たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

射日神話

2018-06-30 09:32:41 | 阿波・忌部氏2

<岩戸神社 いわとじんじゃ>

 

御的神事の起源として有力なのが、

中国少数民族やツングース系の民族等に伝わる

「射日神話(しゃじつしんわ)」の伝承です。

複数出現した太陽を弓矢で射てひとつだけ残し、

世の中の平安を保つといった内容が、

若干のアレンジを加えながら

各々の部族に受け継がれています。

 

また、射日神話と対を成す形で、

新たな太陽の出現を表した

「招日神話(しょうじつしんわ)」

と呼ばれる伝承もあり、記紀の天岩戸開きの件は、

日本に伝わる代表的な「招日神話」のひとつです。

アジア各地では、射日神話と招日神話は、

セットで語られることが多いそうですが、

日本には射日神話に相当する物語は、

あまり聞いたことがありません。

 

恐らく、古代日本で射日神話として語られた話は、

御的神事という民間信仰の中に隠され、

記紀からは抹消されたのでしょう。

つまり、中央政権にとって射日神話は、

不都合な伝承だったのだと思われます。

太陽神を象った的に矢を射るという、

何とも不可解な儀式が伝えるのは、

「消された太陽」の存在だったのですね。


文字なき物語

2018-06-29 09:30:38 | 阿波・忌部氏2

<五色神社 *ごしきじんじゃ>

 

狩猟儀礼の名残である「御的神事」は、

お正月の縁起物として知られる

「破魔矢」の元にもなった儀式ですが、

もともと破魔矢は「浜矢」と記し、

海洋民族の習俗だったと言われております。

つまり、弓矢という道具は、山の神を祀る狩猟民族が、

狩りや神事のためだけに使ったわけではなく、

海の神を祀る海人族の持ち物でもあったわけですね。

 

「弓矢」を使って太陽神を招き入れた海人族は、

主に紀伊半島や伊勢志摩方面の海沿いに、

弓矢を用いた祭事をたくさん残しました。

また、関東地方では「オビシャ」

という伝統行事として伝えられ、

毎年1月から2月の決められた日に、

太陽を象った様々な絵柄の的を射て、

その年の作物の収穫量など占います。

 

本来であれば尊ぶべき 「太陽」という信仰の対象を、

弓矢で射るという所作の中には、

いったいどのような意図が

隠されているのでしょうか……。

恐らく、御的神事と呼ばれる儀礼は、

古代部族間の複雑な歴史の糸が絡み合った、

「文字なき物語」なのかもしれません。


御的神事

2018-06-28 09:27:00 | 阿波・忌部氏2

<白人神社 しらひとじんじゃ>

 

***** 忌部4/祭礼と祭神 *****

冬から春にかけて、あちこちの神社では、

「御的神事」と呼ばれる儀式が行われます。

太陽信仰の名残とも言われる「御的神事」は、

弓矢で「餅」や「丸い的」を射抜き、

来る年の豊穣を祈る「予祝」のお祭りですが、

ここ阿波でも、多くの御的神事が残っており、

もともとは猪、馬、鶏などを射止めて、

神に献上していたと聞きます。

 

恐らく、忌部氏の一族の中には、

狩猟民族の系統を受け継ぐ集団が存在し、

彼らが続けてきた生贄を捧げる風習が、

弓矢の儀式から御的神事へと

つながったのかもしれません。

75人の忌部の宮人がいたことで知られる

美馬市の白人神社にも、御的神事が伝えられ、

古くは弓矢を専門に作る集落も存在したそうです。


忌部氏の思惑

2018-06-27 09:49:27 | 阿波・忌部氏2

<美馬市・木屋平>

 

徳島県の祖谷のわらべ歌の歌詞には、

恵比寿大黒、伊勢の宝、諸国の宝、

という三つの宝が登場します。

これらの宝は、阿波忌部氏に恭順した、

先住民族(の神々)を指しているのでしょう。

ある国では麻、粟、楮などの栽培技術と引き換えに、

ある国では水銀や鉄などの採掘技術と引き換えにして、

日本の津々浦々の国津神と交渉した経緯が、

阿波忌部氏の足跡と重なり、

神社の由緒などに残っているのかもしれません。

 

忌部氏に関する資料はごく限られており、

それらの詳細はわからないものの、

地方に残る忌部関連の伝承のほとんどが、

「阿波忌部氏の功績を称える内容」

だということを考慮すると、

忌部氏が極力「争いを避けながら」

勢力を広げて行ったのは確かなようです。

次回からは、そんな阿波忌部氏の

進出先へも目を向けてみるとともに、

忌部氏と深い関わりを持つであろう

いくつかのテーマについても、

思いつくままに触れておきたいと思います。


イザヤの痕跡

2018-06-26 09:43:08 | 阿波・忌部氏2

<伊雑宮 いざわのみや>

 

「祖谷」と「伊勢」。

この二つを結ぶキーワードが、

「イザヤ」という存在です。

古代ユダヤの神官の長であるイザヤは、

忌部氏が日本に定住してからしばらく経って、

来日したユダヤ系渡来人だったと考えられます。

恐らく、イザヤが日本へとやってきた時期には、

忌部氏をはじめとする初期のユダヤ系渡来人は、

すでに原日本人(先住の日本人)と同化し、

お互いに友好関係を築いていたかもしれません。

 

イザヤが日本を目指した大きな目的のひとつが、

さらに後の時代に到着する天孫族を迎えるための

基盤づくりであり、それを補佐したのが、

先に上陸していた忌部氏だったと思われます。

ちなみに、イザヤは日本にたどり着いた後、

伊雑宮(イザワノミヤ)の神に仕えたそうです。

イザヤ自身が祖谷を訪れたかどうかはさておき、

イザヤに縁する誰かが、祖谷に「伊勢」の痕跡を

残した可能性は少なくないのかもしれません。


ない椿の根

2018-06-25 09:40:00 | 阿波・忌部氏2

<三好市・東祖谷>

 

古代日本の太陽信仰の対象でもあった神々は、

「新たな太陽神(天照太御神)」を迎え入れるために、

忌部氏に手によって歴史の裏側へと隠されました。

もともと日本の先住民族と忌部氏とは、

同じ「国津神(ヤハウェ・菊理媛神・スサノオ)」を

信奉する間柄だったはずですが、

忌部氏はやがて訪れる日本の未来を見越した上で、

天照太御神への信仰を広めるべく、

各地の国津神を取りまとめようとしたのでしょう。

 

しかし、その過程の中においては、

「出雲の国譲り」の件にもあるように、

各地の部族の抵抗に遭うなどして、

思い通りに進まない部分もあったと思われます。

全国で繰り広げられた国譲りの争いにより、

忌部氏に差し出された多くの国津神のご神体は、

わらべ歌が示す通り、一旦この祖谷に集められ、

その後どこかに持ち去られたのでしょうか……。

 

===============================

九里きて、九里行って、九里戻る。
朝日輝き、夕日が照らす。 ない椿の根に照らす。

===============================

 

「ない椿の根」が意味しているのは、

この地から運ばれて行った各部族の宝であり、

照らすものを失った古い太陽神の嘆きであり、

菊理媛神の名を隠さざるを得なくなった、

祖谷の人々の行き場のない悲しみなのかもしれません。


阿波の国譲り

2018-06-24 09:36:41 | 阿波・忌部氏2

<三好市・東祖谷>

 

祖谷という地には、忌部以前の古い神、

白山菊理媛神に仕える人々が、

住んでいた可能性があります。

渡来人である忌部氏が剣山一帯に定住し、

剣山の神に仕えるようになってからも、

先住民である祖谷の人たちは古来の方法で、

「剣山の祭祀」を続けていたのでしょう。

 

もし、徳島県・祖谷地方に伝わる

みたからの歌という不思議なわらべ歌が、

「阿波の国譲り」を描いたものだとすれば、

忌部氏は各部族から差し出された宝を、

いかなる理由で、「勢力範囲外」である

祖谷に集めたのかが気になるところです。

 

恐らく、剣山の神の許しを得るためには、

祖谷の民の協力が必要だったのかもしれません。

この地の先住民族であった祖谷の人々に、

忌部氏に服従した部族の神宝を預け、

争いの現場となった「剣山」に住まう神、

そして集められた各地の先住民族の神を、

鎮めようとしたとも考えられます。

 

忌部氏という渡来系の祭祀氏族が、

剣山の祭祀を執り行うようになってからも、

祖谷の人々の信仰を密かに守った背景には、

「忌部の秘密」を知る祖谷の人々への配慮と、

自らの尊い神を手放した各地の先住民族への

懺悔の気持ちがあったのかもしれません。


先住民族の史書

2018-06-23 09:33:42 | 阿波・忌部氏2

<三好市・東祖谷>

 

徳島県・祖谷地方の古いわらべ歌に登場する

恵比寿大黒、伊勢の宝、諸国の宝の三つのお宝は、

長国の事代主命、粟国の大宜都比売命、

そして他国の国津神と置き換えてもよさそうです。

大宜都比売命がスサノオに殺された神話や、

事代主命が天孫族に服従した神話などが示唆する

「国譲り」の場面が、この歌の歌詞の中に、

こっそりと描かれているのかもしれません。

 

恐らく、三つのお宝が示しているのは、

各地の部族が先祖代々祀っていた

「神宝(ご神体)」だったのでしょう。

もしかすると、各国各地の部族から

集められた神宝(ご神体)が、

祖谷に保管されていた可能性も考えられます。

つまりこの歌は、忌部氏に土地を明け渡し、

それぞれの一族が祀る神宝を差し出した、

先住民族の史書だったとも言えるのですね。


伊勢の御宝

2018-06-22 09:31:39 | 阿波・忌部氏2

<外宮 げぐう>

 

「伊勢の神」と聞きますと、

内宮に祀られる「天照太御神」

を思い浮かべる方が多いと思います。

しかし古代、伊勢の神と呼ばれていたのは、

外宮の神(豊受大御神、国常立太神、

白山菊理媛神、スサノオ等々……)であり、

倭姫命により「天照太御神」が祀られるまで、

伊勢は「国津神の国」だったのです。

 

もしかすると、徳島県の祖谷に残る

古いわらべ歌の「伊勢の御宝」という歌詞は、

伊勢・外宮の神様を表すと同時に、

祖谷の人々のルーツが伊勢にあることを、

密かに暗示しているのでしょうか……。

粟国の神・大宜都比売命に、

「伊勢からきた」との由緒が伝わるのも、

恐らく、祖谷の人々と伊勢、そして大宜都比売命とが、

ごく近しい関係にあることを示しているかもしれません。


九里と菊理

2018-06-21 09:29:38 | 阿波・忌部氏2

<三好市・東祖谷>

 

徳島県の祖谷地方に伝わるわらべ歌の歌詞、

「九里きて、九里行って、九里戻る」の九里は、

実は、栗(くり)枝渡八幡神社を

指しているという話を聞きました。

また、九里は九九理(くくり)を意味し、

白山菊理媛神を示す隠語なのだとか。

 

天照太御神が伊勢に祀られる以前、

日本を守護していた古い太陽神である菊理媛神は、

国常立太神やスサノオなどともつながる

国津神の元親的存在です。

全国の白山神社のご祭神として祀られ、

伊勢外宮の神との関連も深いとされています。

 

改めて思い出してみますと、

栗枝渡八幡神社の社殿の屋根には、

16弁の菊の御紋が刻まれていました。

天皇家の象徴であり安徳天皇を

表すとされるこの菊の紋章ですが、

実はその裏に「菊」理媛神が隠されていることを、

祖谷の人々は気づいていたのかもしれません。


海の風習

2018-06-20 09:27:08 | 阿波・忌部氏2

<伊勢市・麻吉旅館>

 

徳島県の祖谷に伝わるわらべ歌の中に、

恵比寿大黒、伊勢の宝、諸国の宝という、

三つの宝についての記載があります。

一説には、「ユダヤの神宝」とも

噂されるこのお宝たちですが、

考えてみますと、四国の山深いこの地域に、

恵比寿大黒や伊勢の宝などの「海」を

思わせる品々が伝わるのは少々不自然です。

 

ちなみに、祖谷の旧家ではその昔、

披露宴を行う際には、招かれた客人が

伊勢節(伊勢音頭)を歌ったり、

エビスオドリを踊ったりしたと聞きます。

また、祖谷に伝わる昔話を調べると、

徳島県の特徴である狸に関連する話や、

山間部に目立つ狼や熊の話が極端に少ないのだとか。

つまり、この祖谷の一帯は、他の地域とは異なる

独自の文化を築いていた可能性が伺えるのですね。

 

恵比寿大黒(エビスオドリ)や伊勢の宝(伊勢音頭)は、

伊勢国や海人族とのつながりを深く感じさせる伝統です。

伊勢から離れたこの険しい徳島の山間地域に、

なぜ「海」を思わせる風習が息づいていたのでしょうか……。

もしかすると、昔この近辺に住んでいたのは、

伊勢と深い縁を持つ一族であり、

「伊勢の神を祀る人々」だったのかもしれません。


御龍車

2018-06-19 09:22:59 | 阿波・忌部氏2

<三好市・東祖谷>

 

===============================

祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
先なる車に、何積んだ。
恵比寿大黒、積みや降ろした、積みや降ろした。
祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
中なる車に、何積んだ。
伊勢の宝も、積みや降ろした、積みや降ろした。
祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
後なる車に、何積んだ。
諸国の宝を、積みや降ろした、積みや降ろした。
三つの宝をおし合わせ、
こなたの庭へ積みや降ろした、積みや降ろした。

===============================

 

徳島県の祖谷地方の古い歌が伝えるところでは、

祖谷の谷に置かれていた三つの宝を運ぶために、

空から三つの「御龍車」が降ってきたのだそうです。

空飛ぶ乗り物と聞きますと、「天鳥船」をイメージしますが、

御龍車も恐らく「忌部氏の乗り物」という意味であり、

お宝は龍の模様が入ったお神輿によって運ばれたのでしょう。

 

祖谷を訪れた際、地元の方から聞いた話では、

その昔、剣山でお祭りがあるときは、

険しい山を歩いて越えて行ったのだとか。

そして現在も、麓からお神輿を担ぎ上げる例祭が、

毎年7月17日に執り行われていると聞きます。

 

つまり、剣山に「ユダヤの御宝」が埋蔵されたとするなら、

それらは剣山の頂上に隠されていたのではなく、

山麓の祖谷に保管されていた可能性もあるのですね。

ゆえに、現在も剣山のお祭りの際には、

ご神体がある山の頂上からお神輿を降ろさずに、

御宝をお神輿に積んで山頂へと向かうのかもしれません。


庭には鶏

2018-06-18 09:20:38 | 阿波・忌部氏2

<内宮 ないくう>

 

===============================

祖谷の谷から何がきた。 恵比寿大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。 三つの宝は、庭にある。

===============================

 

徳島県の祖谷に伝わる古い歌の歌詞にある、

「庭」という言葉を目にしたとき、

ふいに浮かんできたのは「鶏」でした。

その昔、ニワトリは「庭つ鳥」と称し、

夜明けを告げる習性から、神や悪霊の来往する夜と、

人間の活動する昼との境目を告げる霊鳥とされ、

伊勢神宮や石上神宮などを散策していますと、

神域に鶏が放たれている光景をよく見かけます。

 

また、羽の色が「丹色(朱色)」であることから、

丹羽鶏などと表記される場合もあるそうです。

「鶏」「丹」「羽」という単語は、

すべて「忌部氏」をあらわすキーワードですね。

となると、祖谷の谷から持ち出されたお宝は、

忌部氏の斎庭に積みや降ろしたのでしょうか……。


みたからの歌

2018-06-17 09:16:27 | 阿波・忌部氏2

<三好市・東祖谷>

 

意味深なフレーズが散りばめられた、

徳島県の祖谷地方の伝承「みたからの歌」は、

この地に眠る秘宝の在処を示したものだとされ、

歴史好きの人や、都市伝説マニアなどを中心に、

隠し場所を特定するための検証が続けられております。

 

===============================

九里きて、九里行って、九里戻る。
朝日輝き、夕日が照らす。 ない椿の根に照らす。
祖谷の谷から何がきた。 恵比寿大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。 三つの宝は、庭にある。

===============================

 

「九里~椿の根に照らす」の部分に関しては、

祖谷の埋蔵金を示す枕詞だという説が有力です。

ただし、その後に「祖谷の谷から」

という文句が続いているところを見ると、

お宝はすでに祖谷とは別の場所に、

持ち出された可能性が高いのかもしれません。

 

また、「庭」は「神祀りを行う場」であり、

この歌が何らかの「祭事」の場面を、

描写していることは確かです。

仮に、お宝が他所に運ばれたとするなら、

祖谷を出て向かったとされる「庭」とは、

いったいどこを示しているのでしょうか……。


埋蔵金の枕詞

2018-06-16 09:10:58 | 阿波・忌部氏2

<内宮 ないくう>

 

「九里きて九里きて九里かえる」という文句は、

いわゆる「埋蔵金」を示す枕詞だと言われています。

徳島県のお隣・高知県の安芸郡東洋町には、

「九里いて九里きて九里かへる 旭かがやく白い椿の咲く丘に」

という歌があるそうですが、

これは盗賊が隠した埋蔵金のことを指しているのだとか。

また、同じく高知市朝倉の鵜来巣山の近辺に伝わる

「朝日夕日さす椿の下に黄金千両漆七桶」

という言い伝えに関しても、「九里……」と同様、

埋蔵金の在処を暗示するフレーズだと聞きます。

 

=============================== 

九里きて、九里行って、九里戻る。
朝日輝き、夕日が照らす。 ない椿の根に照らす。

===============================


邪気を払う力が強い椿という植物は、

神社仏閣の境内に植樹されたり

榊の代わりに神事に使用されたりと、

古くから霊樹として崇められてきました。

そして、「朝日夕日さす」という文言を、

枕詞に持つことからもわかるように、

椿の木は太陽信仰と深くつながる

聖なる樹木でもあったのですね。