たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

すべての母体

2017-08-04 10:40:05 | 熊野の神社

<橋杭岩>

 

日本人の信仰の核を成すアミニズムの精神と、

海を渡る過程で色づけされたユダヤの風習という

二つの重要な流れが、奇跡的に維持された熊野の地は、

仏教や修験道などの多種多様な信仰を、

無限の懐に内包したすべての宗教の母体でもあります。

 

東征の折、神武天皇一行が熊野灘に漂着したのも、

国造りの前に、熊野の神に最大限の配慮をしたのも、

熊野という場所が「宗教を超えた聖地」であることを、

本能でわかっていたからかもしれません。

 

「神社」という目印を通じて、過去・現在・未来が、

「今」という時間ひとつに集約されるのです。

熊野地方の神社には、時空を超えたすべての物事を、

大らかに包み込んでしまう力があるのでしょう。


正しい関係

2017-07-19 10:22:50 | 熊野の神社

<曽根・飛鳥神社 そねあすかじんじゃ>

 

ごくごく限られた狭い神域の中に、

天然記念物レベルの巨木を多数抱く

曽根・飛鳥神社の周辺は、

縄文土器が大量に出土する

古代集落の跡でもあるそうです。

 

境内に隣接する家々や、小さな漁港を見る限り、

とてもこれらの場所が遺跡だとは思えませんが、

熊野という土地の多様性、そして深淵さを考えると、

「さもありなん」と納得してしまう部分もあります。

 

「海」「山」「川」「樹」「岩」など、

自然界を司るありとあらゆる対象がひしめき合い、

思い思いの形を取りながら創り上げられたこの神域は、

まさしく熊野の神々の造形物なのでしょう。

 

この熊野の地で、時代の波に飲まれながらも、

奇跡的に生き残った古代の断片に触れたとき、

神々が私たちに伝えたかった、

「人と神との正しい関係」が、

少しだけわかったような気がしました。


神域の概念

2017-07-18 10:20:44 | 熊野の神社

<曽根・飛鳥神社 そねあすかじんじゃ>

 

今回、押し気味の予定をやりくりしてまで

曽根・飛鳥神社を訪れたかった理由は、

神社の裏手の樹齢1000年はあろうかという

クスノキの巨木を写真に撮ることでした。

前回は知らずに通り過ぎてしまい、

後で資料を調べている最中に気づいて、

少々残念に思った経緯があったからです。

 

目指すクスノキの巨木は、

左手にあるホテルに向かって続く小道の途中、

境内をぐるっと取り巻く石垣の不自然な隙間に、

かなり窮屈そうな趣で収まっていました。

「境内」という狭い枠を飛び出すほど、

生命力に満ちたその姿を目の前にすると、

現代人が決めた「神域」の概念が、

神の意志とは少々異なることを感じます。

 

きっと古代は、この神社周辺の一帯に、

亜熱帯の森が広がっていたのでしょう。

上へ上へとどこまでも伸びる太い幹と、

空を埋め尽くすように広がる枝葉は、

かろうじて残された神域を、

その身を持って守るかのごとく、

千年以上もの長い間、

この場で静かに耐えていたのかもしれません。


密度の濃い社叢

2017-07-17 10:18:45 | 熊野の神社

<曽根・飛鳥神社 そねあすかじんじゃ>

 

今回の旅で最後に訪れたのは、

以前ご紹介した曽根・飛鳥神社です。

一度参拝したことがある場所のため、

「時間がなければ中止」と考えていたのですが、

何かのご縁か「飛鳥」の名を持つ神社を、

立て続けにお参りした以上、

やはり立ち寄らないわけにはいきません。

 

熊野市との境にほど近い尾鷲市・曽根町へは、

五郷町から車でおよそ30分程度かかります。

すでに太陽が山の際まで迫り始めたころ、

白金色に染まった鳥居とご本殿が、

「ようやく来たか」と言わんばかりに、

まぶしい残光とともに出迎えてくれました。

 

改めて境内を眺めてみますと、

他の神社の社叢と比べても、

この神社の森の密度はかなり濃く、

すぐそこに海があるというのに、

あたかも深山にいるような錯覚を起こします。

「鎮守の森」のひと言では括れない、

バラエティー豊かな様相があることを、

この神社に来るとつくづく実感するのです。


小さな奇跡

2017-07-16 11:15:47 | 熊野の神社

<寺谷・飛鳥神社 てらだにあすかじんじゃ>

 

「飛鳥」と名のつく神社は、

この地方にたくさん見られますが、

湯谷で教えてもらったおすすめの神社が、

「飛鳥神社」だったとは思いもしませんでした。

もしあのまま参拝をあきらめていたら、

このような景色には出合えなかったのでしょう。

聞くところによりますと、寺谷・飛鳥神社には、

平成23年の大水害の際に流失したにも関わらず、

その後ほぼ無傷で戻ってきたという

奇跡のお神輿があるそうです。

 

東北の被災地でも頻繁に聞きましたが、

このような話を耳にするたびに思うのは、

神と人間は「共に生かし生かされる関係」

だということで、どちらか一方が欠けても、

地域の人々の暮らしは成り立たなくなります。

帰り際、まるで浮島のように浮かび上がる、

寺谷・飛鳥神社の森を遠くから眺めながら、

荒ぶる神の懐で暮らす熊野の人々、

そして荒ぶる神に選ばれた熊野の地が、

穏やかに鎮まることを祈念しました。


悠久のとき

2017-07-15 11:13:34 | 熊野の神社

<寺谷・飛鳥神社 てらだにあすかじんじゃ>

 

寺谷・飛鳥神社という場所は、

「川を渡って神域に入る」という、

古来さながらのしきたりを残す場所です。

川に面して建てられた石の鳥居をくぐり、

10段ほどの石段を降りると、

大又川の川べりを埋め尽くすように、

白くきめの細かい大小様々な岩々が、

あたり一帯にまき散らされていました。

 

闇の中でも怪しく光り出しそうな

そのつやつやとした石の表面は、

長い時間をかけてゆっくりと

研磨されたものなのでしょう。

夜空の星雲にも匹敵するほどの岩の大群が、

大又川という「地の川」を象っています。

 

強烈な西日を手のひらで遮りながら、

水際に佇んでいたほんのひととき、

ここがどこかということすら忘れ、

川から吹き上がる祓いの風を

身体全体で受け止めていました。

わずか数分ほどの短い禊でしたが、

そこには確かに悠久のときが流れていたのです。


正式な表参道

2017-07-14 11:11:11 | 熊野の神社

<寺谷・飛鳥神社 てらだにあすかじんじゃ>

 

五郷町にある寺谷・飛鳥神社へと、

奇遇の縁によって導かれた私は、

本殿で参拝の挨拶を済ませたのち、

薄暗い境内を射るように照らす

日没前の西日の軌跡をたどるように、

元来た方向へと引き返しました。

 

寺谷・飛鳥神社の神域へと入るには、

複数の入り口があるようですが、

なぜかどの参道も、

本殿へと続く正面の鳥居には面しておらず、

意識して回り込まなければ、

鳥居をくぐることはできません。

 

一般的な神社であれば、

仮に参道がいくつかあったとしても、

どれかひとつくらいは、正面の鳥居をくぐって

お参りするような形になっています。

しかし、こちらの神社の場合、

どこから入っても横向きのままなのです。

 

その一見不可解にも思える理由は、

森を見た瞬間にすぐにわかりました。

寺谷・飛鳥神社という神社は、

「川」に面して鳥居が作られており、

大又川の河原から伸びる石段が、

正式な表参道だったのですね。


譲れないプライド

2017-07-13 10:08:53 | 熊野の神社

<寺谷・飛鳥神社 てらだにあすかじんじゃ>

 

地元のおじさんの力強い許可を得て、

寺谷・飛鳥神社の境内へと乗り込んだ瞬間、

小阪・飛鳥神社で感じたある種の予感が、

ホンモノだったことを確信します。

参道とも呼べないような小さな赤い橋を渡り、

そのまま道なりに境内のほうへと歩いていくと、

ある意味想像通りの石の玉垣があらわれ、

背後にはどっしりとした形の

横長のご本殿が控えていました。

 

お社の左右に配したご神木が、

あたかも神様を守る門番のごとく、

不届き者の侵入に目を光らせています。

これまで見てきた他の神社のように、

突出して目を引く巨樹はないものの、

この境内もまた、貴重な社叢で

あることに間違いはありません。

 

地元の人しか知らないような氏神にも、

あえて特別な森を与えたのは、

「木」の国の主である熊野の神としての

譲れないプライドがあったのでしょう。


手招きする森

2017-07-12 10:06:59 | 熊野の神社

<寺谷・飛鳥神社 てらだにあすかじんじゃ>

 

何度消しても目の前にあらわれる、

「寺谷の神社」の文字に抗えず、

再び五郷町へと舞い戻った私の視界に、

紛れもなく何かを訴えかけている様子の

鬱蒼とした森が映り込んできました。

国道から少し離れたところにあるその森は、

明らかに普通ではない神気を発散しています。

 

「ここだ」ひと目でそう確信した私は、

橋の向こうから手招きするように木々を揺らす、

緑の森のほうへと車の進路を変えたのです。

しかしながら、焦る心とは裏腹に、

周囲をグルグル回ってみたものの、

なかなか適当な駐車スペースが見当たりません。

 

とりあえず道の端に車を寄せて、

通りがかった犬の散歩中のおじさんに、

「ここに停めても大丈夫でしょうか?」

と声をかけると、おじさんは一瞬黙り込んだ後、

「ええよ!」となぜかドヤ顔で、

駐車を許可してくれたのでした。


寺谷の神社

2017-07-11 10:04:43 | 熊野の神社

<寺谷・飛鳥神社 てらだにあすかじんじゃ>

 

飛鳥町にある小阪・飛鳥神社で、

寺谷という地名を目にした私は、

ある種の直感に導かれるがまま、

予定を変更して五郷町へと舞い戻りました。

しかし、湯谷の集落で聞いていたのは、

「寺谷にある神社」という、

かなり漠然とした情報だけで、

短時間で見つかるかどうかの保証はありません。

 

「まずは地元の人を見つけるべし」

という手筈を頭の中に叩き込みながら、

先ほど通ったばかりの国道を、

再び山のほうへと向かうこと約10分。

寺谷地区の手前に差し掛かり、

周囲の様子に目を凝らしていたそのとき、

ふいに視界前方の左手のあたりに、

こんもりとした緑の森を発見したのです。


再び五郷町へ

2017-07-10 10:01:28 | 熊野の神社

<熊野市・五郷町>

 

小阪・飛鳥神社への参拝を済ませ、

境内の前にある駐車場に停めた車の中で、

改めて持参した資料に目を通していたとき、

「飛鳥町小阪にある飛鳥神社は、

五郷町寺谷の飛鳥神社より勧請した」

という一文が飛び込んでまいりました。

 

「寺谷…?」という聞き覚えのあるその言葉は、

まさしく湯谷の集落で耳にした地名です。

「もしかしてこれが寺谷の神社だろうか」と、

数十分前の記憶をたどってみたものの、

時刻はすでに夕方、車内を容赦なく照らす西日は、

ゆっくりと稜線へと傾き始めています。

 

今日中に向かわなければならないもう一社は、

ここからちょっと離れた場所にあるため、

再び五郷町まで戻って神社を探すには、

明らかに時間との勝負でしょう。

 

一度は参拝をあきらめた場所であり、

次の機会に回すことも考えたのですが、

一方で、このように寺谷という言葉が、

繰り返し目の前にあらわれる以上、

無視し続けるのは気が引けます。

 

蒸し暑い車内の中で、

今訪れたばかりの神社の社叢を

フロントガラス越しに眺めながら、

己の心に問いかけた結果、

「…やはり行くべし」という判断を下した私は、

素早くナビの設定をし直し、

元来た道を五郷町方面へと走り出したのです。


大昔の名残

2017-07-09 10:57:55 | 熊野の神社

<小阪・飛鳥神社 こざかあすかじんじゃ>

 

たくさんの神社を巡ってきて感じるのは、

「神社は裏が重要」ということで、

立ち入り禁止の区域ではない限り、

できるだけ境内をぐるっとひと回りし、

全体像をとらえるよう心がけています。

参道の入り口や社殿の向きなどは、

後年になって変更されている場合も多く、

当時の姿が失われてしまいがちですが、

神社の裏には「川の有無」や「祭壇の後」など、

大昔の名残を目にすることもできるのです。

 

小阪・飛鳥神社の裏手に回り込みますと、

小さな岩があちこちに転がる、

大又川が見えてまいりました。

「川のそば」という立地は、

聖地となりうるための必須条件でして、

境内を清浄に保てるかどうかのカギを、

「川」という存在が握っているのでしょう。

本来であれば、直接川を渡ることで、

聖域に立ち入るための禊をしたのだと思います。

 

現世と神界との境が明確だった古代、

私たち人間は今よりもずっと、

神様とのよい関係を築いていたのかもしれません。


スサノオが宿る木

2017-07-08 10:55:59 | 熊野の神社

<小阪・飛鳥神社 こざかあすかじんじゃ>

 

小阪・飛鳥神社には多くの神々が祀られておりますが、

そのどれもが「国津神」としての性質を持っています。

この神社のシンボルでもある四本杉に、

スサノオの化身・祓戸四神が宿るとされるのも、

この神社の主はスサノオ命であり、

熊野という土地そのものが

「国津神の聖地」であることの証なのでしょう。

 

神武天皇がヤマトへ侵攻する際、

どうしても許可を得なければならなかったのが、

太古の昔から熊野の地を支配する

国常立大神という国津神の親玉でした。

熊野を通して日本全土ににらみを利かせるこの神は、

国内に入り込んだ異分子をシビアな目で選択し、

この国にふさわしい人間かどうか精査するのです。

 

国常立大神からの命を受け、

国土を駆け回る役目を授かったスサノオは、

「巨樹」「巨岩」「大河」など、

自然信仰の崇敬対象へと姿を変え、

太古の世から今に至るまでずっと、

日本人の営みを見守っているのだと思います。


巨木の密集地

2017-07-07 10:53:55 | 熊野の神社

<小阪・飛鳥神社 こざかあすかじんじゃ>

 

小阪・飛鳥神社の「売り」は何といっても、

多種多様な樹木が混然一体となって作り出す社叢です。

それほど広い境内ではないのですが、

社殿の前だけでなく裏手のほうにまで、

個性的な姿の巨木が立ち並び、

他にはない独特の景観を生み出しています。

いかにもご神木といった風情の直立不動の巨木や、

ちょっと悩ましいポーズを取った珍妙な巨木など、

種類も形も異なる様々な樹木たちが、

思い思いの位置に陣取っていました。

 

その中でも特に知られているのが、

ご本殿の裏側にある「四本杉」という名の、

樹齢1300年余りとも噂される古木です。

根元から先がきれいに四つに分かれたその幹には、

それぞれ、瀬織津姫、速開津姫、 気吹戸主、

速佐須良姫という祓戸四神が宿っていると聞きます。

幹が二つに分かれた夫婦杉は珍しくありませんが、

四つに分かれた大杉を目にしたのは初めてでした。


次の飛鳥神社

2017-07-06 10:46:58 | 熊野の神社

<小阪・飛鳥神社 こざかあすかじんじゃ>

 

神武東征をたどる旅でも通過した、

国道309号を海のほうへと下って行き、

途中、大又川に沿って進路を変えると、

飛鳥町・小阪という地区の鎮守、

飛鳥神社の社叢が見えてきます。

 

近辺には飛鳥と名のつく神社がいくつかありますが、

こちらは以前訪れた海辺の飛鳥神社とは別の社です。

ところが、大又川にかかる橋を左に折れてすぐ、

目指していたその場所があったにも関わらず、

神社の前を気づかずに通り過ぎて、

山の中へと入り込んでしまったのです。

 

熊野の神社を巡るうちに、「神社=山道」と、

無意識に刷り込まれてしまったのでしょう。

身も心もすっかり熊野という土地に

染まった自分に妙な感慨を覚えつつ、

慌てて元来た道を引き返してみると、

先ほど通ったばかりの橋のたもとに、

ひと目で神社とわかる参道の入り口を

とらえることができました。