たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

禅定道

2015-04-30 23:36:02 | 白山信仰・楠と白石

<平泉寺白山神社 へいせんじはくさんじんじゃ>

 

白山を取り囲むように点在する、

白山比神社、平泉寺白山神社、長滝白山神社、

の三つの神社からは、禅定道(ぜんじょうどう)

と呼ばれる登山道が山頂まで続き、

修行僧だけでなく、麓の農民や

遠くから訪れた都の人たちまで、

多くの人が白山を目指しました。

 

実は、白山信仰というのは、

白山周辺に限られた地域型の信仰ではなく、

時代時代の天皇、文化、戦乱、他の宗教など、

神道の枠を越えて多方面に影響を及ぼしたそう。

今なお全国各地に白山神社が残ってるのも、

白山信仰がいかに広範囲に及んでいたかを、

如実にあらわしているのでしょう。


大きな御社殿

2015-04-29 12:39:00 | 白山信仰・楠と白石

<長滝白山神社 ながたきはくさんじんじゃ>

 

もともと、日本人の原初の信仰形態は、

自然そのものを拝む形式でした。

山、岩、森、樹木、水、海、星、太陽…など、

自然界に存在する対象の中に神を見出し、

直接その対象に祈りを捧げてきたのが出発点。

その後目印のために、結界を示す注連縄や、

遥拝するための社殿が使われるようになり、

私たちが知る現在の神社が出来上がりました。

 

白山の周辺にも多くの白山系神社がありますが、

そのほとんどがとても簡素な雰囲気の場所です。

白山比神社、平泉寺白山神社、長滝白山神社 といった、

ある程度の規模を持つお宮でさえ、

神域の中に余計な「色」や飾りはなく、

非常にあっさりした感じを受けます。

それはきっと、白山という山自体が御社殿であり、

神社の枠に収まらないほど大きな神であることを、

私たちに示しているからなのでしょう。


信仰の山

2015-04-28 22:21:21 | 白山信仰・楠と白石

<白山市 はくさんし>

 

信仰という言葉を聞きますと、

「限られた人がするもの」

という風に考えがちですが、

すべての日本人の心の中には、

生まれながらに信仰心が備わっています。

自然の音(声)に季節を感じたり、

自然の中に神を見い出せたりするのは、

紛れもなく「信仰心」を持っている証なのですね。

 

白山という山を見るといつも、

「山が生きている」と強く感じます。

それは、白山自体のエネルギーだけでなく、

山の力を最大限に引き出す原動力となる、

人々の厚い信仰心があるからでしょう。

古くから崇敬の念により守られてきた白山は、

今なお信仰の山としての威厳を保ち続けています。


荘厳な輝き

2015-04-27 14:28:28 | 白山信仰・楠と白石

<白山長滝駅 はくさんながたきえき>

 

遠くの地域から訪れた人間が、

旅先の山の位置を把握するのは難しいもので、

不慣れな土地を訪れるときはいつも、

「あの山の名前は何だろう」と、

頭を悩ませてしまいます。

 

以前、白山の麓のお土産物屋で、

「白山と他の山はどうやって見分けるのですか?」と伺ったところ、

「実際に見れば、これが白山だとすぐにわかりますよ」

という返事が返ってきたことがありました。

 

確かに、白山という山は、

なかなか全貌を見渡せない山であると同時に、

ひとたびその姿を目にすれば、

「これだ」と直感で気づくもの。

今回はルートの関係もあり、

白山山系の一部しか見られませんでしたが、

時折目の前にあらわれる白い山々は、

やはり荘厳な輝きを放っておりました。


泰澄大師

2015-04-26 23:31:20 | 白山信仰・楠と白石

<平泉寺白山神社 へいせんじはくさんじんじゃ>

 

この時期の白山周辺には、

まだ雪が融けていない場所も多いため、

ひとたび山道に入ると、麓の春うららかな景色が一変し、

人を寄せつけないような厳しい冬山の名残が見られます。

 

その名が示す通り、ほぼ一年中頂に雪をたたえる白山は、

1300年前までは「神の山」として畏れられ、

人が近づける場所ではなかったそう。

そんな白山にはじめて登拝(とはい)したのが、

泰澄大師(たいちょうだいし)です。

 

「白山に来たれ」とのお告げを受けた泰澄大師は、

弟子とともに白山山頂を目指し、

そこで十一面観世音を感得しました。

その後、山頂での千日修行などを経て、

白山信仰の布教に力を注ぐことになります。


白山信仰の拠点

2015-04-25 23:21:00 | 白山信仰・楠と白石

<白山比神社 しらやまひめじんじゃ>

 

北陸(および岐阜)の神社を巡ってまいりました。

日本三名山に数えられる、立山連峰(富山県)や

白山(石川県・福井県)を要する北陸エリアは、

山への信仰が厚い日本という国の中でも、

原始的な形態を保つ山岳信仰の聖地です。

 

特に白山周辺は、三箇の馬場(ばんば)と呼ばれる、

白山比神社(石川県)、平泉寺白山神社(福井県)、

長滝白山神社 (岐阜県)を中心に、

多くの白山系神社が点在し、

全国の白山信仰の拠点となっています。

 

全国にある白山系神社の数は、約2700社といわれ、

北陸・中部地方だけでなく、全国各地に点在しており、

ご祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)。

古くは神仏習合の寺社として繁栄し、

明治時代の神仏分離令が出るまでは、

寺院を併設する形態が一般的でした。


見えない柱

2015-04-24 12:51:46 | 神社について

<諏訪大社秋宮 すわたいしゃあきみや>

 

神社を始めとする信仰の場を巡っておりますと、

あちらこちらで「柱」への信仰を目にします。

伊勢神宮の心御柱(しんのみはしら)を始め、

諏訪大社の御柱祭(おんばしらまつり)や、

出雲大社の宇豆柱(うづばしら)、

蚕の社(かいこのやしろ)の三本鳥居…等々、

「柱」を中心とした祈りの場は、

私たちの身近にたくさんあります。

 

まっすぐ天にそびえ立つ柱は、

天と地とをつなぐ「かすがい」です。

そして、両者のバランスを保っているのは、

大地の上に立つ私たち人間に他なりません。

神社(柱)にお参りをすることで、

天と地を結ぶ見えない柱が立ち、

各々の生き方が改善されるだけでなく、

自然の不安定な動きも鎮まるのでしょう。


古殿地

2015-04-23 12:44:43 | 伊勢神宮

<外宮古殿地 げぐうこでんち>

 

遷宮が済んだ神宮を歩いていますと、

古殿地(以前ご正殿が建っていた場所)の中央奥に建つ、

小さな小屋(覆屋)の存在が目に留まります。

覆屋は、心御柱が埋められている場所の目印で、

現在お参りしている新宮についても、

同様の配置になっているそうです。

 

ちなみに、内宮と外宮とでは心御柱の様態も異なり、

内宮では柱がすべて地中に埋没している一方、

外宮は柱の半分以上が地上に突出しているとか。

また、御正殿以外のお宮では、

榊と平瓮(ひらか)が供えられているという話を聞きました。

伊勢神宮を訪れたら、ぜひ新社殿とともに、

古殿地にも目を向けてみてください。


過度我身

2015-04-22 12:40:53 | 皇室・海人族・ユダヤ

<千鳥ヶ淵 ちどりがふち>

 

元旦の真夜中に宮中では、

四方拝(しほうはい)という祭祀が執り行われます。

これは天皇陛下自らが、

一年間の国の平安を祈られる儀式で、

その中で唱えられる呪文の中に、

「すべての厄災はわが身を通過せよ」

という内容の言葉があるそうです。

 

天皇陛下の最も大切なお役目は、祭事を行うこと。

天皇という存在は、「国難を受けとめる依り代」でもあります。

心御柱という自らの形代を神宮(内宮)に置き、

日本と日本人が平穏でいられるよう、

祈りを捧げてくださっているのが、天皇陛下なのですね。


天皇の形代

2015-04-21 12:24:11 | 伊勢神宮

<皇居 こうきょ>

 

内宮の心御柱の真上に当たる場所には、

御神体である八咫鏡(やたのかがみ)

が祀られていると聞きます。

また、埋められている心御柱の寸法は、

今上天皇のご身長と同じだとか。

 

心御柱の神事に関わる神官は、

限られた人数しかいないそうですし、

心御柱の詳細に関して口外は厳禁。

儀式の内容や祭詞は、秘事中の秘事であり、

心御柱の伐採場所も秘密事項だと聞きます。

 

出雲大社の巨大な宇豆柱(うづばしら)、

諏訪大社の御柱(おんばしら)など、

柱は神様の依り代としての役目を果たします。

内宮の心御柱は、日本の祭祀者の頂点に立つ、

天皇の形代でもあるのでしょう。


大切な柱

2015-04-20 18:34:23 | 伊勢神宮

<御稲御倉 みしねのみくら>

 

遷宮諸祭の中でも、遷御の儀とともに、

ひときわ重んじられてきた祭典が、

「心御柱奉建(しんのみはしらほうけん)」です。

心御柱とは、正殿の真中にあたる場所に、

地中深く立てられる神聖な柱のことで、

祭儀は夜の暗闇の中で執り行われます。

 

実はこの柱、山から伐採された後、

奉建の儀が執り行われる日まで、

神様にお供えする稲を保管している

御稲御倉に安置されているとのこと。

* 外宮の心御柱は外弊殿

 

参拝者が何気なく通り過ぎる、

御正殿から荒祭宮への参道では、

儀式までの数年間もの間、

内宮の中心となる大切な柱が、

行きかう人々を見守っていました。


御稲御倉

2015-04-19 13:15:00 | 伊勢神宮

<御稲御倉 みしねのみくら>

 

豊受大御神 (とようけのおおみかみ)をお祀りする外宮は、

食物を始めとする衣食住のすべてを司るお宮といわれますが、

内宮にも御稲御倉(みしねのみくら)という、

稲穂の神様をお祀りした場所があります。

神宮神田で収穫された稲は、

まずこの御稲御倉へ納められ、

お祭りの際に大御饌として天照太御神に捧げられるそうです。

 

ちなみに御稲御倉に祀られる御倉神(みくらのかみ)は、

穀物の神である保食神(うけもちのかみ)や

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と

同じ神様であるといわれております。

伏見稲荷大社が創建される前から、

伊勢神宮では稲荷神が手厚く祀られてきました。

つまり、お稲荷さんの大元をたどっていくと、

伊勢の地にたどりつくというわけですね。


不思議な神様

2015-04-18 17:11:17 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

外宮の周辺には、

山田産土八社と呼ばれる神社を筆頭に、

稲荷系・スサノウ系の神社がたくさん残っておりますが、

内宮を受け持つ宇治地区でも、

「寒の稲荷参り」と称する、

地域の稲荷15カ所をめぐる行事が、

今でも行われていると聞きました。

 

その中には、内宮の神域内にある二カ所のお稲荷さん

(通常は立ち入れない場所)も含まれているのだとか。

実は内宮の神域内にも、外宮と同等かそれ以上に、

「不思議な神様」がたくさん祀られています。

もともと内宮の宇治橋を渡った一の鳥居までは、

民家などが立ち並んでいたそうですし、

内宮が創建される以前はこのあたり一帯にも、

土着の信仰があったのかもしれません。

 


宇治と山田

2015-04-17 13:00:30 | 伊勢神宮

<宇治山田駅 うじやまだえき>

 

今でこそ、伊勢神宮のお膝元として、

ひとくくりにされている伊勢市の中心部ですが、

元々内宮(宇治)と外宮(山田)の門前は、

別々の集落として発展し、

人々の交流もほとんどなかったそうです。

* 現在も神宮の行事に参加する際は、

宇治地区が内宮、山田地区が外宮の担当と、

受け持ちがはっきり分かれているとのこと

 

確かに内宮と外宮、それぞれの神域を訪れてみますと、

同じ伊勢神宮でも雰囲気が異なることに気づくもの。

境内の配置や祀られている神様はもちろん、

その場所の持つ色合いが微妙に変わります。

 

「感謝は御正宮、お願いごとは荒祭宮で…」 といった、

ガイドブック的な知識ではなく、

内宮と外宮の成り立ちや信仰の背景、

ご祭神の違い等を考えながら参拝すると、

より有意義なお参りができるかもしれません。


山田産土八社

2015-04-16 14:28:40 | 伊勢神宮

<世木神社 せぎじんじゃ>

 

先月風宮で行われた遷宮祭典の合間をぬって、

外宮周辺にある山田産土八社と呼ばれる、

地主神を祀った神社をめぐってまいりました。

以前から「外宮近くには稲荷系の神社が多い」 と、

何となく感じていたのですが、

今回訪れたすべての神社の境内にも、

稲荷神社が並び鎮座されております。

 

ちなみに、こちらの山田産土八社では、

年に一度御頭神事(おかしらしんじ)

というお祭りが開催されるそうです。

悪疫の退散、作物の豊作を願うこのお祭りは、

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の神話に

なぞられた舞が舞われるのだとか。

外宮の周辺では、稲荷神への信仰とともに、

蘇民将来のしめ飾りや御頭神事など、

スサノウの痕跡がたくさん残っているのです。

 

<須原大社  坂社  箕曲中松原神社  今社