすらと差し込み、

祭壇の中央を淡い色彩で染めていました。


期待値の高い神社

2017-03-24 10:39:41 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

本来ならば、「事前の調査」は最低限にとどめ、

余計な情報を頭に入れずに神社巡りをしたほうが、

素直な感覚で神社をお参りできると思います。

私自身も以前は、ネットは極力使わず、

おおよその場所だけを地図で調べ、

あとは行き当たりばったりで、

予定をこなしていたのですが、

諸々のリスクと天秤にかけた結果、

やはり入念に下調べをしてから、

現地に向ったほうがよいのではないかと、

最近は考えるようになりました。

 

その際、リストアップした神社の概要などを、

前もってネットで確認することも多いのですが、

画像をひと目写真を見ただけで、

強いインパクトを残すような場所が、

少なからず存在します。

上村・矢倉神社という無社殿神社も、

そんな「期待値の高い神社」のひとつで、

よほどの理由がない限り、

必ずお参りして帰ろうと心に決めていました。

そして実際に、林の中にひっそりと佇む、

上村・矢倉神社の姿を認めたとき、

抱いていた印象が確信に変わるのを感じたのです。


神社の必須条件

2017-03-23 10:27:37 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

串本町・和深から海沿いの国道42号線を、

和歌山方面に向かってひた走ると、

すさみ町の中心街に差し掛かります。

交差点を右に折れ、道なりに進むうちに、

視界の先に川が見え始めました。

すさみ町の西端に位置する太間川は、

下流までの距離が約10kmほどの短い河川ですが、

川筋にはいくつかの無社殿神社が鎮座し、

そのどれもが非常によい状態を保っています。

 

まず向かったのは、最も上流に位置する

旧太間川村・上村地区の矢倉神社です。

次第に細くなる道を一気に北上すると、

民家が途切れた川の向こう岸のあたりに、

石垣の上に建つ小さなお社が見えてきました。

「無人の山中」「清流のそば」「木に囲まれた境内」

という、理想的な神社の条件を兼ね備えた

上村・矢倉神社は、今回私が訪れた神社の中で、

「最も期待を裏切らなかった場所」でもあります。


海人族の社

2017-03-22 10:22:45 |  無社殿神社2

<里川・倭文神社 さとがわしとりじんじゃ>

 

倭文神社の倭文(しとり)という名称は、

「しずおり」「しずはた」と呼ばれた

古代の織物を指す言葉だそうです。

一説によりますと、「しず」の技術は、

海人族から伝えられたものともいわれ、

同じ名前の神社が各地に存在しています。

現在は柱の部分だけを朱色で縁取った

小さなお社が建てられていますが、

社殿の裏へと回ってみますと、

そこにはやはり矢倉系神社の証ともいえる

石の祭壇らしき跡が残っていました。

 

海人族がこの地に織物をもたらし、

「倭文」の名がつけられる前は、

近隣地域の矢倉神社と同じように、

自然信仰の場だったのでしょう。

その後、この地を訪れた渡来人により、

南方の色が加味されたかもしれません。

倭文という海の香りを纏う言葉と、

古代ユダヤの魔よけの風習である赤い柱が、

心の中に様々なイメージを投げかけていました。


倭文神社

2017-03-21 10:16:55 |  無社殿神社2

<里川・倭文神社 さとがわしとりじんじゃ>

 

***** 無社殿神社3 *****

串本町の和深という地区から、

里川集落へと向かう道を進んで行くと、

小さな橋の向こうに赤い鳥居が見えてきます。

「倭文(しとり)」という名のこの神社は、

串本町里川地区の産土神です。

明治時代の神社合祀の際には、

近隣の八幡神社に統合されたものの、

のちにこの場所に戻ってきたと聞きます。

 

神社合祀令により、表向き廃社となった神社は、

三重県や和歌山県を中心にたくさんありますが、

こうして土地土地の神社を巡り歩いていますと、

「地域の氏神・産土神」という存在が、

地元の人たちの生活と、そう簡単には

切り離せるものではないことを痛感します。

この倭文神社も、地元の人々の努力により、

現在まで守られてきたのでしょう。


偉大なる「ヤ」

2017-03-20 10:41:51 | 無社殿神社1

<神倉神社 かみくらじんじゃ>

 

ヘブライ語で矢倉の「ヤ」は神をあらわし、

「グラ」は救いを示す言葉だと言われています。

また、高倉の「高」という字は、

古代イスラエルとの関連を

うかがわせる漢字のひとつです。

つまり、矢倉神社という名称は、

「神の救いがある場所」という意味であり、

恐らく高倉神社も同様の語源なのでしょう。

 

ちなみに、神倉神社の神倉という言葉は、

神座(カムクラ)から来ているとされ、

ヘブライ語と照らし合わせてみると、

「神のあらわれ」「救いの訪れ」

といった内容になります。

もしかすると、海の彼方からやってきた人々は、

彼らの偉大なる神である「ヤ」を、

この場所で感じ取ったのかもしれません。


「ヤ・クラ」

2017-03-19 10:39:28 | 無社殿神社1

<板谷・矢倉神社 いたややぐらじんじゃ>

 

熊野エリアに点在する無社殿神社の多くが、

「矢倉」と呼ばれるようになったのは、

さほど古い時代のことではないと言われています。

もともとは地主神、山の神、明神森などといい、

取り立てて場所や神名を特定するような

名前ではなかったのでしょう。

 

矢倉という名称が定着した理由に関しては、

今のところわかっていないようですが、

一説によりますと、お社のある場所が、

「谷筋から岩壁を見上げるような地形」 だったために、

谷(ヤ)岩(クラ)と 名づけたという話も聞きます。

 

ただ、早い時期からこの地には、

イスラエル系の渡来人が住み着き、

「南方の文化」が入り込んだと仮定すると、

森や川を連想させる「矢倉」の響きが、

にわかに海の香りを帯びてくるかもしれません。


「クラ」の響き

2017-03-18 10:37:23 | 無社殿神社1

<古座川の一枚岩 こざがわのいちまいいわ>

 

熊野本宮から新宮一帯にかけて鎮座していたのは、

「高倉神社」と名のつく無社殿神社の数々でした。

ただ、それらのエリアから一歩外に出ますと、

無社殿神社の多くは「矢倉神社」と名を変え、

東は三重県熊野市の紀和町の周辺、

西は串本~紀伊田辺のあたりまで、

その分布域を広げていきます。

 

矢倉・高倉あるいは神倉・丹倉(あかぐら)など、

この地には「倉」と名のつく神社が目立ちますが、

重要なのはこの「クラ」の部分なのかもしれません。

熊野全体に広がる巨大な「岩(磐座)」の

「クラ」という響きの中にこそ、

無社殿神社の起源が隠されているのでしょう。


日本人への導き

2017-03-17 10:31:18 | 無社殿神社1

<古座川・峯地区>

 

古座川流域の「峯」という

山間集落へと足を踏み入れ、

神社参拝を終えるまでの間、

結局「人」に出会うことはありませんでした。

人間の気配が最大限に消された、

静かな山の中に佇んでいますと、

「自分はなぜここにいるのか」

という疑問が自然とわいてきます。

 

少々大げさな言い方かもしれませんが、

縁ある人間がこの場所を訪れることは、

ずいぶん前から決まっていたのでしょう。

神社という場所は、特殊な能力を持った人々や、

興味のある人々だけが行く場所ではないのです。

きっともうすぐ、日本に住むすべての人々が、

「自分のルーツを思い出せるような場所」へと、

無意識に導かれる時代が来るのかもしれません。